宮森と桜井
資料館よりも、隣接する
図書館と合わせれば、10ヘクタールにおよぶ貴重な緑地遺産であった。かつて一般公開されていたというが、移民と震災で増加した人々が不法占拠した事件をきっかけに、散策できる区域は小路に限定されている。
穏やかな午後。館内への回転ドアを、小柄な女性がくぐった。ポニーテールを快活に揺する彼女は桜井たまき。きょうは制服を着ていないが、冬都警察の巡査長だ。玄関ロビーには20人あまりの市民がいた。図書の貸出しを待ちに並ぶ人たち。長椅子でゆったり本を読書を楽しむ人たち。一般読者はもとより、学生やライターと思しき人物の姿も見受けられる。100万冊ともいう貴重な蔵書。書籍といえば電子媒体が主流だが、紙をめくって本を読みたいファンは、少なくない。本物の紙は経年劣化するため情報保存としての役割は失っている。
ここにある書籍のほとんどは合成繊維【不織布】。紙のレプリカで作られた、市民の憩いと、いまだ触感にこだわる年寄り文化人のための模造品の陳列施設といえる。もちろん紙媒体も保存されているが、資料としては貴重過ぎ、特別な許可を得たものしか触れることはできない。
貸出本の多くはカウンターを通り抜けた奥にある。3階吹き抜けの見事なホールには、いつも多くの本好きが押しかける。受付ロビーに本はないが、飲食が楽しめる喫茶コーナーがあるのはここだけ。ピアノメロディがBGMに流れ、話し声と言えば、貸出しカウンターで交わされるささやきのみ。コーヒーで、気に入った一冊を楽しもうと、静かなひと時が流れていった。
人探し顔の女性を威勢よく呼び止めた。騒音レベル40デシベルは、住宅地・深夜の市内・図書館の静かさという。散切り頭でグレイのミモレギャザーの女性、宮森クリスが手をふった。
「桜井君! こっちだこっち!」
号令で鍛えられた辺りをはばからない高声が、30デシベルのロビーの静寂を破壊した。読書者たちはページをめくる指をとめ、音を発した人物をいっせいににらみつける。規定破りの爆弾を放ちながら、一顧にせずセキュリティキーを受け取ろうとする宮森に、カウンターの案内係が渋い顔をつくった。
「しー! 図書館の決まりは、警部補であっても厳守です」
「お、すまん」
「
受付の女性たちもまた警察官だった。一元管理の名の元、都市の官公庁すべての情報や資料作成、セキュリティ対策が、ここに集中する。彼女らを敵に回すのはやっかいだ。役立たずの事務屋とからかった運輸課の係長の話がある。1時間ですむ当たり前の業務依頼が、三日経っても返ってこなかった。紛失するはずのない決済の電子データが消失していたなんてこともある。地味に恐れられているチームなのだ。
「わかった、わかってるって」
「もう。お願いしますよ、宮森クリス警部補」
「はいはい。ごめんごめん」
あいつも仲間か。そんな読書人たちからの、険悪な視線が桜井に集まった。ひるみそうになる場面だが、実害のない連中は相手にせず、宮森をにらみけていた。ずしんじしん。足音がしたなら、そう聞こえていただろう。あいにく、図書館のカーペットには消音効果の高い床材が採用されてる。
「来てくれて助かったよ桜井たまき巡査長。一人じゃ調べきれなくね」
部下に対する警察官らしい生真面目さをふりかざし、これから執り行う予定をかいつまんで話そうとする。だが桜井は、不本意極まりないとばかりにほほを膨らませていた。
「苦情を叩きつけにきたんです。ミルフィーユをどうしたんですか!」
「現場から外したんだが。それがなにか?」
「わたしの
「警部補!」
カウンターの4人の受付女性と順番待ちをする客から、さらなるニラみが突きつけられる。宮森は肩をすくめ、桜井の腕をとった。
「わかったわかった場所を移すよ。閲覧室を借りてある。そっちへ行こう」
宮森は、人差し指をリングに挿し、大きめの付箋シールのようなキーをくるくる回した。爪には大人しいピンクのマニュキュア。桜井を引っ張って閲覧室へと向かった。靴はシックな革製ジョギングシューズで、靴底はカーボン樹脂。弾丸も通過しない無音の安全靴だ。
「宮森さん!」
桜井は引きずられるようにしぶしぶ付き合ったが、カウンターが見えなくなったところで腕をふりほどいて、歩くのをやめた。3歩先で止まった宮森は、桜井を見ようとせず、口だけで返した。
「昨日。逮捕のときな。被疑者の手をミルフィーユは緩めた。おかげで紅葉山
「彼は、わたしがスリーバーで眠らせました」
「結果的に、な」
「な、って」
「結果として逮捕できただけだ。打ち漏らして被疑者が逃走、潜伏でもしようものなら、大事になっていただろう。そうなれば街に非常線が張られ、対岸をつなぐ5つの橋は通行停めにされ、主要道路も閉鎖だ。バスや地下鉄を利用する市民・準市民は、総当たりボディチェック祭り。
