日常をかみしめて


「ふぁ…………ねむい…………」


 冷めきったコーヒーを口に含んだ。

 殺風景な木製の机。載っているのは、カンタンな来週までの予定を殴り書きしたメモ帳と、それを書いたボールペン。と、もう一つ。眼鏡型のアイデバイスがある。正義レンジャーの適役戦闘員モブっぽいデザインだが、ネットにも接続できる万能ツールだ。


 意識を刈り取ろうとする眠気を追い払って、アイデバイスをかけなおすと、空中に、30センチほどの造形物が出現する。しばしばする目でそれを見据えながら、何十回と吐いたかなえられない言葉を、またもや繰りかえす。


「終わったら、ぜってー寝てやる。絶対にだ」


 疲れた手つきで仮想キーボードのキーを叩き、ツールとパーツを組み込んでいく。工具の形を成すアイコンが「ツール」で、ナットやボルトアイコンが「パーツ」だ。一見するとお子様用のお絵描きアプリだが、じつは今年リリースされたばかりのVR型設計ソフト。バイオテクノノジー分野で10年は先んじるパープルグレイPG社の秀作……をパクった作者不明のフリーソフト。【たまごちゃんVr2.1】という。


 本家のソフトにはない遊びが多く盛り込まれ、ネジやボルトに擬したアイコンは、好みで変えられる。たとえばエンピツとお星さまとか、フォークとケーキとか。砂と海亀に至っては意味がわからんが、作成したアイコンを無料配布する個人もいるあたり、盛況と人気ぶりがうかがえる。マジふざけた仕様だが、油臭さのある工具を使っている。鍬とジャガイモの組み合わせはいつからなかった。


 名前とおなじく操作3Dが、かわいい方向へふざけている。だがアイコンの本当の姿は、糖とリン酸でできた二重螺旋を構成する一部。A、C、T、Gの集り。いわゆるDNAである。


 DNAを制すれば、理論上、自由に生命をいじくれるわけだが、このソフトにできることはアミノ酸の羅列のみ。そう聞くと、たいしたことができないと思う人が多いが、そんなこともない。細胞は、アミノ酸の組み合わせを受けてタンパク質を作る。人の場合、それが骨になったり筋肉になったり脳になったり、白血球になったりする。具体的には、細胞が分裂するたび、RNAがコピーされ、その部分のタンパク質が適宜作成され、やがて、人という形とっていく。アミノ酸を組むことは、生命の元を設計するに近い行為なのだ。


 遺伝情報の始まりの「文字」――文字という表現するのは正しくなく語弊があるが、始まりは「ATG」。次いで、さまざまな3文字が連なって、「TGA」「TAG」「TAA」のどれかでしめくくられる。この一連こそ一個のアミノ酸を表すコードとなる。


 連続したアミノ酸が表す生物のタンパク質の設計図は単純。【アミノ酸A】【アミノ酸B】【アミノ酸C】……【アミノ酸X】が、【タンパク質A】となる。実際に用いられるのはRNA。それもメッセージとしてたれ流される「mRNA」。生命の根幹であるDNAは、分裂の時以外は何物にもさらされることなく、厳格に守られて子へ、さらに孫へと、情報を足しながら受け継がれていく。


 やっかいなのは、DNAとRNAで表記が異なること。大元はもちろんDNAなのだが、実際に用いられるのは、細胞分裂の際にコピーされたRNAのほう。こちらのヌクレオチドの塩基は、A、C、G、Uとなる。TがUに置き換わるのだ。なぜそうなるのかは、誰にもわからない生命の神秘。


 細心の注意を払っているが、直接、胚に手を入れているわけではない。いつでも【CTR+Z】で後戻りできる気楽さで、アミノ酸配列群を組み入れていく。


「充血どころの話じゃねーな。目がイテ―」


 4つの基本カラーが入り乱れる膨大なアイコン数に、めまいがする。ケーキでも押し花でもいいんだ。つまるところ、螺旋を描く2本の図形に違いはないのだから。色分けした構造に間違いないか。凝視するが良く見えない。顔を近づけてみたけど大きさは変わらない。変だ。疲れてるのはわかってる。日中の農作業を終え、風呂を上がって開始して夜通しの作業なのだからだ。


