写真と指輪 第一節

  百合二輪 写真と指輪 第一節



 苗代なわしろ先生から色よい返事をもらえたとはいえ、前途多難だった。

 情欲も愛の形などと格好良い事を言ったものの、私が成人するまでは、身体的関係を結ぶのは非常にリスクのある行為だ。少なくとも卒業するまでは最低限の接触に努めるべきだろう。

 特に社会的地位のある先生は、それを失う可能性が高い。

 成人となる令和四年四月一日まであと二年少しある。でも先生も私も我慢出来るとは思えない。リスクの少ない良い方法を考えなければならない。

 私と同じ歳である楓若葉なつは 日葵ひまりは恵まれている。既に皐月さつきさんと肉体関係を結んでいる日葵だが、日葵の一個下の皐月さんは成人年齢引き下げの経過措置により日葵と同日に成人となる。日葵は令和四年四月一日に皐月さんと結婚出来る。親黙認の日葵達だから、同棲だけならもっと早くに出来る。もっとも今は遠距離恋愛で、生殺しには違いない。

 「十八歳成人制度がもう少し早ければ良かったのですが」

 私は窓の外を眺めてため息をつく。

 「そうだな、美智子みちこ

 冷え切った風が、木々を揺らす。この化学準備室のある古い校舎の窓は木枠の窓にアルミサッシをはめ込んだ物で、どこからかすきま風が吹き込んでいる。

 「勉強しましょうか」

 「美智子、お互いリスニングの成績が相対的に悪い」

 いきなり日葵が事実を突き付けた。教材が足りないのだ。TOEFLなどの教材を使ってはいるものの、CDに含まれている例題数には限度がある。

 「かといって今さら、予備校のオンライン授業を使いたくはありません」

 あれは模試で自校生が優位になる様に意図的に操作を加えているのだ。不確かな論拠で私は反論する。

 「Skypeでネイティブの人と喋るのはどうでしょう」

 「時間を取られるし、ネイティブといっても語彙数が限られる」

 「それではどうしましょう?」

 「英会話と一緒にやろう、互いに喋って、互いに聞く」

 日葵はたまに不思議な事を思いつく。しかし発音が悪ければ、意味が無いのでは。

 「底本は何にしましょう」

 「現代ミステリーの英語版」

 「なるほど、それでも成績が上がらなかったら諦めて予備校を使いましょうか」

 私と日葵は今度の土曜日に、丸の内の丸善まで対象となる本を探しに行く約束をした。別にネットで買っても良いのだが、中身をチェックして英会話の対象に相応しいかチェックしたい。

 「大丸に寄りたい」

 「珍しいですね。服でしょうか」

 「指輪」

 ぽつりと日葵は答える。

 なるほど、皐月さんと指輪を交換するのか。独占欲の強い日葵だけに、遠距離恋愛は堪え始めた様だ。

 「学校では外さないと、指導を受けますよ」

 「チェーンで首にかける」

 「日葵、皐月さんとサイズは交換しましたか?」

 「まだ」

 日葵は恋愛に関して、たまに中学生の様だ。日葵にとって皐月さんは運命の人であると同時に、初恋の人だ。行き着くところまで行きながら、恋愛経験は皆無に等しい。もっとも人の事は言えない。

 「測って上げましょう」

 ノートの端を定規で切り離すと、日葵の左手の薬指に巻く。陸上をしていたせいか、思ったより太い。

 「私も先生を指輪で縛って独占したいです」

 「皐月の全てが欲しい」

 「あと二年で結婚出来ますよ」

 「二年も」

 日葵は涙ぐむ。


 「こんなに買う事は無かったのでは」

 丸の内オアゾのエスカレーターを下る。ペーパーバックスは軽くてかさばるとは言え、六冊も買うと流石に持ち重りがした。

 「参考書も六冊買った」

 参考書の方は、日葵が持っている。確かに日葵の方が重いには違いない。ちなみに参考書は半分ぐらい日葵と共有している。大量の参考書を買うための知恵だ。

 「お昼前だし、何か食べていきましょう」

 「多分、高い」

 グルメマップの前に立って、二人で吟味する。大きなビルで沢山の食べ物屋さんが入っている。探すのも一苦労だ。

 「お蕎麦屋さんなら大丈夫だと思います」

 地下一階のショッピングモールに降りると、蕎麦屋を探す。

 「なんとか予算内で収まりそうですね」

 「参考書が思ったより高かった」

 日葵は店に入ると、人数を店員に伝える。

 地下階は会社員向けなのか、土曜日はあまり混んでいなかった。

 席に案内されてコートを脱ぐ。日葵は紺色のシックなワンピースだ。大人っぽい。ちなみに私は、オレンジと赤のブラウスに、黄色のチェックのパンツだ。サイケデリックかも知れない。

