優しいヒト

 地震予報を告げる放送は、3階をつなぐこの通路のスピーカーからも流れていた。


「地震予報。地震予報。震源地東海沖30キロマグニチュード7.3。約25秒後に到達予定……繰り返します」


 中央区セントラル中央警察署は、警察本部や交通課などがある本棟と、犯罪者収監施設や捜査課などが副棟に分かれている。めでたく勾留が解けたごうは、引率アンドロイドに3歩遅れ、本棟と副棟の連絡通路を歩いていた。保護者に身柄を引き渡す場所へと連行、いや案内される途中だ。


 牢屋での目覚めは最悪で、人生の終焉を迎えたとまで思い悩んだごうだったが、釈放を告げられたいま、二度と来ることはない警察内部を観光気分で観察できるまで、精神のゆとりが回復。付属物がいなければもっと楽しめたろう。


『右脚くん、ゴウくん! じしん地震がくる!!!』

(そうだな。べつに珍しくないが)


 約2頭身のプチキャラオヤジ、幽体の陽一はぶるぶる震えた。ただでも存在が怪しいのに、震え過ぎで輪郭はぼやける。いっそ分子レベルで共振し、散り散りに拡散してしまえばいいのにと、ごうはむっつり歩く。


『じ地震だぞ、地面がぐらぐらする地震だぞ。あの、地平線まで行っても逃げ場のない、地震だぞ』


 ごうにしか見えない幽体は、まぶたを限界まで見開いており、卓球試合のピンポンとをかぶり付きで追うように、落ち着きない黒目が行ったり来たりしている。どんだけ地震が怖いんだか、怪しげな態度と風貌はどこへいった。喜劇的な恐慌をきたしている。


 ごうは小声で問う。集音力に優れたアンドロイドには、聞かれているかもしれないが、通路の雑音に紛れるはずだ。


(陽一なぁ。ソレイユが持ってた小瓶だっけ、それが”鑑識部屋”とかに保管されてんだろ?どうやって盗るもりだ?)

『そそそそそうだったな。右脚ゴーに任せた!揺れるぞぉ~~』

(まだ揺れてねーし。予報でこれかよ。どうでもいいんだが、お前が欲しがってたんだぞ。警察署の奥にいるチャンスはなかなかないとか言って)


 陽一は、郷のまわりをくるくる飛び回りはじめた。それは一周ごとに円周をましていき、通路や床や壁にぶるかる……ことなく、透過したのだ。驚きがつい声となった。


「おい……ぶつかるっ」


 ぶつからないのが幽霊だ。分かっていたが忘れていた。


「どうかしましたか」


 ASICドリー社BEG-PS45のアンドロイドが、有機質な表情でふりむく。アンドロイドの収音力はあなどれない。それにしても、小首をかしげるしぐさが美しい。さすがわ、人に似せた挙動にこだわるというBASICドリー社。心底まで見透かされそうだ。ごう背中の真ん中あたりを生ぬるい汗がつたった。


「あー……いえ。昨日、お会いしたかなーとかと思って。人違いですね。はは。はは」

「覚えていたのですね。ええ。豊平川河川敷。南9条付近で、一時的にあなたを拘束したのは当官です」

「……え?」


 言葉に詰まったごう。同じBEG-PS45だったと分かっていたが、希少生産とはいえ警察なら機種が複数いてもおかしくないという当て推量だったのだ。危険な現場と安全な室内勤務に、同一人物をあてがうものなのか。激務や変化に耐性があるとはいえ、勤務が日ごとで違うとは。


「上司が命令しているのも聞いていたでしょう。”ミルフィーユ”。私の登録コードです」


 河川敷では威圧的に拘束する暴力デカが、優しい付添い警官にジョブチェンジ。従事する仕事によって、これほどまでに変われるのか。ロボットにはマネのできない、アンドロイドの人間っぽさだ。


「そうなんですか。いやーそうだと思ってました。偶然ですね。ご縁があるのかなーー。はは。はは」


 目を泳がせながら、どうにか言い繕う。


「ご縁ですか。ユニークな表現ですね」


 クスクス笑うミルフィーユ。納得したのか。


「そう言えば、杖をついていませんてしたか? 足が不自由だったのでは」

「はい?」


 忘れていた。本当に。取り憑いた陽一のおかげで、右脚は己の脚となっていたことを。自由すぎて持てあましの気味ではあるが、数年間の不具の苦痛が抜け落ちるほど、馴染んでしまってる。


 言わないで足をさする少年を。ミルフィーユはみつめるのを止め、部屋についてた持ち物はお返ししますねと、案内を再開した。


 ごうはこっそり息を吐いてから、3歩待って、後を追った。古式ゆかしい日本女性は男性から3歩下がって影を踏まずに付き従うという。室内なので影はできないが、この立ち位置が、自分の立場を象徴している気がした。