 しばしばする目をこすろうと指を伸ばしたが、ガラスがそれを遮った。たはははは。アイデバイス装着中だったと、思い当たる。キーを操作し、図形をズームアップした。わははは。よく見えるではないか我が群は。


 とりかかっているヤツには「CU32」と名づけた。番号のとおり32番目の種パターン。本日の最後、4日前から始めた件の最後となるブツだ。期限は明日だが、31番目までは完成している。ベースには、ランダムに選んだCU14を当てている。それを部分的に改変。気分的には茎の強さを強化しているつもりだが結果は芽吹いてみないとわからない。

 もうじき終わる。コンプリート。無茶な依頼からやっとさっと解放されるんだ。なまらうれしい。眠気なんか、どこかの空に飛んでいきそうだ。


 コーヒーのまぐを口にあてる。中身がなくなってる。

 誰が飲んだ。オレだよな。いつのまにか飲み干したらしい。


「オレ。だいぶ脳にきているかも、しれないなっと」


 85323から88110を切り抜いて、代わりのブロックを挿入する。


 タンパク質は、20種類あるアミノ酸の組み合わせでできている。対して遺伝子数は約2万個。さらに、ヒトゲノムは約30億塩基対で、体細胞にはその倍の60億塩基対がある。DNAと遺伝子は混同されがちで、サイトによって解釈が分かれる。バカなオレの頭も混乱したが、あちこち調べてやっと理解した。混乱になった原因は、DNAが発見されるより先に、遺伝子という概念が生まれたことだ。両者はときに一緒にされ、上下関係が不明になる。


 DNAとはデオキシリボ核酸の略で、リン酸+糖+塩基(ヌクレオチド)が二重らせん構造を取った物質のこと。

 染色体はDNAとタンパク質から成る構造物。太鼓のようなモノに紐状のDNAが巻き付いたアレである。ヒトの染色体は46本で、23+23の対をなす。

 次にゲノム。ゲノムは「自らの形成・維持するのに必要な最小限の遺伝情報」と定義されている。ヒトの場合だと、父と母から受け継いだ46本だが、片方でも形成・維持ができる。よって、染色体セット23本をヒトゲノムという。体細胞の塩基対数は60億だが、これは、染色体46本の総計を言ってる。


 最後に遺伝子。こいつが、特定のタンパク質をつくるための指令を含んだDNAだ。汎用ソフトが推奨するのはこの部分。DNA螺旋のあちらこちらに散らばって、種別によって多種多様だが、位置だけは解き明かされている。正攻法で設計や入換えが可能な領域だ。

 アミノ酸が組み合わされて、タンパク質ができる。


 1から読み解いて理解しようとすれば、人生よりも長い時間をかけ、長大な数字に挑まなければならない。医学の先人たち、コンピュータを発明した科学者たちには感謝しかない。


「ここを切って、よし。この開いたところに、オレ特製バイオブリックを……と」



 とはいえ、元は、たった20種類のアミノ酸。自然界には500種類ほどあるというが、人間にはたった20種類しかない。こいつが複雑怪奇に入り乱れて、ヒトという奇天烈な生物を作っているのだ。たしかに複雑だが、すでに解明確定しているパターンをパーツ化すれば、理論上、誰にでも、高校生にだって生命を作れてしまう。

 そのパーツを「バイオブリック」という。


 20世紀初頭に考えだされた概念「バイオブリック」は、特定のタンパク質を作ったり他の遺伝子の働きを調整したりする指令が組み込まれた個々の断片であり、部品として規格化されたパーツだ。


 住宅の建築に例えるなら、DNA塩基は釘や材木などの基礎材料で、「バイオブリック」は窓枠とか壁の既製品だ。位置を定規で計って釘をうつより、完成した既製品をブロックのようにはめ込むほうが、圧倒的に速いし安い。仕事の進みが早くなるのだから、やらない手はない。


 公の研究所で開発された有用なバイオブリックは出回ってない。PG社などが販売しているパーツは高額で、しかも1年ごとの使用料を支払わなければならない。数が多いのは、アマチュアが作って無料配布したパーツ。こちらは、50万ものパターンが日を追うごとに増えていってるが、ウィルスと不具合を警戒しなければいけない。


