郷か不幸か
「なんでこうなった?」
二人の女性がオレをみつめていた。可愛いタイプと美人さんタイプ。どちらも年上だが、街ですれ違ったなら、男なら絶対にふり返りたくなる。
背の高いミモレギャザーの女性は、スカートに似合わない微妙な散切り頭。性格が短気でめんどくさがりっぽい。背の低いほうはキュートで清楚なポニーテール。下がり眉が、一歩ひいた印象を与えていた。こちらは制服姿。だが、中学生とか高校生というわけではない。警察服だ。
「頭の上に両手を挙げて、跪け!」
およそ5メートルの距離から、散切り頭がいった。オレに銃を向けながら。
「
「
「”ミルフィーユ”といいます」
「なら”ミルフィーユ”を借りよう。足が不自由みたいだから抵抗はしないだろう。桜井巡査。キミには野次馬のほうを頼みたい」
「……了解」
制服警官は、杖を持つオレを一瞥し懐から取り出しかけた銃をしぶしぶホルダーにもどした。くるりと回れ右すると、野次馬のほうへ向かう。左耳に手を当てているのは、通話だろうか。10メートルほど空中には、3台のパトカーと10機を超える飛行型ドローンが周回していた。どちらも推進機構はエアプライヤー式。外部衝撃には強いがバッテリーをバカ食いする。
「がっ……」
打撃痛が首に走った。背後の何者かに叩かれたのだ。片腕を後ろに曲げられ、身体を押しつけられて跪かされる。カラン。右手の杖が砂利混じりの草原にころがった。この人、すごく重い。載った体重計が壊れるレベルの誰かに抑え込まれ、完全に動けなくなった。
「確保しました。マム」
「ミルフィーユ。その男をサーチしろ」
背後の女性をちらり見た。アンドロイドか。力でかなうはずがない。今のオレは、妹たちには見せられないほど不格好でみじめだろう。なんでこうなったんだ。
「豊平川の河川敷公園で、警察が殺人犯を捕まえようと大立ち回りを演じている。
そこへ行って動画を撮影してきてくれ。
みたこともない空中追跡がみられるぞ」
そんな、お気楽なやじうま依頼をうけ、オレはここにきた。断りにくい相手とはいえ、暇を満喫できる身分ではない。出荷だの取り入れだのと、理由をつけて拒むこともできた。だがオレはきてしまった。好奇心もあったのだろう。
トラックで妹たちを学校まで送り、知り合いの庭に止めさせてもらう。地下鉄、無人タクシーに乗りついで河川敷公園にやってきた。対岸では、犯人を追いつめる3台の飛行パトカーと空中ドローン。ゲームか動画のような光景に、目が釘付けになる。犯人は、たった一人の、それも徒歩の女性。大げさな過剰なリソースの投入だが、重大事件の犯罪者なのだろうと思いいたる。
この河川敷の公園は長く、7.3キロメートルある。多少の高低はあるがどこまで行っても平坦で、立木やベンチのほかには、目立つ障害物がない。身をかくせるとすれば、コンクリート製の橋げたくらい。堤防を登って街へと紛れる手段もあろうが、取り押さえられるのは時間の問題だった。
堤防にサイレンを鳴らしてパトカーが到着。これで最後の逃走路が塞がれた。パトカーに続いてピザ屋の配達車が到着。気の強そうな女性が勢いよく斜面を駆け下りた。そのとき突然、犯人である女性が倒れた。あの犯人には見覚えがあった。
「ソレイユだ。海藤ソレイユ!」
『そのとおり正解だよ、右脚くん!』
覚えているのはそこまでだ。気が付けばオレは、火中の対岸にいた。そして、スリーバーと呼ばれる標準インジェクション銃を――細胞レベルで昏睡におとしめる麻酔粒弾を実装した自動短銃――向けられていた。
「いったいオレが、何をした?」
「ふん。人殺しが何をいうか」
「?………………っ!!」
手は赤かった。真っ赤な血をしたたらせ、暖かい物体を握っていた。
人間、ショックが強いと都合の良い記憶をねつ造することがある。レム睡眠のつじつま合わせと同じシステムだ。物体はまさに哺乳類の内臓だった。このとき、まず思ったことは、牛か鹿でも解体したっけかってこと。足元に血だまりがったことも理由だ。