 鑑識部屋というのは、第2鑑識課検査係中保管室のことだ。警察における鑑識は、いわゆる鑑識課と科学捜査研究所に分かれている。証拠品というのは、1カ所に集められてから、技術別の担当官に渡され鑑定され、それが鑑識部屋だのだとか。海藤ソレイユ殺害は、つい昨日の事件なので、本格的な鑑識はまだこれからという。

 

 まともなときの陽一の説明だ。霊物の特権【素通り】で、建物内部を探索しまくって、警察の裏事情と一緒に探りだしたのだ。部屋は、そこまで迫っていた。思考できる時間はあまりない。


 ここ警察本部は冬都シティのすべてを統括する警察の本丸だ。いまも署員やサポートアンドロイドが、普通に雑談をしながら交差する。事務職っぽい人が両脇に書類をかかえていたり、強面の女性がアイデバイスに怒鳴っていたり、鍛錬なのかエイエイオーと階段を駆け上がっていく柔道着のグループもいた。部下をたくさんひきつれたお偉いさん集団ともすれ違った。


 全員が武装していると思っていない。仮定だが、軽く見積もっても、銃と手錠を持った警官が300人はいる。さらにその半数ほどのアンドロイドもいて、要所には、これ見よがしに監視カメラが設置してあった。


 集めた要素を足して引いて掛けて割る。自明の理。エックスに何を代入しようかなどと、強引な方程式に当てはまめるまでもなく、建物内部で犯罪めいたことをしでかすのは、自滅である。ハイハイの子供だって、痛そうな場所には近づかないものだ。


 ごうはそれでも、逡巡を続ける。


 せっかく無罪放免になったというのに、たかが小瓶と引き換えに盗みを働くのか、と。ハイリスクハイリターンという言葉があるが、こいつはハイリスクローリターン。”超”とか”スーパー”などの修飾語が頭につくほどの。


 たかが幽霊の戯言。祟りがあるとは聞かされてない。金縛りの実害もない。ちょろちょろ目ざわりなプチオッサン。それだけのことだ。いまのところは。ご用命に従う義理は、どこにもない。失敗したときはどうなるか、檻の中で想像した悪しき未来が映像として見える。負うリスクが大きすぎる。


『あぶなーーーい、あーーーーぶーーーーーなーーーーーい……、足がつかない、ゆ、ゆ、ゆれ~~』


 陽一は、震えながら、ごうの衛星軌道をぐーるぐーる。上へ下へと、新円からだ円の周回。移動曲線は心音グラフのような波線を描き、右往左往と、器用な進化を遂げていた。


 たかが地震予想でこんな動揺するヤツを初めて見たと、ごうはうなる。ある意味天然記念物。MYTUBEに投稿すれば、1万アクセスは固い。幽霊の姿は、デジタルのピクセルに収録保存できるのだろうか。一考の価値はある。


「大丈夫ですか。予測の25秒は過ぎましたね。地震波は冬都シティには到達しなかったのでようか」


 また、ミルフィーユが気にかけてくる。優しいな。オヤジにも見習ってほしい。


「はい、ご心配なく」

「あなたは優しいですね。私のようなモノにも、人として接してくれるのだから」

「え?」


 何気ない一言に、どきりとふいを突かれる。アンドロイドは哀し笑みをまとっていた。

 ほわっと、ごうの心が揺らいだとき。


「きましたね」


 地震だ。高層ビルといえるほどの高い建築物じゃないから、3階あたりの揺れは、地面と変わらない。たいした揺れではないが、カタカタと何かが振れる音が大きくなる。すれ違った男性警官が足をもつらせファイル型PCを床に落とした。地震など起こっていないかのように屈んで拾い、一瞥して通り過ぎる。


 一人だけ。よりうっとうしくパワーアップし舞い上がる幽体がいた。


『★△‰♯♭ ひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。あ、あ、あ、あ、じじじ、地震、じしっん!! 』


 みな警察の人は制服を着用する。規則というのはわかるが、アンドロイドに適用するのはいかがなものか。高密度樹脂と軽量金属に外装されたアンドロイドは、状況や必要に応じてパッケージカラーリングが好きなだけ施せる。コストのみならず機動制約がかかる。衣服は茶番で、邪魔にしかならない。物好きか、こうあるべきだと決めかかる頭の固い老人が決めたのだろう。