 信頼のおけるバイオブリックは高額、無料に飛びつくのは怪しく危険。となれば、自ら汗を流してオリジナルを作っていくより仕方がない。それしか手段がない、ともいう。資金に苦しむ自転車操業の農家経営者は、人より頭を使わないと生てはいけないのだ。


 32番目の三次元の立体構造が、形になっていく。


「終わった…………契約の32パターン、どうにか終えた……」


 螺旋が折りたたまれた「セントラルドグマ」化したところで、ひとまず完成だ。

 できたゲノムの隣では、予想される最終形態がたなびいていた。大きな葉に守られた黄色と薄紫の花。そんな変わった植物の列が、さわやかな風にふかれている。本当にこうなればいいんだが。やはり運任せの部分は避けられない。だからこそ、複数のパターンを用意するのだ。


「ふぅ…………やっと、眠りにありつける。がんばったぜオレ」


 依頼された植物の遺伝子が組み上がった。だがPC上の処理は、まだまだ続く。気温、湿度、昆虫などの不安要素を、200倍速のシミュレーションにかけて、数年後の結末を先取りするのだ。結果がでるのは数時間後。


 32のうち、いくつがテストを潜り抜けるか。オレの予想では、確実に生き延びると確信できるのは3種。あとは運まかせ。過酷な演算テストに生き残ったヤツだけが、リアルな種子として誕生できる。報酬は、数に比例する契約だが、苦労に見合った上乗せを期待したい。うまくいけば、温暖な地方でしか実らなかった伝説の作物を、寒い北で栽培できるようになるのだから。


 この先は依頼主である山岸せんぱいの仕事だ。


 テーブルモニターに浮かぶ構造モデルをフォルダーに格納し、提出するハードメモリへコピーする。アイデバイスを外して机に転がす。膝を伸ばして前かがみの上半身をおこす。中古の重役椅子から、こわばった身体をひきはがした。


「ふぁ~……PCシミュレーションの無かった昔、新種はどうしてたんだろうな? ふぁ~~」


 あくびが止まらない。15分くらいか、と、横たわれる時間をぼんやり計算しながら、ふらふらと、パーティションで仕切られたパイプベッドへ寄っていく。カーテンの隙間から差してくる朝の明かりを、恨めしくにらんだ。ばふっ。前倒しに倒れこむ。深く深く息を吐く。体中の疲れがベッドにしみこんでいくようだ。


 今なら一週間だって眠れる。意識が遠くなりかけたとき、ベッドが揺れた。


「また、地震か」


 ゆれ具合から察すると、震度は2くらい。この程度の揺れは珍しくもないが、思い出したくない記憶、半年前の出来事が、うっすら蘇がえってくるのがしんどい。あれがなければ、別の生き方をしていたかもしれない災害。足元が揺れるたびに、家が倒れゆく場面が脳裏を激しくかけめぐる。枕を頭からかぶった。トラウマは、一生抜けないのかもしれない。


 あのときオレは……。


 ポケットのスマホがバイブした。寝ていたようだが、もっと寝たかった。いいタイミングじゃねーか。地震は収まっていた。

 オレが着信音を設定しているのは電話だけだ。うるさいから、メールやアプリはバイブに限定。このバイブパターンは家族からのメール。「読んで」と言うと、女性の声が読み上げた。


『おいごう、仕事だ。〔ニコニコマーク〕』

「……オヤジから、か」


 重い体を無理やりエビぞりに起こした。ふらふら。仕事なら仕方がない。副業の皺寄せを本業に持ち込むわけにはいかないのだから。このコンテナハウスの2階は、事務所兼オレの部屋。四隅の擦り切れた90%遮光カーテンをシャーっと開くと、まばゆい朝の明るさが目にささった。ちょうど日の出だ。体内ビタミンDの三日分は生成しそうだが、充血の眼には害悪すぎる。


