第5話 事故?
7:00叶谷は眠気眼をこすり当直室を出、白鷺ユニットへ内線をかけた。
『はい、永田』
『あ、お疲れ叶谷です。』
『はいはいどーも。』
『キミヱさんどう?』
『うん、なんとか誤魔化せるくらいにはなってるよ、左足。』
叶谷はほっと胸を撫で下ろした。薄皮一枚の剥離で良かった。
8:30 1階事務所前に前日からの預金者と当日の日勤者と主任と看護師が整列する。
『では朝礼を始めます。夜勤者お願いします。』
叶谷が言った。
『はい。まず2階ですが昨日日中から熱発されてました小林様、朝5時の時点で36.7℃まで下がってます。3階は特変なく皆様良眠されてます。』
夜勤明けである永田が言った。
永田は白鷺ユニットリーダーである。叶谷と同期でもあり、なんでも話せる仲である。昨日の
『お疲れ様です。次ナース。』
『特にありません。』
『次、相談員。』
『本日11時五島様、ご家族と一緒に外出予定です。食伝は済んでます。』
『はい、では介護理念唱和しましょう。』
『「今日も一日、ご利用者様第一。明るさと優しさと思いやりで介護しましょう」』
叶谷の号令で皆が機械仕掛けの様な口調で唱和した。
朝礼が終わり散り散りになった頃叶谷は永田を呼び止めた。
『お疲れ。まだ足じゅくじゅくしてるよね?』
『んー、まあね。昨日今日だからね。とりあえず「体動によるもの」で通るんじゃない?バレたら。』
永田は眠気をはらんだ声で言った。
無理もない。
まだ36とは言え16時に始まり翌9時に終わる夜勤だ、疲労が溜まっていないはずはない。因みにひだまりでは余程目立つ怪我でもない限り、内々に処理する。
明らかな不正行為だが、何せ露見しようがない。
それでもうるさ型の家族に突っ込まれた際には「車椅子自走中にぶつけたのであろう」だとか「寝返りによって」だとか「体動によるもの」だとか、便利な文言で逃げる。
『よかったよかった。』
『また所でしょ?どうせ。』
永田は意地悪く笑いながら言った。
『んー…あいつも短気なんだよな。』
叶谷は頭を掻いた。
『あいつ今日も遅番みたいだけど、ナイトケア大丈夫かね?今日大瑠璃でしょあいつ?』
基本的にユニット型施設は、各スタッフを一定期間固定のユニットに配属するのがスタンダードだが、ひだまりではその日その日によって配属ユニットを変える。
ユニット毎に介護量に差がありすぎる為、スタッフから不満が出るからだ。
ちなみに大瑠璃ユニットは特に手のかかる利用者が多い。
『まあなんとかなるでしょ。』
叶谷は無理矢理笑顔を作った。
『俺今日5時上がりだからナイトケアのことまで面倒見れないや。それに今日宮野くん出勤だし。』
宮野とは大瑠璃のユニットリーダーである。
『あー、彼に面倒見てもらいやしょう。』
永田は小馬鹿にしたように言った。
永田は事故の隠蔽やスタッフの暴力暴言にも寛容、と言うか問題にさえならないなら触らぬ神に祟り無しが信条で、事なかれ主義のサラリーマンの見本の様な男だ。
対して宮野は確かな志と向上心を持ち、日々利用者の変化に目を光らせている介護士のお手本の様な男だ。
同じリーダーとは言えこの様な二人が合うわけもなく、ことあるごとに永田は宮野を『介護施設に何を求めてるんだ。正義を貫きたいなら政治家になって制度から変えてくれ。安月給でよくやるぜ。』と言って憚らないし、また宮野は宮野で『この職場は不正だらけで嫌になる。永田さん達も締める所は締めて貰わないと。やる気がなさすぎる。』と見下している。
一度永田と宮野の二人がリーダー会議でぶつかり、それが他スタッフの耳にも入り以来『現実を見てる、業務優先の永田派』
『ひだまりの良心、利用者優先の宮野派』に二分された。
『まぁやっちゃうとしたらスミさん要注意だね。』
永田の言ったスミさんと、大瑠璃ユニットの8号室に住む太田スミ87歳である。アルツハイマーによる見当識障害によって意思疎通は不可能。また弄便行為や盗食、徘徊、放尿、なんでもござれである。
そんな利用者が虐待癖のあるスタッフと交わった時…『化学反応が起きないこと祈るしかないね。』
永田は笑った。叶谷も化学反応の表現に笑った。
『彼も宮野が目ぇ光らせてる時はやらないでしょう。』
『だといいね。』
永田は言って、エレベーターに乗り込んだ。
その夜、案の定「事故」は起きた。
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