終章 愛の形

  百合二輪 終章 愛の形


 私は楓若葉なつは 日葵ひまり

 高校三年生を迎えた春休み、高校時代の多くを過ごした東北の街に一人来ている。

 もっともらしい理由ならいくらでも思いつくけれども、私がここに居る理由はただ一つ、恋人である皐月さつきと同じ時間を過ごす事だけだ。


 学習机に座った皐月さつきの後ろから、あれこれ口出しをする。

 表向きの理由は、就職から進学に針路変更した皐月さつきの勉強を指導する事だ。それでは受験生が一人東京から来て、他人の家で寝泊まりするには理由が苦しい。

 要するに私達は親公認の仲だ。


 私は皐月さつきの前に積んだ参考書の山から日本史Bを取り出す。


 「意外と覚えている」


 イオンの本屋で、これを買った覚えがある。


 「この参考書の範囲、まだ習っていませんね」


 皐月さつきは、平積みの本の中からか数冊を取り出すと中身を読み始めた。


 「余裕があればだけど、先にやっておくと楽」


 「先輩、もう精一杯です」


 「基礎力判定テストを目標にして勉強する科目を選ぶと良いかも」


 「まず数Ⅰからやり直します」


 「うん」


 私は皐月さつきの後ろの座卓に腰を下ろすとiPadを取り出す。

 私と美智子みちこはリスニングの良い教材を発見した。ネットで売っている英語の本を読み上げた商品だ。

 教材より分量がはるかに多く、何より楽しい。思わぬ言い回しが発見出来て一石二鳥だ。そしてたっぷり数時間はある。

 

 イヤホンを付けて、右手にはシャープペンシルを持つ。理解出来なかった文や、良い言い回しを見付けたら書き出すのだ。

 美智子みちこと交互に行う、リスニング&スピーキング練習も悪くは無かったが、それはスピーキングがあるテストの時まで取っておこう。


 二時間ほどそれを聞いた所で、皐月さつきが覆い被さってくる。

 「小休止にしません?」

 皐月さつきは廊下に出ると、お盆に紅茶とクッキーを載せて帰ってきた。


 「皐月さつきのお母さんは」

 「気を利かせて、農協の小旅行です」

 皐月さつきが悪い顔をする。農協は気を利かせないと思う。


 「先輩お茶にします?」

 「うん」

 クッキーを食べ、紅茶を飲みながらごく普通に皐月さつきの身体に触れる。


 紅茶を飲み終わると、ベッドに腰掛けた。

 「焦がれていた」

 「先輩、待っていました」


 私は、主導権争いに敗れた。

 皐月さつきに乗られ、手を押さえられた。皐月さつきと私の筋力差なら強引に逆転する事も出来るが、ここは潔く良く負けを認めよう。


 皐月さつきは私の首を抱くと、首筋の線に執拗に指を沿わす。

 思考が狭まっていく。沸き立つ衝動は皐月さつきに物理的に抑え込まれて私の中をうねる。そしてそれは獣の心へと代わる。


 息が荒くなった。私は衝動の循環から逃れようともがくが、皐月さつきに腰と首でマウントを取られて逃げる事が出来ない。

 私は思考の幅が極端に狭まり皐月さつきの事しか考えられなくなった。


 皐月さつきは片肘をつくと、私に口付けをする。私は内に秘めた獣を押さえ込もうと、渇望する様に唇を求める。皐月さつきは意地悪そうに、浅い口付けを繰り返し、私はじらされた。