だが解体したのなら、解体した動物がいなけれいけない。手の臓物を見て、再び地面に目を落とす。10月の河川敷は、川音がにぎやかだった。雑草化しつつある黄ばみ始めた芝生、くだけたアスファルト、靴裏が踏んでいる砂利の感触。そんな地面に点々と続いている血痕。血があるんなら、肉や皮もなければおかしい。大型家畜か野生生物、どちらかが、目で追った先に横たわっているはずだった。
だが、あったのは追われていた犯人、海藤ソレイユの遺体。頭半分を焼かれ腹を引き裂かれた女性の身体。双眼鏡ではわかりにくかった詳細な状況が間近にあった。
「な何だ、これはあああああ!」
記憶をたどってみるが、思い当たることがない。血とか肉とか、解体手順とか、そんなのばかり。そもそも動物の処理なんか外部に委託で、ずいぶん前からやってなかった。いや、そんなことはどうでもいい。人が死んでるんだぞ。頭が真っ白でなにも考えられない。
ゆっくりだけど激しく流れる豊平川。岸辺に、いっぱい人がいるなぁと、軽い現実逃避をしてみる。人物を内訳すると、まずは貸しボート屋のおやじ、時間を無駄遣いしていたカップルたち、自転車の釣り人だ。まだいる。ジョギングスタイルの男女。小型カメラを抱えたネット記者。オレも、あいつらと同じ野次馬。珍しい事件を目撃した面物人の一人。そのはずだったのだ。
彼らが注視しているのは、オレだ。
両岸の河川敷公園に挟まれて、30メートルほどの川。流れは深くて速く、年に数度は溺死のニュースが出る。近くに架かる橋はない。北と南にかすんであるが、どちらも、歩いて10分以上はかかりそう。つい1分前まで、オレは川の対岸にいた。双眼鏡の録画機能で動画を撮影していた。そのはずだったのに。どうやってこっちに渡ったのか、この血の物体が何かなんで考えたくもない。覚えていない。
ネット記者はカメラを構えていた。リアルタイムで、ネットにアップしているのだろう。”善意の第3者オレ”は、まったくの当事者になってしまった。ここに来るよう指示した山岸。いまごろ動画サイトを眺めて「そこまでウケを狙わなくてもいいじゃん」なんて、涙を流して喜んでることだろう。怒りがこみあげてくる。
「サーチ完了。男の皮膚DNAを道庁本部鑑識AIに転送。サーバーから返答。同DNAの持ち主が特定できました。
「市民か。よし言え」
宮森の冷たく命令に対し、アンドロイド特有のスピーカー音でミルフィーユが返答する。
「
オレのことだ。合成された女性声でされる報告は、見知らぬ他人の情報を聞かされている気分になる。
「――家族構成は」
「それはいい。個人情報は尊重されるべきだ。犯罪歴、テロ組織への関りはどうか」
「確認されておりません。マム」
「記録に載ってないだけかもしれん。追いつめた容疑者を警察の前で殺すような男だからな」
「何も、やってない!」
「ミルフィーユ、そいつの持ち物は?」
「双眼鏡、車と住居のモノと思える鍵、スマートフォン、それと杖です。マム」
「貴様。銃はどこに隠した? 刃物は?」
「どっちも持ってない!」
「ミミズクを知ってるか? スライサーは?」
「はぁ? 猛禽類と、玉ねぎの調理器?」
「手を離すなよミルフィーユ。
「離せ、オレの話を!」
「署で聞こう。無駄口は心証を悪くすると思わないのか。頭の悪い男は嫌いだ」
ミルフィーユの油圧機構がプレッシャーを増し、顔が地面に押しつけられる。
「ぐっ……」
こいつは。この女は、人の言うことに耳を貸そうとしない。自分の都合を押し付けるタイプだ。形ばかりの尋問をして、都合のいいストーリーに沿った自白を強要するつもりなのだろう。弁護士も裁判官もグルなら、裁判すら茶番かもしれない。オレがどう叫ぼうと、問答無用で有罪か。犯罪者の濡れ衣をきせられ行き場のなくなる未来。確約された最悪の未来が、頭に浮かぶ。妹たち、オヤジ、バイトの人たち、紅葉山農園。責任をもって養わなければいけない連中だ。
