写真と指輪 第二節

  百合二輪 写真と指輪 第二節



 「皐月さつき、愛してる」

 「指輪を作った、そちらに行く時に持っていく」

 「ありがとう」

 「シルバーで、皐月のフルネームを彫った」

 「皐月と私のフルネーム、一緒だ」

 「行く時が楽しみだ」

 「そちらは」

 「おじいさまは」

 「良かった」

 「早く会いたい。すぐに会えるのに体が疼く」

 「さみしさが募る、こんなに愛しているのにキスも出来ない」

 「ありがとう」日葵ひまりは電話口にキスをする。

 「本当は、その首筋にキスで跡を付けてしまいたい」

 「見えるところには付けない」

 「うん皐月の胸に顔を埋めてしまおう」

 「そして、皐月をベッドに横たえて、乱暴にもみしだく」

 「強く吸い、甘く歯を立てる」

 「膝を差し込み、皐月を高みに上がらせる」

 「すごく興奮した」

 「うなじを触られると、襲ってしまう」

 「いつか、皐月を襲って、無茶苦茶にして、全てを自分のものとしたい」

 「無理。皐月の家だ」

 「許されるなら、皐月を何度も抱き、二人息絶え絶えに朝を迎えたい」

 「その後一日中何も出来なさそう」

 「あと一年も待たなければならないなんて」

 「さみしい」

 「夜のLINEを終えたあと、これ以上無くさみしくなる」

 「隣に居てくれれば良かった」

 「隣で寝ているならもちろん、セックスする」

 「それは電話では言えない」

 「今も夜は焦がれて濡れる」

 「自分でするよ、写真を見ながら」

 「ううん」

 「でもその後泣いてしまう」

 「大丈夫」

 「こんなにも会えないから」

 「ディスニーランドは楽しかった」

 「もうすぐ会えるというのに、焦がれる」

 「セックス出来るといい」

 「でも、一緒に居られるだけでも幸せだ」

 「ディズニーランドの時のお別れのキス」

 「舌が入った」

 「入れたのは皐月だ」

 「ミニーの前で」

 「写真撮って貰えば良かった」

 「東京駅ではさみしかった」

 「東京ばな奈」

 「東京土産は難しい」

 「東京駅から新幹線で行く」

 「皐月、すぐに行くから」

 いつもの日葵の痴情電話だ。慣れたけど、それでもムラムラとする。

 「日葵ボイスレコーダーのスイッチ入りっぱなしです。全部録音されています」

 「美智子みちこ、消しておいて」

 「日葵のですよ」

 日葵のボイスレコーダーを持ち上げると、停止ボタンを押す。

 「消し方が分かりません」

 「置いておいて」

 日葵は余韻に浸る様に、爽やかな顔で窓辺を行ったり来たりしている。

 「先生今日の感想は」

 壁向こうの我が恋人苗代なわしろ先生に評価を求める。

 「いつも通りちょっと興奮するのだけど」

 「ムラッってしました?じゃあ先生学年末考査の採点終わったら週末デートに行きましょう」

 「やめて、大きな声で言わないで」

 「美智子、こっちは終わった。図書館に行こう」

 いつも通りの冷静な顔に切り替えると、日葵は預かった鍵を指でクルクルと回す。

 あんな事話していて濡れないのだろうか。


 教頭先生に貰った鍵で、図書館裏側の資料室のドアを開ける。

 「流石に、物が多いですね」

 どのぐらい多いかというと、化学準備室より物が多い。

 「まず何が使えそうか、ざっと見ていこう」

 日葵は窓際から資料を見ていく。

 卒業アルバムが有る。卒業アルバムは何度か探偵クラブで使った。今回は監視の先生は付かなかった。教頭先生直々の仕事だからかも知れない。

 写真の印刷が始まるのは割と古い。

 「明治から集合写真を印刷しているのですね」

 一冊を手に取って眺める。上品な朱のクロス仕立てに、校章箔押しの豪華な仕上げだ。大正期もほぼ同様ながら写真もページも増えている。太平洋戦争前後にかけては、アルバム自体無い。昭和二十三年に復活している。流石に紙質が悪い。

 「集合写真以外はあまり無いですね」

 有っても、校長や教諭の写真だ、

 昭和四十年頃から様々な写真が増えている。学校の施設や部活動の写真、体育祭、創立祭の写真などだ。

 「カメラが普及したからですか?」

 「さあ」

 「空中写真も有ります」

 「空中写真の質があまり良くない」

 「航空写真の原本は教頭先生も調べたと言っていました」

 「美智子、これはあとから調べよう」

 次の書架に移る。ここは写真アルバムのようだ。とはいってもプリントが貼ってあるわけではなく、現像したフィルムが入っている。それが膨大な数書架に並んでいる

 「無理ですよね」

 「無視しよう」

 日葵は歩を進める。

 次の書架の床にはガラスの板が山の様に積まれている。

 「何でしょうか」

 私はガラスの一枚を取る。人の様なものが映っているが薄くてよく分からない。

 「これ、写真ですよ。何が映っているんでしょうか」

 「写真は無理だ」

 日葵は首を横に振る

 このガラスが全て写真だとしたら、数はそれほど多くはないが、調べるのは体力的に骨が折れそうだ。

 その奥に行くと、学校史の紙包が積まれている。七十周年、百周年の二回ほど学校史を発行したらしい。売れ残った在庫がこの通り資料室に残されている。

 「これに載っていれば良かった」

 「これは教頭先生は既に調べたそうです」

 「帰ろうか、美智子、ガラスは元に戻そう」

 「あれは何でしょう」

 私は指さす。A4サイズより大きめのファイルに何か閉じられている。

 「学校新聞です」

 私はファイルの一つを手に取る。新聞部が発行している月刊の壁新聞だ。部活動の成果報告や賞罰、生徒の転入、転出、教諭の異動、他注意事項が描かれている。あまり読んだ事は無い。