「手柄だなんて、私は……」
目を丸くした桜井は、そんなつもりじゃないという言葉を飲み込む。そうしてクセで、脇のあたりに手をやった。胸ホルダーに収めた小型銃を確かめたのだ。いまは私服。銃なんか携帯していないことは、分かっているのに。数歩先からふり向いた宮森の腰には、スリーバーほか数種類の
残切り頭は、どこか少女の面影を残した口元をつり上げた。
「どう思ってもいいが、私だって加味してないわけではないぞ」
「職権の乱用がすぎるといってるんです!捜査課の宮森さんが地域課に指図するなんて。いくら署長の娘だからって、」
「指図ね。私がキミの上司にしたのは意見だけだ。彼は総合的に判断したのだろう」
ふたたび歩き出し、1段とばして階段を上がっていく宮森。桜井が追いかける。
「それが横暴なんです!……げ、現場では、あんな気ままに命令していたのに。アンドロイドが嫌いなんですか」
「アンドロイドが嫌いなわけではない。命令を遂行できないアンドロイドが嫌いなんだ。どいつも企業に肩入れし過ぎだ。アンドロイド一機の予算で、パートが何十人雇えると思う? 役所もスラムを毛嫌いして取り締まるくらいなら、一人でも減らすため溢れるでる飢餓者を雇えばいいんだ。ふぅ、しゃべりながらの2段上りは息が切れるな。着いたあそこだ。305閲覧室」
歩調を緩めた残切り頭に追い付いたが、距離を2歩分だけとる。
「なんでわたしを呼んだんです? 職務を放り出させてまで」
「言っただろう? 私の手伝いをしてもらうためだ。捜査課の連中は両手いっぱいに仕事を抱えてる。手が空いてそうな君に白羽の矢を立てたってわけだ」
面倒そうに答える。
「私服なのは?」
「制服だと目立つだろう」
「目立ちませんよ。あなたほどは」
「言ってくれる。とはいえ、そこまでアンドロイドにご執心だとは知らなかったよ。私にとって嬉しい誤算だ」
安全のため、外回りの警官の単独行動は、著しい制限がかけられている。パトロールコースは規定のルートのみ。異常事態などで変更する場合でも、電話かメールによる上司の承認は必須でその場合は飛行ドローンが急行しカメラによる監視が加わる。当然ながら位置情報はGPS縛り。さらに、必ず2人以上での行動が義務づけされていた。
ただし、同行人に関する規定は緩く、同僚でも先輩でも、他部署での人物でもかまわなかった。複数人であればいい。
複数行動の意義はわかるが、捜査や警ら、交通整理ほか、複雑に多い警察の仕事に対して、警官の数は少なすぎた。そんな絶対的な人材不足を補うため、ロボットやドローン、アンドロイドが導入れているのだが、最も役に立つアンドロイドは高価であり、数が足りてない。
ミルフィーユでなくてもかまわないのだが、相棒役が頼めそうな人やアンドロイドは、みな忙しい。
こうしたことは、ときたま起こる。人間なら怪我や病気や急な用事。アンドロイドなら故障やメンテナンス、OSアップデートなどだ。
現場では、相棒がいないと外廻りに出られない規則を、別チームに加えてもらうならOKだと、ややねじ曲げて解釈していた。いつもより時間はかかっても、単に業務をこなすだけなら問題はないと。
これにも難がある。通常業務を粛々と消化する場合には良いが、思うような裁量は難しくなる。変化球の多い職務には不向き極まりないのだ。そしてなにより、
「ちょうどいいじゃないか。早く手元に戻したいんだろう?私の元で点数を稼いで、アレのミスを挽回すればいい」
「姑息ですね。人質、いえ”バディ質”ですか。」
一人勝手に動き回る宮森クリス警部補は、完全な規律違反者なのだが、そこは暗黙の了解。思いつきで行動しているくせにそれなりの成果を出す。署内で彼女と組みたがる人間は少なく、放置状態となっていた。
「なんとでも言うがいいさ。こっちも必死なんだ」
宮森は、セキュリティキーをドアに挿入しようとした。
しかし、手にはなにも持っていない。
「あれ、鍵はどこに……? 手にもっていたはずだが、落としたか」
指先でくるくる回していたキーが、リングごとない。自分の足元を慌てて見つめるが、付近の床には落ちていない。
「知らないか?」
「知りませんよ」
「ポケットか?」
薄手ジャケットの内と外ポケット、ポケットのないスカートをまくしあげ、ソックスの縁も見るが、どこにも見当たらない。
「階段かな。そういえば、チャリンと音が聞こえたような」
「金属じゃあるまいし。【砂漠の針】は?」
「人には目というものがある」
呆れる桜井は首をかしげて腕を組んでから、腹立たしげに
今きた通路を、速足で引きかえす宮森。吸音性の床を腰をかがめ、なめるように動き回る。手伝うために出した