かつてこの街は、世界有数の公平な法治国家「日本」という国に属していたそうだ。だがそれは過去のこと。そんな国家はもう、どこにも存在しない。凶悪化していく天災の前に多くの国と同じように存在を失った。
生きながらえる
冤罪なんかどこ吹く風、それっぽい犯人がいれば一件落着。点数を稼げたというわけだ。いつか別の犯人が逮捕され、オレが濡れ衣だとわかっても、宮森は薄笑いをうかべるだけで、謝罪ひとつもしないだろう。袋の中のネズミというわけだ。
オレの身元は明らかにされてしまった。ネットに流れ、社会的な逃げ道もなくなった。だが、それでもここは、いったん逃げたほうが良いと、オレの本能がささやいてくる。
この場でこいつに捕まるより、交番にでも自首したほうが、将来的な安全が保証される……気がすると。
田舎だけに、縁故ネットワークをつかった工作は誰にだってできる。オレにも知縁くらいある。見知らぬ危険な暴走警官より、地元の知り合いおまわりさん。そのワンチャンに賭けたい。賭けるしかなかった。家族と農場を守るためにも。犯罪者にしれてしまえば、みんな四散してしまう。
「そうは言っても、どうすればいい?」
足かせになるのは右脚。こいつは逃げる以前の問題だ。50メートルさえ、満足に走れないオレが確実にずらかれる方法? そんなのがあるのか。
わからない。わからないが運命とやらに身をまかせたくもない。どうすればいい。
これが、堂々巡りか。
風にミモレギャザーをゆらして、宮森が近づいてくる。ミルフィーユが押さえているから安心しているのだろう。腰のホルダーにスリーバーを収めた。
オレはだらりと身体の力を抜いた。逃走を諦めたと思ってくれればラッキーだが。相手は警官。油断はしないだろう。諦めてないことを諭されないよう、しかし目だけは忙しく動かし、四方を余さず見る。なにかあるはずなんだ。こんなオレでも逃げられるルートが。誰もが予想だにしない出口が。囚われても逃げ出せる隙が。
「こいつをかけると、なぜか犯罪者は観念する。3世代前に流行した動画ドラマに多用されたシーンだとか。見続けた祖先のDNAに刻まれたのと、力説する研究者もいる。ばかばかしい理論だが、統計上の効果がある」
とりだしたのは、鎖でつながれた二つの輪っか。原始的な手錠だ。両手を拘束されるのは嫌なものだ。統計もへったくれもない。犯人でなくでも諦めの心境になるだろう。
まずは、ミルフィーユが抑え込む右手にかけようとした。だが血まみれの手をみた一瞬、宮森は、人らしいためらいをみせた。ここか。このタイミングが欲しかった。
握っていた赤い塊。ロクなもんじゃないこれを、押し付けるタイミングが。宮森、整った顔を歪めてみろ。こいつをくらえ!
『やめろ!』
男の声で、思わず手を止めた。なんだ。どこかで聞いたような。
そういえば、記憶がショートカットする直前、同じ声が聞こえた気が。
『その大腸は、大切なぼくのコレクションだ。無碍に扱うことは許さない!』
「だ大腸? 誰だ?」
「大腸、誰だ、とは?」
返答したのは宮森。怪訝そうに眉毛を寄せる。きつい声。だが女性だ。らしいなめらかさは疑いようがない。男と聞き間違えようがない。
コンマ何秒。宮森が惚ける。オレの本気のボケに、手錠をかけようとした宮森の手が止まったのだ。宮森に引き渡そうとしていたミルフィーユの拘束もゆるんでいた。二人の油断が重なった。好機。
「なにしてるミルフィーユ!」
遅い。手をほどきいて、宮森を突き飛ばす。横に転がって手の範囲から逃れると、よろよろ立ち上がって
「ちっこれだからアンドロイドは。桜井巡査そっちへいった。川だ!」
豊平川へ飛び込む。選んだ答えがそれだ。パトカーの増えた堤防より近くて安全。潜って流れに乗ってしまえば、飛行ドローンの目をすり抜ける可能性が、なくもない。溺れてこの世を去るとか、不吉な想定はしない。
動いて、逃げる。不思議な違和感が、オレをとらえた。
「なんだ……走ってる?」
ウソだろ?
