写真と指輪 第三節

  百合二輪 写真と指輪 第三節



 学校新聞と写真乾板を教頭先生に持って行くと、想定外だったのか驚かれた。

 「見つかったのですか、これはびっくりです。流石ですね探偵クラブは」

 「びっくりなのですか」

 私は苦笑した。

 「蘇我君、見つかったよ」

 教頭先生が学校事務の蘇我そがさんに声を掛けると、崩れ落ちた。

 「書類八割書いちゃったんですよ」

 教頭先生と私達二人は直通ドアから日本庭園に出る。

「こんな近くだったなんて盲点だな」

 教頭先生自ら先導して歩く。高齢だというのにコート無しだ。

 非常に寒かったが、そのまま付いていくしか無かった。

 この学校の日本庭園は、石橋、橋で繋がった二つの池と築山で構成される。問題点は松の木が大きくなりすぎてせっかくの築山つきやまの風情を殺しているところだ。

 写真乾板を持って、日本庭園をぐるりとまわる。築山の裏側には玉砂利が敷かれている。長い間入れ替えていないのか苔が混じっている。

 「松の木は大きくなっていますけど、枝振りからしてこの辺でしょうか」

 私は写真を眺めながら、ちょうどよく枝が見える角度を探した。

 「松の高さが当てにならないのが痛いな」

 日葵ひまりは築山の高さと私の背の高さで三角測量の様な事をする。

 「だいたいこの辺りでしょうか」

 その頃には私は鼻水を垂らしていた。日葵の頬も真っ赤だ。

 「ああ、これだ、きっとこの蓋だ」

 教頭先生は作りの良さそうな、革靴で玉砂利を蹴ると下からマンホールの蓋を見つけ出した。

 「寒い中すまなかったね、コーヒーを驕るよ」

 教頭先生は震えている私達にようやく気が付くと、教諭室に戻る道を歩き出した。

 ティッシュペーパーを借りて、赤くなった鼻をかむ。

 「なるほど、落ちる人がいるから危なくて井戸を閉めてしまったのだね」

 教頭先生は、学校新聞を読みながらコーヒーを飲む。

 「どうなさるのです」

 震える手を缶コーヒーで温めながら日葵が教頭先生に聞いた。

 「専門外だからね、檜田ひのきださんを呼ぶよ。流石につるべ井戸じゃ危ないし」

 檜田さんは、システム造園の社長だ。探偵クラブの最初の依頼者で、少し事情のある報酬を頂いている。

 「報酬はこれにしよう。君達探偵クラブを正式な部活として認めよう。実の所本当に見付けるとは思わなかったので、ついでに部設立申請の十月に遡って」

 教頭先生は割と失礼な事をさらりと言う。

 ついでに部活動費支給による、実質的な現金授受のような気がしたが黙っておく事にした。大量の本を買っていて、それらは全て私と日葵の持ち出しであったから助かる。

 教諭室から、化学準備室に戻る。

 化学準備室は一階にあり、教諭室とはちょうど裏玄関を挟んだ反対側だ。この棟は専門教室がまとまっている。西側の二号棟には一年と二年の教室がある。二つの棟は一階から三階まで渡り廊下で繋がっているが一階だけ吹きさらしである。そのような訳で、化学準備室には人が寄りつかない。汚れて危険のある化学の授業は忌避されるという理由もある。実際、天文部も物理部も生物部もあるのに化学部だけが幽霊部になっている。

 資料室の鍵を、教頭先生に返すの忘れたので、しばらくガラス乾板を眺める。

 「昭和四十七年の制服とあまり変わりが無いようです。大正八年八月吉日と書いてありますね」

 昭和四十七年とは、最初の依頼の時のお社の建立時期だ。その頃の卒業アルバムを何度か見た。

 「大正なのに袴に着物じゃない」

 日葵は残念がった。

 セーラー服は意外と早くから導入されていた様だ。今のブレザーの制服が導入される前は、ボレロだったので、それから二回ほど変更された事になる。日葵は袴・着物、ブレザーよりボレロの方が似合いそうな気がする。

