第3話 隠蔽

叶谷は白鷺ユニットへ急いだ。施設利用者の脱走防止ロックをカードキーで解除し、エレベーターに乗り込んだ。

ここひだまりは3階建ての建物で白鷺は3階にある。

3階には白鷺(しらさぎ)の他に雲雀(ひばり)、大瑠璃(おおるり)の計3ユニットがあり2階には鴛(おしどり)と鶯(うぐいす)の2ユニットがある。

エレベーターはあるが基本的には来訪者専用であり、利用者を伴う場合以外の職員の使用は禁じられている。

が、そんな規則を守る職員は皆無だ。

4交代制勤務で且つ各ユニットを行き来するのに律儀に階段で行き来する馬鹿正直者はいない。

各ユニットは10部屋の個室から成り1号室から5号室の並びと6号室から10号室の並びが対面している。

山崎キミヱの居室は白鷺の2号室だ。

叶谷が到着すると既に大場が処置を終わらせていた。

『とりあえずゲンタとガーゼで。』

大場がナースグローブを外しながら言った。

『そうですね。』

だが叶谷の関心は大場の処置内容ではない。

『所くん。』

アイコンタクトと猫を呼ぶような手招きで所を居室の外へ誘い出した。察した大場も付いてくる。

『やっちゃったか?』

大分開かれた質問だが意味合いは一つだ。

『…すいません。』

所の声の語尾は聞き取れなかった。だがその表情は薄ら笑い、イタズラがバレた子供のそれの様だ。

『殴ったらこうならないね?』

大場も会話に入る。

『靴で…まぁ、はい。』

所はモジモジしながら言う。とても二十歳を過ぎた大人には見えない。

『蹴った?』

『いや、靴脱がすときに変に暴れるんで、脱がした靴で…スパーンと。』

所はご丁寧にジェスチャーを交えて説明した。

要は山崎キミヱをベッドへ寝かせる際、靴を脱がせようとし訳が分からず暴れたキミヱに腹を立て、脱がせた靴で左脛を殴打し、その際靴の角が当たったのだろう、90代の老人の弱い皮膚は容易く剥離したと言うことだ。

 キミヱは脳血管性認知症を患う要介護5の利用者だ。

歩行はおろか食事や排泄も自力ではままならず全てに介助を要する。また認知症の周辺症状の一つとして介護拒否がある。

 介護者が食事を口に運ぼうとすればその手を打ち払おうとし、オムツを替えようとすれば暴れる。赤ん坊にありがちな行動だが相手は歴とした大人だ。力もあるし暴れればそれなりに抑えつけるのに苦労する。

『キミちゃんじゃ仕方ないけどね。』

大場は言った。キミヱは皮膚が弱いから剥離しやすいので仕方ないと言う意味ではない。

この利用者になら腹を立てても仕方ないという意味である。

所は口を噤んでいる。

『とりあえず事故報(じこほー)いじろうか。』

叶谷はぽつりと言った。

『あっ、でも報告書書くなって…』

所が話が違うという様に訴えた。

『「ありのまま」じゃだめってこと。』

大場が言った。

『え?』

『とりあえずもう時間だから所くんは上がって。明日は何番?』

と叶谷。

『あ、遅番です。』

『明日はやめてね。』

叶谷が苦笑して言うと大場も笑った。

『さて、今夜も寝れないかな。』

叶谷ワーカーステーションに移動し棚から報告書の用紙を取り出しては一人ごちた。

『いいよ、あたしやっとく。』

大場が用紙をひったくった。

『明日も明けでそのまま日勤でしょ?』

『はい、大場さん、助かります。』

苦笑い。主任の立場としてはこう言った「理解ってるスタッフ」が一人でもいると大いに助かる。ことイレギュラーが発生したときなど特に。

『ありの~ままの~』

大場は口ずさみながら白鷺ユニットに消えた。


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