いま気づいた。歩くのではなく駆けていたのだ。引きずってばかりの右足が、きっちりついてこれている。動いているのだ。いや、むしろリードして距離を稼いでさえいた。子どものころに失って移植した。何年も何年も違和感がとれず、借り物のようにひきずっていた重石足の、軽くて気持ちよいステップ。
こんなの怪我してから初めてだ。うれしい。喚起をあげたい。三日三晩の芋煮パーティーを開きたい気分だ。
だがいまは喜ぶべき場じゃない。たまたま動いてるだけで、いつ電池が切れたようにもとに戻るかもしれないのだ。そもそも、事態は差し迫ったまま。歓喜より、いけるとこまでいってしまえ。
「逃がしません!」
宮森とミルフィーユのすり抜けに成功したが。もう一人を、忘れていた。小柄なポニーテール。やじうまたちの整頓に回されていた制服警官の桜井だ。
彼女は、腰にぶら下げた軽量トンファーを構え、オレの行く手をさえぎってきた。カンフー武器。カンタンな訓練で効果的な戦闘力。そこらのチンピラ程度を、楽にあしらえる万能さゆえ、諸外国の警察が正式採用したという攻防一体の武装。ぶちかまされるのはマズイ。
身体の一部に返り咲いた右脚の感覚に力をこめた。感覚よし。まだ動ける。とととっと小刻みに走ってくる桜井は、数歩の距離まで近づいた。身体をひねりながらトンファーを横なぎに払った。それをオレは、軽いステップで横に避けた。軽く避けたつもりだったが、力加減を間違えて、横に大きく跳んだ。それはもう、避けるどこれではなく、かわせたのだ。
「ウソっ?」
ガードを抜けるバスケットボール選手かタックルをかいくぐるラグビー選手みたいに、綺麗にスライド……ならかっこよかった。横に
「キミ。だいじょうぶか?」
「おうさっ」
心配するやじうまに、グワシのサイン。口にはいった草が苦かった。
痛かったが、オレのターンは継続中。そこはもう川だ。流れが速かろうがどれほど深かろうが関係なく、飛び込めば勝ち。オレが決めた勝利条件だ。
這いつくばった姿勢から、右脚で地面を思い切りけった。数メートルもジャンプしたのは予想外だが、二度目はすこし冷静になれた。
「跳んだの!?」
「なんだあいつは」
とにかくもう下は川。落水して流れにまかせ、下流の
「危ないっ」
目の前に飛翔が飛来した。パトカーだ。オレが飛び過ぎたのと、邪魔しにきたので。ぶつかりそうになったのた。ぶつかりそうになる。両手を前に出し、頭をかばった。農作業のたまもので、腕力には自信がある。サイドに張り出したエンジンにしがみついた。浮力エンジンがエアープライヤータイプでよかった。プロペラ式なら巻き込まれてズタボロにされていた。
操縦する警官と目が合った。降りろ、危ない。どっちかの言葉で怒鳴っている。ほかのパトカーとドローンが近づいてきた。袋のネズミだ。いや待てよ。これはちょうどいいかも。オレは目標を定めて、手を離した。
「あれは遺伝強化してる足だぞ。不自由はフェイクだったか。パトカーを足場にするつもりだ」
宮森は、空中でジャンプする紅葉山を腹立たしい思いで見ていた。対岸へ逃走するつもりのようなのだ。最終的にとらえるのは確定してるが、一時的にも逃がすのは、しゃくに触る。
「パトカーの常備兵器で撃つには互いが近すぎる。対岸で先回りしよう」
「宮森警部。わたしならやれます。スリーバーの許可をください」
「太陽がまぶしい。上向きの射撃は難しいぞ」
「いい的です」
「……許可しよう」
ニッコリ笑った桜井がスリーバーを抜いた。
「あと、ちょっと!」
それは、オレが吐いた言葉だったのか。
ともあれオレは、今日のこれまでの出来事がよぎらせながら、意識を失っていった。
2059年10月1日。午前のことだった。
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