釈放手続き
中央警察署の駐車場。冬都中央南高校の教師は、自身が担任する2年A組の二人の生徒に、ここに連れ出した事情を、かいつまんで説明する。警察に補導された男子生徒を引き取りにきたのだと。
「そういうのって、親御さんがくるものじゃないですか? 学校が動くにしても先生がたの仕事ですよね。いくらクラスメイトだからって」
「紅葉山君の家庭は複雑でね。警察は、法的な引き取り手を見つけられなかったらしい。あと、先生たちもそれぞれ忙しくてね。かといって私一人だけっていうのも」
「だからって、生徒が生徒を?」
「察してくれ。いろいろあるんだ。内申点、考慮するからさ」
30代の教師は、話はこれまでと強引に言いくるめた。女性との一人が、まだ、きき足りないと口を開きかけたのを、まぁまぁと押しとどめる。
「ということでミカ・レアンさん、付き添いの
「ええ?先生も、一緒に来るんですよね?」
「そ、そりゃそうさ。合流するよ。受付にいけば案内してくれるから。じゃ後でな」
そう教師は言いのこし、そそくさと近代的な警察署の建物へと消えてしまった。駐車場の角に残された
「大切な用事があるからって、授業を免除で連れてこられたけど。不良クラスメイトの身柄引き取り? これってクラス委員のお仕事なのかな」
ミルキーと呼ばれる綿製の中折れ帽子をかぶった生徒、ミカ・レアンが、帽子を深くかぶりなおしながらぼやいた。身長181センチ。本人いわく体重は53キロ。肩甲骨まで伸びた金髪は、顔立ちもスタイルもアスリートのように恵まれていた。スポーツの誘いが多くあるが、気が弱く人前に出ることが苦手だ。
「ミカは人がよすぎる。クラス委員長だって押し付けらた」
「だって
「先生はああいった。けど、引取りの手続きだけして帰る。合流はしない」
「戻ってこない。えーなんで?」
「ウソをついてるニオイがした」
「ニオイ、ニオイか。そうか~。あろまの鼻って、敏感だからね。占いよかぴったり当たるよ。んんん? じゃ先生は逃げたってこと?生徒に面倒ごと押し付けて?」
「紅葉山
「そうなの?やられたぁ! ごめんね
「いい。ついてきたのは私の勝手」
おおむね、市販アロマポッドに機能は似ているが、
「ミカに、微笑みたい。こんなときの香りは」
3秒間バルサム系を嗅いで心身を鎮静させてから、二コリとほほ笑む。それから、高揚と癒しのフローラルに切り替える。
「ここ、排気くさくて嫌い」
「いい匂い。なんの香り?」
「バルサムはイニュラ。フローラルの方はチャンパカ」
「イニ?ちゃんバカ? お花なの?」
「そうとも言えるし、そうでないとも、言える」
「なーにそれ。禅問答?」
「香りは、植物園に記録されていた遺伝子から再現してる。生物としては花をつけるけど、合成したエキスを抽出し、水分を30%蒸発させた圧縮香材だから、厳密には違う」
「意味わかんないけど。すごいってのはわかる。さすがわ学年飛び級の天才ね。友人として鼻が高いわ」
「私も感謝。ざっくり受け止めてくれるミカのような人はそんないない。貴重種」
「……どゆこと」
小学生と間違われるお子様な体形。癖のある髪は平均的な黒。どこにいても目立たない小柄な体の
「建物のほうがきっと空気はキレイ。入る」
「まってよ
続こうとしたミカが、踏み出しの一歩目でつま先をひっかけて転んだ。コンクリート仕上げのまっ平らな駐車場だ。突起などはどこにも見当たらない。いきなりつまづいた。
玄関の自動ドアが開いて、書類を小脇にかかえた数人の中年男たちが、やってきた。署での用事をすませたらしく、おのおの、自分の車へ戻ろうとする。だがミカの魅力は絶大らしく、急いでいる男たちの目を引き付けた。彼らはモデルのような美人高校生の盛大な転倒をちょうど目撃。泡をくって助けにきた。