 「さ、皐月さつき


 「先輩、分かっています」


 重ねられた皐月さつきの唇が私の心を慰撫する。

 たぎる私の血はどうにか秘められ、沈静の中に沈んでいった。皐月さつきが再び呼び覚ますまでは。


 皐月さつきの薬指がうなじを上下に走る。再び衝撃が体を走った。

 体がほてり大粒の汗が出てきた。皐月さつきはようやく首のマウントを外し、私の腰の上で胸を反らせた。私は荒い息が止まらない。


 皐月さつきは私のブラウスのボタンを上から二個外す。胸の谷間に指輪とロケットが露わになる。皐月さつきはワンピースの胸元からやはり、自分の指輪とロケットを取り出す。


 「先輩、好きです。受け止めてください」


 皐月さつきは満足そうな顔で微笑むとそのまま上半身を自由落下させた。


 私は慌てて皐月さつきを手で止めようとするが、間に合わず胸と胸、頭と頭がぶつかる。

 互いの胸の中で、指輪とロケットが跳ね回りキンと金属音を鳴らした。僅かに遅れておでことおでこがぶつかる。


 「いたた」


 「皐月さつき、あぶな……」


 抗議は最後まで言い切れなかった。強引に割り込んだ皐月さつきの唇が私の言葉を邪魔する。


 酸欠になり始めた頃、私と皐月さつきは唇を離した。流れ出した滴が私の顔を汚す。


 「先輩、大好きです」


 「皐月さつきは私を試す」


 「だって不安です」


 「全て皐月さつきのものなのに」


 「先輩の全てをくれますか」


 「もちろん」



 ◇◇◇



 模試開けの月曜日、勉強に飽きた私と皐月さつきはイオンのフードコートに来た。タピオカミルクティーだろうと、パフェだろうが何でも選べる東京と違って、ここではフードコートが全てだ。

 イオンの前で香織かおりと待ち合わせる。


 「日葵ひまり待たせたな」


 香織かおりは私がこの地を離れた頃より地味になった。メッシュの入った金髪だったものが、茶髪に染め直されている。髪の長さも長くなった。


 「ミスドでいいか。選択肢は無いけど」


 「香織かおり、ミスタードーナッツで」


 フードコートは春休みのせいで混み合っていたけれども、午前中のためか三人の席を確保するぐらいなら難しくはなかった。


 「日葵ひまり、この席をくっつけよう」


 「先輩、桐葉きりは先輩注文しておきます」


 「ポン・デ・リング、エンゼルフレンチ」


 「皐月さつき、オールドファッションとゴールデンチョコを」


 皐月さつきは注文をまとめると、机の間を縫いながらミスタードーナッツのカウンターに向かっていく。


 「香織かおり真広まひろは?」


 香織かおり真広まひろは、前年の夏休みの間ほとんど二人で居た。姉弟関係と考えても、少々過剰と思えるぐらい。


 「今日は親が湯治に連れて行った」


 この冬は体調が優れないと聞いていた。


 「なあ日葵ひまり、私はあんた達二人の事は理解出来ない」


 「そう」


 香織かおりは告白する。知っていた。私が皐月さつきをあれほど愛したのに、香織かおりとの親友関係が壊れなかったのは彼女が我慢したからだ。


 「だけど愛って、何でもおかしいんだな。日葵ひまりがあの日以来おかしくなった様に」


 「香織かおり、詮索しないけど」

 真広まひろとの関係の事で、香織かおりは悩んでいるのだろうか?