通路を折れて見えなくなって数分後、鍵を嬉しそうにぶん回しながら、ミモレギャザーは戻ってきた。
「あった。やはり階段の途中だった。私のカンはすごいな」
「そうですね。落とさなければいいだけの話ですが」
「うむ。305閲覧室。間違いない」
ドアの入力部にキーを差し込みながら、網膜サーチャーに目を充てる。閲覧室を借りた本人であるかキーと網膜パターンで精査するのだ。カウンターで登録した本人と確認され、空気が抜ける音とともに、ドアがスライドした。一安心。女性警部補は散切り頭を撫でた。
桜井はそのしぐさをもったいないと思った。短くカットするのなら長さをまとめれば女性らしくキレイになるのに、と。ふり返った宮森と目があい慌ててそらした。
「それと聞いたか? あの少年は釈放される」
「え? そうなんですか?」
この不意な報せが意外だった。なんのことを言っているのかわからず、頭からしばし、ミルフィーユのことが抜け落ちたほどだ。
「知っての通り
「目前での凶行ではないですか。それを言っては
「私もな、何度もビデオを見直した。結論をいえばシロだ。彼が現場に現れたのは”海藤ソレイユ”狙撃後。銃の所持どころか腹を切り裂いたそぶりもない」
「ですが、大腸を握って……あの大腸は?」
「さあ?」
どうでもいい。そんな空気で首をかしげる。
「紛失したんですか」
「画像のどれにも映ってないし、わからない。居合わした野次馬たちの中にも怪しい人物は見当たらなかった。他には
本当にどうでもいいのだろう。桜井はため息をつく。鑑識は河川敷を捜索してると聞いたが、そういうことか。陸に見当たらないなら川底だ。ダイバー資格をもつ職員を総動員して、10月の冷たくなった豊平川に飛び込み、河口にいたる流域までサルベージすることになる。
「それなら、紅葉山の罪は2つもあります」
「そうだな。だが刑事責任に当てはめれば、死体損壊と業務執行妨害がせいぜい。事件に巻き込まれただけだと、見ようによっては見えなくもない。そこで
「……」
そんな理由で釈放されるのか。桜井が合流したのは途中からだが、地上と空からパトカーでの追跡、ドローンによる周辺電波かく乱と証拠撮影。参考人として事情を聴く予定だった”海藤ソレイユ”の追跡から、じつに3時間20分におよぶ捕物劇。それがふいにされたことになる。頭が痛くなってきた。
「ああキミの気持ちはわかる。せっかく見つけたミミズクへの証拠だからね。私も同じ気分だ。だから、調べる!」
「調べる?」
「過去、ミミズクと思われる事件の洗い出しだ。うまくすれば、スライサーにもつながるかもしれん」
足で。実際には電動スクーターに乗って市中を捜査を重ねる。それが宮森の犯人探しと聞いていた。桜井たまきも警ら中に、何度か見かけたことがある。金持ちやお偉いさんが棲む
「ここに引きこもってですか? 噂に聞いた警部補らしくないですね。現場には行かれないのですか?」
「脳筋だとでも思っているのか。私だって資料くらい集めるさ。それに、事件からは外されたしな」
「はずされた?担当を?」
「ドローンとパトカーを動員したのに、肝心の海藤ソレイユを死なせてしまったからな。真っ赤な顔で署長は言ってたよ。責任をとって頭を冷やせ……だと。本当なら手足を縛って自宅のクローゼットに押し込めたいところだってな」
なんと答えればいいものか。逡巡したのち、思ったままの感想を言った。
「血は争えないといいますか。さすが警部補のお父様ですね」
「謹慎を命じてないだけ感謝しろ、とも付け加えていたな。だけど署内で何ができる。若年詐欺師や高齢者窃盗の取り調べは、気が滅入るぞ。だからこっちに来たのだ。書類整理の名目で過去の事件をさらう。
「私にはいい迷惑--」
「キミにとっても良い経験となるはずだ! 私が推せば、スリーバーを撃つ部署への足掛かりになるかもだぞ」
言い分など聞く耳持たないと、押し通してくる。宮森にとって都合のいい口説き文句と持論でぐいぐい押してくる。分かってはいたが、この散切り頭の脳ミソは、はっきり断らないと引かない性分が詰まっているようだ。桜井には、引き受ける理由も義理も、メリットもない。断固お断りします。そう告げようとしたとき。
「紅葉山
警部補をあの少年を追うつもりであることを明言した。警察の都合で釈放した紅葉山
「勝手にやってください。そう言いたいところですが……逃げ場はなさそうですね。お手伝いします」
「おお。引き受けてくれるか。祝杯をあげよう」
「飲食禁止では」
「ばれなければいいんだ。お、地震だな。まぁいい。過去10年の犯罪を調べるぞ。
やはりよせばよかったかなと。桜井はため息をついた。
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