 「美智子、これなら量が多くない」

 「井戸の事書いてあるでしょうか?」

 見当を付けて昭和三十五年八月号のページを開く。

 当然かも知れないが、全て手書きである。

 「何か書いてある?」

 日葵が肩越しに覗く。

 「うーん、惜しいです。ここに『井戸に注意』」

 誰かが落ちでもしたのだろうか。注意事項の欄に、他の項目と共にそれは書かれている。

 残念ながら具体的な場所が書いていない。少なくとも井戸は存在する事は確かめられた。

 「昭和三十五年から昭和三十八年の間、何かの理由によって井戸が閉じられた可能性がある」

 「私昭和三十六年やります。日葵は昭和三十八年から逆順にお願いします」

 「手分けしていこう」

 日葵は昭和三十八年のファイルを引き抜く。

 とは言え、一年十二枚だ。日頃はその成果を顧みる事の無い新聞部だが、情報が凝縮してまとまっているのは助かる。今度から新聞部の活躍を少しは見直そう。

 「昭和三十七年九月号、『危険なため井戸を廃止しました』」

 日葵が井戸の廃止の証拠を発見した。

 「それで、昭和三十八年の校内図には井戸が書かれていない訳ですね」

 「具体的な場所があればなお良い」

 「日葵、有りました、昭和三十六年十二月号『先月十一月十日、一年生一名が庭園裏の井戸に転落しました。皆さん注意してください』」

 「やった美智子」

 日葵とハイタッチする。庭園とは、教諭室裏手にある日本庭園だろう。残念ながら手入れが行き届いている訳ではなく木が無駄に高くなりすぎている。

 難航するかと思われたこの依頼だが、無事に完了だ。

 「そのガラスを返しに行こう」

 「ちょっと待って、日葵、これつるべ井戸ではない?」

 薄くてよく見えなかったガラスの写真だが、光の具合で二人の人物と井戸のようなものが見えた。

 「そんな」

 「一応持って帰ってみましょう。このガラス」

 「今日はもう遅いから新聞とそれを化学準備室に置いたら帰ろう」

 日葵は左手に学校新聞を持つと、右手の指で鍵を回し始めた。


 翌日、日葵の入れた紅茶と、苗代先生のミルクで小休止しながら三人で写真について話す。

 「先生どうでしょう」

 「二人の人物の後ろに、井戸が写っている気もする」

 苗代先生は、目をこらす。

 「そう?」

 日葵は懐疑的だ。

 ガラスの写真の事をガラス乾板と言うらしい。明治中期から昭和初期まで使われた方式だ。

 「薄いというより、ピカピカに光っている」

 先生は、ガラス乾板を日に透かしたり、斜めにしたりして調べている。

 「どうにか出来ないのですか」

 私は食い下がる。

 「銀鏡って劣化らしい。どうにか出来ないのかな?」

 苗代先生は、パソコンに向き直るとウェブで何かを見ている。

 「銀鏡反応なら知っています」

 授業でも習う化学実験だ。

 「特許切れたばかりの技法だけど、銀鏡を除去してみよう」

 苗代先生は内容をプリントアウトする。

 「用意するものは?」

 日葵は残りの紅茶を飲み干すと立ち上がった。

 私は、急いで飲もうとして取り残された。

 「無水エタノール、メタノール、脱脂綿は……無いか、ま、キムワイプでやろう」

 先生はプリントアウトを見ながらリストアップする。

 キムワイプというのは鼻をかむと鼻が痛くなるティッシュペーパーみたいなものだ。ほこりが出ない。

 まずはエタノールで丹念に表面を洗浄する。

 「春日、キムワイプは固いからあまりゴシゴシしないでね」

 先生に指摘されて、私は拭き取る力を少し弱める。

 「メタノールに、塩化物を混ぜるのか。還元された銀を塩素イオンで塩化銀にして物理的に取り去るのかな。【The solubility of silver chloride in methanol+water mixtures.】という論文が有るけど、科研費ないしな」

 苗代先生の指示に従って、日葵は淡々と処理液を調合していく。先生は何時になく冗舌だ。

 先生は処理液にキムワイプを浸すと、ガラス乾板の表面を拭き取っていく。

 「先生、落ちていますか?」

 先生の背中越しに作業を覗く。

 「落ちているけど、ムラにならない様にするのが、職人技かも」

 苗代先生はすぐに泣き言を言い出した。決して大量に処理出来る方法ではないという事だ。

 「先生、交代します」

 日葵は美術が得意なだけあって、ムラにならない方法を心得ている。

 「確かに井戸が有る」

 日葵は認めた。銀鏡の下から井戸と二人の女性が鮮明に浮かび上がった。


  続く

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