出動、河川敷
「7時か。飯食ってそれからCUの進み具合をチェック……ふぁあああ……やっぱ眠るか」
仕事が一段落したことで、大きなあくびが、ひとつでた。数日ぶりにゆっくり朝飯がとれそうなのだ、気がゆるむのも仕方ない。食事のある休憩室へ行こうとしたとき、
「
山岸洋平。中学校の時の先輩で、
「……はい郷です? え? ほんとですか? いえ、はい。後で行ってみますね。急いだほうがいい? ああ、ありがとうございます。 では、はい? そっちはできてます。今夜。遅くても明日には。はい。はい。ではっ!」
通話を終える。ため息がそこはかとなく漏れた。妹たちは横で聞き耳を立ていた。口はへの字。説明の手間が省けた。
「聞いた通りだ。学校へ送っていく。あとは、オヤジたちに任せて用意しろ」
「またぁ?ご飯は?」
「おなかすいたぁ」
「もうできてるだろ。とっとと腹にかっこめ」
「胃にやさしくないー」
「便秘になったらどーするー」
「悩める中年女性かっ? 用事ができたんだ。あーだこーだ言うな」
ふたばとみつばが、同じタイミングで両腰に手を置き、ふんっと鼻を鳴らす。互いの顔も見ていないのに、この同期ぶり。さすがわ双子だと感心する。
「やまぎしさんの、無理難題?」
「まぁた、パワハラやまぎしさん」
「事・件・だ!」
「何じけんさ?けーさつでもないのにぃ。やっぱこき使われてるー?」
「兄ちゃんもわるいー、いつもガッコさぼりー!」
「自・主・退・学だ。さぼりじゃねー!」
はぁはぁ……こいつらはぁ。
首にかけたタオルで汗をぬぐうと、杖をついてコンテナハウスに向かう。
椅子の背もたれにツナギをかけ、外出着に着替える。眼鏡型
『おい
お前もかぁ。外に出て、おもわず声を荒げてしまった。
「さぼりじゃねー!」
はぁはぁ……。
オヤジは指を立て、へんな合図を送ってきた。あれはまさか。
分かってしまうが、いちおう聞いてみる。
「なんだよ、それ」
「【サムズアップ】と【サノバビッチ】だ」
久々に聴いたオヤジの声。ここまで近づけば、自分でしゃべるようだ。
「そのココロは?」
「おとといがんばれ」
「よく見ろ、【グワシ】になってるぞ」
「おおお?」
自分の勘違い。いや手違いに、オヤジは肩を落とした。会心のハンドサインだったらしい。サノバビッチ・サムズアップの合成だと瞬時にわかってしまったおのれも悲しい。DNAの成せる業か。同じ血が流れている事実を否定したい。
そろそろ出発したいんだが。妹たちはどこへ行った。食事かそれともトイレか。車庫のシャッターを開けトラックに乗り込みスタートボタンをプッシュ。モーターが始動したトラックを走らせ、コンテナの横につける。ついでに、家のほうに声をかける。
「おーい、ふたりとも準備いいか?」
「行くー」
「待ってー」
ランドセルを背負った二人が慌てて駆けてきた。トラックをみつけると、荷台にぴょんと乗り込んだ。
小学校までは徒歩で1時間かかる。スクールバスなんかないので、どこの農家も子供は車で送り迎え。授業時間にはかなり早いが、遅刻よりはましだろう。
行ってらっしゃい。律儀にも食事を中断してあいさつに出てきたバイトたち。手をふってうなづいて、紅葉山農場を後にする。
10月の秋風は冷たいが、空気の乾燥したすがすがしさが好きだ。二人は荷台でじゃれあってる。オレは車のアクセルを緩めると、ウィンドウガラスを降ろして話しかけた。
「おーい、ふたば、みつば。お前ら、学校で大丈夫か?」
「えー? だいじょうぶって?」
「なにが、大丈夫ぅ?」
「その、……クラスで、イジメにあってるとか、だな」
「イジメぇ? そんなことないよ」
「まさかぁ、みんな優しい友達だよー」
「……そうか。ならいいが。なんかあったら隠さないで言えよ」