 「日葵、何故二人だけの写真を撮ったのでしょうね」

 当時写真は安くはなかった筈だ。

 「二人指輪付けている」

 日葵は写真を見ながら意外な事を指摘した。

 「まさかそんな事ありません」

 私は虫眼鏡を探すと、二人の指の辺りを子細に眺める。確かに、指輪らしき物が二人の薬指に見える。真夏の太陽が指輪を照らし、光らせているのだ。

 「日葵、本当ですね」

 「指輪を見せつけている様に見える」

 「両者婚約が決まって、お祝いの写真ではないでしょうか」

 当時は、学生の時に婚約が決まって、そのまま結婚する事もあったかもしれない。

 「そうかもしれない」

 一通り調べると、資料室の鍵を返しに教諭室に戻った。


 学年末考査の採点が終わり、私と苗代なわしろ先生は初デートに出かけた。

 先生から返事を頂いてから今まで一ヶ月半は、学年末考査があるので二人とも時間が無かった。

 私と苗代先生は抜き打ちテストの裏に私が書いたスケジュール通りアクアパーク品川に行った。

クラゲが乱舞する様を眺めながら、私は苗代先生と手を繋いだ。ここは暗くてあまり人目を気にしなくていい。先生は背が低いので、少し手を持ち上げる。

 「春日かすが

 「美智子みちこでいいですよ」

 「学校でもそう呼びそうで」

 苗代先生は潤んだ目で見上げる。これは禁じられた恋だ。切なさがこみ上げる。

 「あそこベンチが空きました、座りましょう」

 先生の手を引っ張る。

 二人でベンチに腰掛ける。子供連れがイルカのショーに向かって足早に歩く。だれもこちらを気にはしない。

 苗代先生がその体重を私の腕に掛ける。

 「一瞬で全てを失いそうで怖い。それには耐えられない」

 先生は繋いだ手に力を込める。

 私は周りの目を気にせずに、上から苗代先生の唇を奪う。

 「ん」

 苗代先生の手から力が抜ける。

 「大丈夫とはいいません。今は楽しみましょう」

 「春日は、いつもキスで解決しようとする」

 「今はキスぐらいしか出来ませんから」

 「春日、もう一度」

 ねだられたキスに応える、舌が少し入り先が触れあう。

 頭の中が痺れる。口付けってこんなにも気持ちが良かったのだ。

 傾いた苗代先生の体を腕で支える。図らずも腕で抱いてしまう形になった。

 そして先生が私の胸に倒れ込む「このまま、時が止まればいいのに」

 そのまましばらくベンチで抱き合っていた。

 「さあ、イルカのショーを見に行きましょう」

 苗代先生の手を引いて、長いエスカレーターに乗る。

 「先生、水をかぶる席にします?」

 「普通の席でいいや」

 とは言え、土曜日なので混んでいて少し水が被る席しか残っていない。

 ショーが始まり、イルカが水面を自在に走り、水上で踊る。

 「先生、イルカって自由に飛び回ります」

 私は、イルカの舞に夢中になる。

 「でも、彼らはこの水族館の水槽に拘束されている」

 「必ずしも、自由ではないのですね」

 「でも、私は春日を自由にしたくない、独占したい」

 先生が私に腕を絡める。

 イルカが意地悪そうに、ひれで観客席に水を撒く。

 「先生、私も先生を拘束したいです、私が成人するまでの二年互いに手を出せないのですから」

 「楓若葉みたいに、指輪を作るか」

 「それも、一つの方法かもしれません」

 イルカはひときわ高く飛んで、ショーは終わりになった。

 その後、品川駅前のカフェで、パフェを食べた。苗代先生から苺を一粒分けて貰う。

 「私は小さいから食べる量が少なくていい」

 「では遠慮無く頂きます」

 苺を運ぶスプーンと、苺が落ちない様にクリームに載せるスプーンが交差する。

 「ふふ、恋人みたいです」

 「恋人だ」

 苗代先生が心外だという顔をする。

 「でも普通の恋人の様に何でも出来る訳ではないのです」

 「……」

 「先生、抜き打ちテストの裏側に書いたスケジュールの最後のは無しにしましょう」

 このデートは概ねそのスケジュールに従っている。

 「春日……」

 先生は耐えられないという顔で、私を見上げる。

 「先生……望むなら私は……」

 「いいんだ、分かっている」

 先生は、悔しさに涙を滲ませた。


 二月末、システム造園の檜田さんが井戸を調査に来た。

 私と日葵は見物する。

 「古い井戸はガスが貯まっている事があるので危険なのです」

 檜田さんが、マンホールの蓋を開けると、中は石積みの井戸になっていた。

 「古そうですね」

 私達は少し離れてその様子を眺める。

 「ここら辺は大名屋敷になっていたから、江戸時代から有るのかもしれない」

 教頭先生が中を覗き込む。

 檜田さんが、石を投げ込む。ポチャンと音がした。

 「まだ生きていますね。先生どうします。手動ポンプを設置しますか」

 「頼むよ、あくまで防災用だからね」

 「まず底の様子を確認しましょう」

 檜田さんは、玉砂利の敷いてある地面にアンカーを三本打ち込むとザイルを付けて井戸の底に身軽に潜った。

 「壁は大丈夫そうですね。私が気を失ったら引き上げてください」