 陽一が、着用する制服ごと、ミルフィーユのボディを貫通。背中が少し白く沁んだ。


「紅葉山ごう君。歩行中に揺れを感じます。深度2ですね」

「な、なんともないんですか?」


 ふり向いて、半分だけ見える顔に変化はない。


「顔色が、悪イ、デス…………ネ……・・・」

「み、ミルフィーユさん?」


 音声がおかしい。よどみない日本語が劣化していく。言葉を忘れていくみたいだ。


「あの……?」

「…………」


 とうとう返事をくれなくなった。

 背中の、陽一が通過した白は拡大していて、そこから湯気が立ち上がっていた。まさか。ショートしたのか。


 正面に回り込んだ。ごうとどっこいどっこいの身長のミルフィーユ。前側は、背中以上よりも真っ白になっていた。顔面は蒼白で、ホワイトスプレーを噴霧したように、薄い白でおおわれていた。彼女の眼--カメラの前に手をかざすが、瞳孔に似せたレンズは、焦点が合ってない。


「ちょっとすみません」


 いちおう断ってから、恐る恐る、ほほに指を伸ばした。動けないだけで聞こえているかもしれない。


「熱ちっ!」


 思わず手を引っ込める。柔らかいはずのシリコン頬は、想定もしない高熱を発していたのだ。いや、この白さでそれはないだろう。もう一度、ごうは頬に触る。


 一瞬感じた熱さは、まったく反対の感覚だった。熱いどころか冷たい。そこの部分だけ氷漬けのようになっていて、冷凍庫に長期放置したシャケのように、ガッチガチに凍っていたのだ。


『怖い怖わい……がたがたぶるぶる』

「ひやっ」


 脚の間を陽一が通過し、冷たい空気がふたり足元を吹き抜けた。真冬、屋内から外に出たときの不快な寒風。ごうにはその程度だったが、ミルフィーユは違った。


 風にさらされた彼女の片膝はみるみる白くなり、凍結してしまったのだ。ごうの鼻を、つんとしたドライアイスのような冷気が突いた。


「結局、またお前か。めんどうばかり起こしやがって。どうすんだこれ」


 いきなりの凍結。不可解ではあるが、犯人が陽一ならばありうるという奇妙な安堵あった。原因が分かったことで、肩の力が抜けた。


 恐慌状態で浮きたつ陽一を、気が抜けた目で追ってると、アンドロイドが自分のほうへ傾いてきた。


「重い!ミルフィーユさん?」


 正気に戻ってジョークをかましてきたのかと思ったが、表情に感情は浮かんでない。機能は回復していないようだ。膝の凍結で左右バランサーに変調がおこったようで、棒が倒れるように、真っすぐ身体を押し付けてくる。


 いかな機械仕掛けとはいえ、いや機械だからこそ軽量化された身体でも十分に重く、おそらくごうの2倍にも迫ろう。避けてしまうのはカンタンだが、自重での損傷は免れない。彼女の演算機構は生きている細胞。彼女もまた生きているのだ。ごうは本能的に、ミルフィーユを支えた。


「ぐっ……」


 大きな衝撃を受けさせない、と緩衝材の代わりを務める。手足を踏ん張って、無自律の重量物となり下がった身体を、下敷きになってどうにか支える。それから、ゆっくりゆっくり、身を縮めて、静かに倒していく。


「はぁ、はぁ、なんで、オレが、こんな、ことを」


 揺れる床に寝かすことに成功した。元凶を怒鳴りつけた。


「うぉい!陽一!!」

『ぬあっぁぁ』

「よーいちい!」

『こわこわっ!!』

「……話ができねー」


 能力なのか、幽体ゆえ体温がないからなのか。どうやらこいつは、触れたものを冷凍化する力を持っているようだ。堅さは釘が打てるバナナ……かどうか不明だが、起動機器を使用不能にできる急速冷凍ぶりは穏やかではない。家庭用冷凍庫で水が氷になるには、4時間かかるといわれている。物理的な理解はおいつかないが、電気代ゼロでかき氷屋が開業できる。


「あれ?」


 最先端の技術製品として高性能なアンドロイドを、たやすく機能不全にするくらいだ。頭上の監視カメラも凍結してる。稼働停止は免れない。ならば、ごうが何をしようと、映像という証拠が残らない可能性は非常に高い。


「うーん」


 警察には、昨日からずっとやられっぱなしだ。うつうつしたすっきりしない恨みは、積み上がっていた。雪辱を果たすというのは大げさだが、意趣返しってのはアリか。目的も正体も不明な陽一だが、捕まらないなら、恩を前払いしておくったのは、そう悪い手じゃない。


 腕を組むと、にやり笑みがこぼれた。


「面白いかも」


 さっきの警官が通路を、曲がっていった。周囲をうかがうが、地震に気を取られているのか、こちらに注意を払ってる人物は見当たらない。押し入るタイミングは、今だ。


 第2鑑識課検査係中保管室のドアは、少しだけ隙間の空いていた。警察のくせしてセキュリティが甘い。地震が治まった。ミルフィーユとカメラは凍結したまま。ささっと物色すれば、捕まることはない。小瓶はどれだ。ドアを思い切り引いて、ごうは部屋の中に飛び込んだ。


「民間人か。何の用かね」


 白衣の人が、証拠品を写真に収める作業をしていた。


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