「……うん。ありがと」
「兄ちゃん、大好き」
「うん? なんだって?」
「なんでもないよ!」
イジメられてないなら、それでいいんだ。ウィンドウと速度を上げる。それから10分ほどかかって学校に到着した。
さすがというか、この小学校の門は開閉しない。おおらなといえばその通りだが、ここ
元気よく校庭に走り出す二人を送り出す。
「勉強、頑張れよ」
「兄ちゃん。おまえもがんばれよ」
「アニキ、お前こそがんばれよ!」
「兄に、その口はなんだっ」
「べーだっ どーせ間に合わないよー」
「事件に、やっつけられろー」
ふたばとみつばは手をつないで、つたたたーと、校内に逃げ去っていった。
兄思いの妹たちだぜ。やさしさに涙を流しつつ、車を発進させた。
目的地は河川敷公園。付近への車両乗り入れはご法度で、
知り合いの家に駐車させてもらい、もいだばかりの箱詰めりんごを代金代わりに渡した。あいさつもそこそこに、朝のラッシュで混雑する地下鉄駅へ直行。最寄り駅は三つ先だ。
乗った列車は、8分ほどで到着した。山岸の電話からおよそ21分が経過。本当に間に合わないかもしれない。いや、警察が絡んだリアルな事件だっていうなら、とっくに解決してるだろう。そう考えるのが自然だ。それでも、そうと分かっていでも行かなければいけない。上の言うことを聞かないとやっていけないのは、下請けの弱さ。それとも中学時代の上下関係の響きか。
情けない話だが、好奇心がまったくゼロというわけでもない。事件や異変という言葉にロマンを感じるのは、男という生き物の宿命か。オレだけじゃないが、災害には嫌というほど痛い目に遭ってる。にもかかわらず、騒動を見に行こうというのだ。懲りない性格、なのかもしれない。
エスカレーターのない出口を上る。手すりがあるので、杖をぶらぶら遊ばせながら、一段づつ階段を上がって地上を目指す。人の3倍もの時間がかかる。まったく、この右足は。何をするにもブレーキになる。
昔、妹たちくらいの年齢だったころ。オレは大きなケガをした。その時の状況は思い出せないが、交通事故だと聞かされてる。ケガってのは、トンデモなく重体だったらしい。記憶がないくらい、ダメージは大きかったのだ。集中治療室でうなされるオレにおふくろが「右足の回復は先端の再生医療を用いても不可能って、医者から言われたよ。義足だね」と言った。泣きはらしたとわかる赤い目で。
小学生は多感だ。いろんな夢をもっている。サッカー選手。野球選手。飛行機のパイロット。能力やスキルという言葉を、マンガやアニメで覚えるガキ。限界を知らないから、怖いものがない。想像する夢に再現はなく、何にでもなれる。
オレが憧れていたのはパルクール。跳んで走って登って、ビルだってよじ登る。一度、街中で行われたパルクール大会を間近で見たことがあった。VRゲームで体験し、知った気になっていたが、目前のマンションをロープ無しで超えていくヤマカシたちに、鳥肌がたった。身体能力を競う彼らのパフォーマンスはまるでストリート忍者。何夜も夢に登場するほど、オレの脳細胞に深く刻まれた。大人になったらクラブに入れてもらい、有名な選手になるんだ。漠然とだが、そんな将来があった。
遺伝医療技術は、進歩し続けている。皮膚でもどこでも一個の細胞があれば、人工多能性幹細胞、つまりiPS細胞を作ることができる。それは多分化能細胞へ、さらに機能を絞った細胞へ固定化し分裂増殖し、臓器や筋肉に形造られる。他人からの移植でなく当人の細胞だから、拒絶反応は怒らない。安全確実な移植医療が、先端医療でもなんでもなく、近所のクリニックで実現できる。だけども再生医療にも限界があった。