 「忘れてくれ」


 「ええ」


 「どうしたの?」


 皐月さつきはお盆に六個のドーナッツを載せて帰ってきた。


 「皐月さつき、カフェラテは一緒に取りに行こう」


 私は皐月さつきとともに席を離れる。香織かおりは一人残され涙ぐんだ様子だった。



 ◇◇◇



 昼過ぎに皐月さつきの家に戻ると、皐月さつきの祖父が玄関で靴を履いていた。


 「お爺さま、用事なら私が」


 「そうだな、じゃあ二人に頼もうか」


 皐月さつきの祖父は、ファイルを皐月さつきに手渡す。回覧板だ。


 「木元沢きもとざわの、唐田からださんに渡してくれないか」


 「わかりました、お爺さま」


 皐月さつきの祖父は、現役の市議会議員だ。土日は家に居て、人と会っている事が多い。私達の生き方に対する理解があり、助けられている。

 用意するために一度家の中に入ってから、出かけた。


 「唐田さんというのは?」


 「唐田商店です」


 「木元沢は」


 「この小川を登りきった所、結構遠い。一時間ぐらい」


 皐月さつきの家の前には小川が流れている。実際には農業用水だ。

 脇を農道が通っていて緩い坂道になっている。


 手袋をした右手を差し出すと、皐月さつきは左手を繋ぐ。

 麓の方の田は田起しされていたが、しばらく登ると昨年の秋刈り取られた稲の根元がそのまま残っていた。


 「うちは二回田起しするんだ。それに水の冷たさが違うから田植えの時期が違う」


 皐月さつきは、川の下流に視線を向ける。


 「休憩しようか」

 家を出てから、二十分ほど歩いた気がする。


 「お茶出しますね」


 皐月さつきはサーモスの蓋をきゅっとひねると、ボトルを私に差し出した。私はボトルを受け取ると、熱い緑茶を口に含む。


 「まだ、熱い。気を付けて」


 「冷ます時間あまり取れなかった」


 返したボトルをフーフー言いながら皐月さつきは飲む。

 目の前に、軽のワゴンが止まった。中からおじさんと、おばさんが出て来た。


 「高校生さんか?どこに行くんだ」


 「木元沢の唐田さんの所です」


 「なんだ五十嵐さんところのお嬢ちゃんじゃないか、それと」


 「楓若葉なつは 日葵ひまりです。」


 「べっぴんさんだね、連れて行ってあげるよ」


 私達はワゴンに後ろの席にお邪魔する。


 「山の方からだとイオンは遠くてね。自動車が出せないじいさんは唐田さんの店よく使ってるよ」


 悲鳴をあげるエンジンに鞭打ちながら、ワゴンは坂道を登る。

 鬱蒼と木が茂った一角で車は止まった。


 「唐田さんによろしくな」


 「ありがとうございます」


 「どういたしまして」


 軽のワゴンはさらに上の方に走り去っていく。


 「ほらここで暗渠になってるでしょ」


 皐月さつきは指で示す。皐月さつきの家の前から続いている小川は、ここで塩ビのパイプに変わっている。これ以上山の方は、山からの湧水そのものを農業用水に使っているらしい。


 車を降りた場所から、数段階段を下り唐田商店に入った。

 洗剤や日用の消耗品の他に、お菓子、ジュースを売っている小さな商店だ。


 「失礼します」


 「いらっしゃいませ」


 店の奥から女性の声が聞こえる。出てきたのは化粧気の無い、しかし綺麗な中年の女性だ。


 「まあ、五十嵐さん家の皐月さつきちゃんとお友達かな」


 「唐田さん、回覧板です」


 「ありがとう。お茶をご馳走しましょう」


 私と皐月さつきは、馳走になる事にした。


 こたつの掘られた居室には仏壇がある。決して広くは無かったが二人ほど生活していた感じがした。


 「ご焼香を」


 私は、カトリックだが他の宗教を尊重する様に育てられてきた。


 「時子ときこも喜びます」


 「ご姉妹ですか?」


 皐月さつきは無邪気に聞いてしまう。


 唐田さんは私の方に向き直る。


 「失礼ですが、五十嵐さんの所に泊まっていらっしゃる楓若葉なつはさんですよね」


 しばらくの沈黙があったが、私は全てを察した。唐田さんと時子さんは、私と皐月さつきと同類だ。


 「そうです。失礼を」


 こんな場所にも女性同士のカップルが生きる術が有るなんて思いもしなかった。私は視野狭窄に陥ってるかも知れない。


 「いえいえ、こちらこそ失礼を。失礼ついでにお名前を」


 「日葵ひまりです」


 「日葵ひまりさんですか。良い名前です」


 「ありがとうございます」


 「あの時私達は港にいて、車で必死に逃げたんですが、波に飲まれてしまって私だけが助かったのです」


 「ごめんなさい」皐月さつきが謝った。


 「いえいえ、今時子の位牌がここにあるのも、全て皐月さつきさんのお爺さまのおかげです。感謝しています」


 私達の事について、皐月さつきの家が甘いのは最初では無いからだ。その事を理解し、先達に感謝する。


 「どれ、もう三時だし、店を一旦閉めて、貴女達を送って行きましょう」


 唐田さんは暖簾を降ろすと、一旦庭で何かをした後、店の扉を閉めた。軽のハッチバックを車庫から出すと、後ろに乗るように促す。


 私達はもう隠す事も無く、手を支えて皐月さつきを奥に乗せると、狭い後ろの座席で体を寄せた。


 「日葵ひまりさん、全部やり遂げる気でいるんでしょう。目から分かる」


 「はい」


 「がんばってちょうだい。皐月さつきさんを幸せにしてあげてね」


 軽のハッチバックは来た道を下る。来る時は後ろ側であまり見えなかった海が、目前に拡がる。


 「浜ではたまに骨が見つかる事が有るのです。誰のだか分からないから役所に届けるけど」


 「浜に行くのですか」


 「たまにね」


 そのまま十分も走ると皐月さつきの家に着いた。


 玄関に横付けされた車から降りて、私達は唐田さんにお礼を言う。


 「うちに咲いていたものでね、きちんと包装していなくて悪いのだけど」


 唐田さんは、そう断ると紙に包んだ二輪の真っ白な椿の花を差し出した。


 「貴女達に至上の祝福を」



 終わり

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百合二輪 しーしい @shesee7

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