「キミっつ怪我はない?」
「大丈夫かっ!」
「この
ミカは、血が滲みあらわとなった膝をスカートで隠すより先にすぐ、転がり落ちたミルキー帽子を手繰り寄せてかぶり直した。
わらわら寄ってきた大人たちは心配を口にする。だが彼らは一様に、その鼻の下が伸びていた、無自覚だろうが、女子高生の顔へ体へ、露わになった足へと不躾な視線を浴びせてくる。
「だいじょうぶ。それ以上来なくていい」
ミカを品定めする視線。それを、いっぱいまで広げた短い両手で、大きくさえぎった。
「見えない。あ、いや。失礼なヤツだな。心配してやってんだぞ」
「ああ、血ぃでてんじゃないか。キレイな足に
「キミこそキレイなお姉さんの邪魔だ。救急車を。いや、警察の救護室へ運ぶ」
顔を赤める男たち。心配を口にしつつも、立ちふさがる少女を、保養の障害として邪険にする。だが、小学生のような体躯の少女は、考えを改めず微動だにしなかった。
「余計なお世話。心配なら私がする」
中年3人がいなくなれば、地べたに座るへんな女子高生いるのみ。早々に人だかりはなくなった。後には、貼ってやろうと取り出された
「帽子、被った?」
「うん」
「はは。ドジ間抜け、しちゃった」
「いつものこと。だから着いてきた」
「ありがとうね、
「立つ。そして歩く」
「うん。立つ」
署の中は、想像したとおりの混雑と熱気だった。20ほどある4人掛け椅子はどれも埋まっており、その倍の人数が壁にもたれ、呼びだされる順番を待っていた。カウンターには受付待ちの人が列をなしていた。二人は8人並ぶ最後尾についた。
「汚臭でむっとする」
人の熱。それに汗がもたらす体臭と、ごまかす香水とが混ざりあう。マックスで働く換気扇も排気が追いてない。ニオイに敏感な
「そうかな? 学校と同じでふつうじゃない?」
「学校の体臭は年齢層が低い。ここは加齢臭盛りだくさん」
「外気をシャットアウト。これで問題なし」
満足そうに、くぐもった声で言った。
「毒ガスでも生きのびられそう。みんな、じろじろ見ているんだけど」
「げーするよりマシ」
受付窓口は3つ。担当はみな女性警察官。手際よくさばかれて、5分も待たずにミカたちの順番となった。教師からきいたままに、紅葉山
誠実さが伝わったらしく、事情はなんとか理解してもらえた。調べてもらうと釈放の書類はすでに問題なく受理してあるという。学校側の了承を得ているとも付け加えた。引受人の本人確認は生徒手帳でよいと。喜んで二人が応じ、クラス委員長として身元引受係の手続きは完了した。あとは紅葉山
「あなたたちの先生から伝言よ。先に帰るからよろしくって。どうしても外せない急ぎの用が入ったのだそうよ」
「あー」
「予想どおり」
「地震予報。地震予報。震源地東海沖30キロマグニチュード7.3。約25秒後に到達予定。市民のみなさんは各自、身を低くして安全を確保してください。なお、北海道地方に津波の危険はありません。繰り返します。地震予報……」
警察署なだけに、AIかな署員かなと、
予報の繰り返しが、3回目に達したとき、ぐらりと揺れがはじまった。ロビーはざわめいたまま、待ち人のヒートアップはない。話題とボヤキが「まだかよ時間かかるなぁ」から「東海ってまだ陸地あるのか」に変わったくらいのものだ。受付の警官が「お静かに慌てないで」と注意を促すが、定型句だ。数日おきに。ときには日に何度も震れることもある。災害は平等である。よくあることなのだ。
「深度は、3くらい?」
「そんなとこ。2かも」
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