受精卵から胎児へ成長する過程はDNAレベルで解明されているが、一部分だけを再現することは困難だ。肝臓を作ることはできる。皮膚を作ることもできる。だがそれは、物体を構成している細胞種類が少ないから実現できるのだ。
腕や足には、皮膚から骨まで何層も、何十種類もの細胞がひしめいている。例えば皮膚は、表皮・真皮・皮下組織の3層で構成され、表皮だけでも、角質層・顆粒層・有棘層・基底層の4層がある。それぞれに細胞が異なっているのに、表皮の厚さはたった0.1から0.2ミリしかない。
そのすべてを培養、復元するには莫大な時間と金がかかる。理論的には可能でも試した事例はなかった。多分化能細胞が分裂増殖して一本の腕とするには、途方もない忍耐力を試される。仮に、実験を繰り返して再生するには相応の月日がかかるだろうし、年数が過ぎれば、外皮が安定化した足の根っこに接合するのは不可能に近いと考える。
足などの、大きなパーツの再生はあきらめるしかない。当時もいまも、それが現実なのだ。何もなくなった太ももをなでると、涙がこぼれた。個人経営の農家であるわが家は裕福ではないし、特権を行使できる地位などもってない。義足をつけるしか道はなかった。
だがそこに移植という話が持ち上がる。細胞胚培養液で保存された右脚があるのだという。朗報だった。しかし、それ以上にうさんくさかった。新鮮な人間の足が一本あるなんて、誰が考えても怪しい。その医者は言ったらしい。「亡くなった女性が提供した部位ですね。ほら、臓器提供ってあるでしょう。あれの足バージョンと思ってください。拒絶反応?問題ありません。足の遺伝子と息子さんの遺伝子。双方のRNAメチル化を整合しますので。なあに、三日で退院できますよ」怪しさはあった。おふくろは承諾した。
オレは右足を得た。義足でなくポンプ仕掛けの義肢でもない、血の通った痛みを感じる生身の足。けれど、この足は自由に動いてくれなかった。手術は成功し、奇跡的に神経さえもつながった完璧な接合。だが、主の稼働要件は満たさなかったのだ。パラリンピック選手が使うようなバネ義足のほうがましだったのかもしれないが、後知恵にすぎない。結局オレは、パルクール選手に成れなかったのだから。
あれから何年もたった。リハビリに苦労はしたが、おかげで立って歩くことはできる。だがそれ以上のことはできなかった。もう慣れたし諦めている。杖の生活もたいして気にならない。普段は。こんな風に急ぎの用があるときは、不自由な足がうらめしい。文字通り、足手まといだ。オレに合わせて成長はするので、左右の長さがずれることもなかった。肌が白く艶があるのは、提供者が女性なのだからしょうがない。
足のせいで得たものがあるとすればDNA、再生医療に興味をもったことだろう。むさぼるようにネットや本を読み漁ったおかげで、ヘタな医者より詳しかったりする。その道の専門家になりたい。潰えてしまったパルクールは夢が、新たな形へ書き換わりシフトしたわけだ。少なくとも無駄にはなってない。
無人タクシーを拾う。モニターに表れたのは運転手を模したAI画像。行き先を告げなめらかに走り出したタクシーは、3分で目的地に到着した。豊平川の河川敷公園の3車線の堤防道路。タクシーから降りたオレは、対岸の摩天楼をみつめた。100メートルを優に越えるビルの群が、午前の太陽をまぶしく反射していた。
キレイといえばきれいなのだが、ビルを繋いだワイヤーが、写真映えに影を落とす。ワイヤーは、隣あうビルの10階ごとと屋上を固定する。地震で倒壊させないため。倒壊したときの被害を最小に抑えるため、行政が打ち出した苦肉の処置だ。互いをがんじがらめにした
ビルの隙間を行き来するのは飛行ドローン。