 窓から外を見下ろすと、スマホを手にした親父オヤジが、大きな手をふっていた。


「……どうせなら起こしに来いっての。言葉ってのを惜しむやつだよな」


 大きく伸びをし、腰の筋肉を伸ばす。ほほを叩いて、眠りかけた頭と身体を強制的に起こした。入り口の定位置に立てかけた杖を持ち、外へ出る。


 朝の5時半。きょうも、紅葉山農場が動き出す。


 12機の飛行ドローンが一斉に、収納庫サイドの小窓から飛び出していった。ハチドリに似た彼らは、ホバリングで、収穫できるまで熟したりんごに接近。ついばむように、口ばしのハサミでヘタを切断する。一機あたり2個を収穫すると、二本の足に抱え持って収納庫へ取って返す。収納庫では、待ち受けてるアルバイトたちが、段ボール箱に詰めていく。

 飛行ドローンの仕事はそれだけではない。摘み取りの次は農薬の散布。それが終われば写真撮影が待っている。プログラムされた一連を終え、やっと倉庫の定位置に戻れる。そこでバッテリーを充電し、明日の出番まで羽根を休める。頼れる作業チームだ。


 撮った写真は、色分けの画像処理がなされる。本日の収穫した分を突き合わせて請求伝票におこすとともに、明日もぎ取れる数を実の色から予測して出荷予想を決める。こうしたデータが各農家から集められ、それをもとに、市場での取引価格が算定される。


 人間が介入する余地は年々減ってきている。「こんなの農業じゃねぇ」と嘆く農家もいるが、これも時代。足の悪いオレには、とても楽でありがたい。


 地上では小型不整地ドローンダンプが、樹々の根元を縫うように、ゆっくり走行していた。地面に落ちたりんごをセンサーで感知すると、ゴム製クローラで踏まないよう実を避けて停止した。その少しあと後を、妹たちが駆けてくる。小型不整地ドローンダンプに遅れてりんごを発見。ダンプが伸ばした樹脂製の手からかっさらうように、小さな両手で実を奪いとると、ポイっと、荷台の中へ投げ入れた。


「ふたば、みつば。お前ら! も少し丁寧にあつかえ」

「いーじゃん、どーせジュースになるんだし」

「にーちゃん、いちいちうるさい」

「つぶれるてると安く買い叩かれるんだよ、小遣い減らすぞ」

「ぐ、アニキ風ふかせるー」

「ぐ、けいえいしゃだからって、えらそー」


 辺りの実がなくなったことが感知した小型不整地ドローンダンプ。妹たちに実を奪われて悔しそうに見えるのは、オレの気のせいだろう。ゴム製クローラを走らせ、ゆっくりと、次のりんご獲物の元まで進んでいく。


 地上と地面。果樹ゾーンのりんごを回収する。本日の、朝食前の仕事だ。


 オレを起こした親父は、果樹ゾーンではなくハウスの中にいる。春から導入した自動化ハウス。そこで栽培している葉物野菜の生育ぶりを確かめているのだ。種付けから始まって、栄養水質管理、収穫まで完全なオートメーションで循環する。人手がかからないからこそのAIハウス仕事なんだが、親父オヤジは、コンピュータというものをまったく信用していない。「自分の目で見て手で触ってこその農家だろう」とぼやくのが最近のトレンドだ。


 安く譲ってもらった1ヘクタール規模の中古ハウスは、完璧なフィードバックぶりを示している。くたびれた親父オヤジよりも、よっぽど信頼できる。親父オヤジは怒るだろうが。


 りんごを抱えて倉庫へとって返す飛行ドローン。慣れた手順で箱詰めしていく日雇いバイトたち。ブーたれながらも落ちたりんごを拾ってダンプに入れる双子の妹。果樹園と3ヘクタールの一般作物の畑。太陽が昇る東側のエリアの囲いには、放牧した54頭のホルスタインたちが、緑の少なくなった10月の牧草を食んでいた。牛たちは1時間も前に、親父オヤジとバイトとマシンの手で搾乳を終えている。


 今年、初めて収穫する作物もある。手伝いの顔触れも違う。朝食をつくりだすニオイが、美味しく鼻をくすぐった。すっかり馴染んだのどかな朝に、オレは目を細める。これが日常。去年もおととしも同じ。紅葉山もみじやま農場の、今年の秋の景色だった。


 明日もあさっても。それは、続くものだとオレは信じていた。


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