 檜田さんの声が反響して井戸の中から聞こえてくる。ガスの可能性に言及しながら、センサーはご自分の様だ。間も無くザブンと音がした。底についたのだ。

 「横穴がやはり石組みで掘ってありますね。本当に古い物の様です、時代が分かる物が結構落ちているものですよ」

 檜田さんが何かを探っている様だ。

 「ポンプを設置するなら多少浚渫する必要がありそうです」

 「では、それで頼む。檜田さん。後で見積もりを出してくれないか」

 とんとん拍子で、契約が交わされてゆく。私立の教頭先生の権限というのはこんな感じなのだろうか。校長先生はお飾りに違いないが。

 檜田さんが、腕の力で井戸から這い出てきた。

 「なんだろうね、これは。底に有ったんだ」

 檜田さんは、何かを指で摘まみ私に差し出す。

 それは、金属線で結ばれた二つの指輪だ。これは銀だろうか、白い輝きが見える。

 「なんでしょう、これは?」

 私は指輪を手のひらで受け取る。

 「何か内側に彫ってある、半分錆びてるけど」

 日葵は、指輪を拾い上げると子細に眺めた。

 「石組みと水の境に有ったんだ」

 檜田さんは手を使ってそれ説明した。

 「じゃあ、それは探偵クラブへの依頼だな。出来る範囲で」

 教頭先生はあっさりと、指輪の調査を探偵クラブに依頼した。やはり選択の余地はなさそうだ。


 「先生、硫化銀を洗浄するならチオ硫酸ナトリウムですか」

 壁越しに苗代先生に声をかける。

 「アンモニアでもいいけどね。どちらも錯体を形成して硫化銀を溶かすんだ」

 銀は、硫化物にさらされると硫化銀を形成して黒くなる。残念ながら硫黄酸化物は大気中にあふれている。

 この指輪は半分水の中に有ったので、還元雰囲気で半分だけ輝いている。

 化学実験室で暖めたチオ硫酸ナトリウムの飽和水溶液を作り、指輪を入れる。

 「意外とすぐ、銀色になる」

 日葵はビーカーを覗き込む。

 「そうですね、もう少し小さいビーカーで良かったですね」

 指輪を水洗する。指輪を繋いでいた金属線も銀線の様だ。

 「それぞれ、【TEMOTO MARIKO,MISAKI YURIKO】」

 日葵は拾い上げ読み上げる。

 「そういう事ですね」

 「皆、同じ事を考える」

 日葵が寂しそうな目をした。

 女性同士で愛し合った二人が、考える事は時代にかかわらず同じようだ。

 でも日葵が遠距離恋愛で、相手を独占するため。私が禁断の恋で、相手を拘束するため。ならば、指輪を井戸に投げ込んだ二人の意図は何だろう。

 「あの写真の二人でしょうか」

 「全ての卒業アルバムを調べる訳にはいかない、それで絞って駄目なら諦めよう」

 日葵はそう言って、歩き出す。

 教頭先生から再度、資料室の鍵を借りた。気に入ったのか、日葵は資料室の鍵をクルクルとまわす。

 「手許 真理子、御崎 百合子。卒業を控えて、この写真を撮ったんだろう」

 大正八年度の卒業アルバムを探していた日葵が二人の名前を探し出した。

 「写真乾板の二人と、似ているような気もしますけど分かりません」

 この時期の卒業アルバムの集合写真は不鮮明だ。

 「ここで調査は終わりだ」

 「あの後調べてみたのですが、婚約指輪は昭和中期頃から広まった習慣みたいです」

 すなわち、この指輪の主は結婚のつもりで指輪を作り、井戸に投げ込む事によってそれを永遠としたのだ。たとえ親の決めた結婚に従いつつも。

 「この時代の女性同士の指輪には、相手を独占する事とは違う意味が込められていたのかしれません」

 それでも結婚とは重い意味だ。この二人は行き着くところまで行ったのだろうか。日葵みたいに。私は当分そこまで行けそうに無い。私はこの二人に嫉妬した。

 「まだ教諭室は空いている、教頭先生に報告に行こう」

 日葵は資料室の鍵を今度は小指でまわす。

 私達は、図書館棟から一号棟と二号棟を通って教諭室に向かった。

 もう何度も教諭室に来ているので、中の教諭達や事務職員がざわつく事は無くなった。何故学年廊下は未だに避けられるのだろう。

 「お付き合いしていたんだね。よくある事だよ。共学だと気が付きにくいだけで」

 教頭先生は私達を見透かした様な事を言って、報告を聞いた。

 「指輪はどうするんだ」

 教頭先生は椅子を引きながら聞いた。

 「懐中時計の神棚に合祀しようと思っています」

 懐中時計の神棚は、天照大神が主神となっていない。あくまでお社のご神体を移したので、百合神様が主神だ。だからあと二社残っている。

 「それがいいかもしれない。もう百年経っているんだ。付喪神がついているだろう」

 付喪神は百年を越えると物につくらしい。ちょうど百年だ。でも私はそれ以上に指輪に込められた彼女達の永遠の誓いを尊重したい。

 日葵は資料室の鍵をジャケットのポケットから取り出す。

「ああ、返さなくていいよ。資料室の鍵、今後の調査に必要だろう。それが報酬だ」

 教頭先生は一度受け取った鍵を再び日葵の手に渡した。

 日葵は嬉しそうだった。


  続く

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