空中で停車する飛行車の列がある。道路が横断する角には信号機が、設置されている。地上のはオレでお目視できるが、空中は仮想信号機。GPSで固定されネット搭載のカメラ越しでしか確認できないのは、経済的で実用的だ。車両AIと運転手だけにわかる信号機が、この街の交通を仕切る。信号が変わったのだろう、東西への飛行車が動き出し、南北側が停車した。全体が、屹立した島にみえなくもない。車が鳥、ドローンが昆虫だ。
「で、あれがそうか」
わざわざ探すまでもなく、山岸がオファーした”事件”はすぐ目にとまった。川を挟んだ西側。あっちの河川敷公園ではまさに事件が起こっていた。陳腐な言い方をすれば、映画の一幕。スタイルのよいプリーツスカートの女性が、長い髪をふり乱して逃げているのだ。追っているのは
今のところ生身の警官は見当たらないが、捕まるのは時間の問題。警察のドローンにロックオンされた相手は、カメラとレーダーに交代でどこまでも追い回され、最期は力尽きて降参するしかなくなる。この追跡方法が確立してからの検挙率は、限りなく100%に近いという。いきなりパトカーが出張っているのが異例といえよう。
貸しボートを楽しんでいたカップルたちが、パトカーに気づいて岸へと戻り始めていた。ちくしょう。今日は平日だぞ。
椅子で居眠りしていた営業の男が、サイレンに驚いてひっくり返った。仕事しろよ。
「あの犯人。ここまでよくもったな。おっと録画だ録画。ぽちっとな」
双眼鏡のRECボタンを押しながら、堤防を下っていく。女性は、ぶんぶん威嚇してくるドローンから、頭をかばうように走る。というより歩いている。足元はおぼつなかった。
通話がきてから40分以上の時間が過っている。山岸が情報を入手した時間をいれれば、もっとだろう。女性の体力で、それもウィンドウショッピングするようなファッションで、ここまで追跡をかわすとは驚きだ。光学ズームの倍率をあげる。どんな人か、顔をみてみたい。
「え?見たことあるぞ……」
たしかに見たことがある。有名な女性小説家。オレは紙の本が好きだったりする。文章を読むなら無料配信か固定月額の電子本が主流。一冊ごとに料金の発生する本は時代遅れだが、ページをめくるあの感覚が好きなのだ。
「フューチャードキュメント」というジャンルがある。略してFD。フリーズドライでもフロッピーディスクでもない、架空ドキュメントだ。”未来の記録”とは摩訶不思議な言葉だが、SF風のファンタジーを指す和製英語で、深い意味はない。現代の尺度から予想される未来図であることを満たせば成立すればよく、サイエンス寄りの近未来ファンタジーであればいい。
「ノーズ殺人」「中退狙撃王」「いまだ終わらぬ」は高校生を主人公にした3部作。ミステリー仕立てのスリリングなFDが、オレは好きだった。
そのFD分野の新進気鋭作家は、自らのブログに顔をさらしていた。名前は……。
もっと見れば思い出すかもしれない。双眼鏡をのぞき込む。どれだけ走らされたのだろう。もはや歩くのさえやっとだ。有名作家がどんな罪を犯したかしれないが、獲物を追いつめる猟犬のような追跡手段は、弱い者いじめにも映る。
さらに焦点を絞って疲れて表情を失ったような顔をズームアップする。突然、表情どころか、顔がなくなった。
「あ、あ、頭が……融けた???!!!」
女性の顔が、いや、頭が。顔の半分から上が、消えてなくなったのだ。スプーンでプリンをすくったかのように、唐突に無くなる。そんなふうに見て取れた。キレイだった女性。あの人の名前は……そう。
「ソレイユだ。海藤ソレイユ!」
『そのとおりだ。正解だよ、右脚くん!』
耳元でおっさんの声がつぶやいた。
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