 「日葵そのワンピースとても格好がいいですね」

 「ZARA」

 何着ても似合うというのはずるい。私は色彩感覚がおかしいのか、たびたび親に色キチと悪口を言われる。

 私は、袋の中のペーパーバックを一つ取り出す。【Guns, Germs, and Steel】簡潔な英文で読みやすい「これミステリーではありません」

 「上下巻の下巻だけ」

 日葵は参考書の一冊を袋に戻すと、肩を落とす。

 「やはりこれノンフィクションです。この著者は【Why is Sex Fun】という本も書いています」

 「同性愛者の性行為はどう解釈している?」

 「また買いに来ましょう」

 お通しが来たので、お喋りを中断した。

 「本物のワサビですね」

 日葵は易々と、ワサビをすりおろす。私はワサビを上手に把持出来ず、爪を削ってしまった。

 「美智子、爪は切っておいた方がいい」

 綺麗に短く切りそろえた爪を見せながら、日葵は忠告する。

 「忘れていました。いつあるか分かりませんから」

 お腹を満たすと、私達は大丸の宝飾品売り場に行った。

 「指輪は初めてだ」

 「それはそうですよ」

 私は日葵の背中を押す。

 日葵は必要な要件を書いた紙を取り出すと、ショーケースの前に立った。

 何時も堂々としている日葵が、落ち着かない。指輪を贈るという行為は、かくも重大な事なのだろうか。

 「日葵参考書持ちますよ」

 「ありがとう」

 両手に、ペーパーバックスと参考書を持つと流石に重い。

 日葵のプライバシーを聞かないために、離れたかったが行き交う人とぶつかるので、少し後ろに立った。

 IGARASHI SATSUKIか、ローマ字だがフルネームは初めて知った。指輪本体はシンプルなシルバーの指輪だが、日葵は指輪の裏側に二人のフルネームを刻むつもりだ。

 婚約指輪のつもりなのだろうか。結婚するまで相手を独占するための。

 女性同士だと明らかなのに店員は涼しい顔をして対応する。珍しくないのだろうか。

 「二月終わりに出来る」

 「渡しに行くのですか」

 「ええ」

 日葵がはにかんだ笑顔を見せる。


 次の月曜日、日葵は化学準備室に遅れて来た。

 「三者面談ですか」

 「色々聞かれた」

 日葵はリボンを外すと、鞄の中からロケットを取り出し首に掛けた、

 「人前でロケットを開けるべきではなかった」

 日葵は寂しいのに耐えられないか、授業中たびたび首元からロケットを取り出し眺めていた。それは中身を見られかねない危険な行為だった。

 「それでどうしました」

 「カミングアウトした」

 親にカミングアウトして受け入れられている日葵の強みだ。先生も戸惑った事だろう。

 「それで済んで羨ましいです、私の親は三者面談で必ず前の中学校の事を持ち出します」

 私はこの高校の付属中学校に転入学する前、別の中学校で女性に告白して敗れ不登校になった。

 「学校に監視しろと?」

 「両親にとって、それは過ちであって、私は決して同性愛者では無いらしいです」

 「成人まで我慢する?」

 「もう十分ですよね。でも先生は守らねばなりません。何か方法があるはずです」

 在校中に私と先生の肉体関係がばれてしまった場合、先生は社会的制裁だけではなく、青少年保護育成条例による刑事的な責任も負う事になる。親は告発をためらわないだろう。

 「さて、リスニング&スピーキングの時間といきましょうか」

 私は、ボイスレコーダーをオンにすると、ノートを取り出す。

 「【If Tomorrow comes Chapter 3 】」

 日葵はペーパーバックを開くと、内容を読み上げ始めた。スピーカー側は英語の発声スキルだけではなく、内容を要約して質問を作らねばならない、意外と難しい。

 その時、化学準備室の扉が開いた。

 「勉強熱心だ、良い事だ」

 教頭先生がすっと部屋の中に入ってくる。こういった立ち振る舞いも含めて美老年なのだろう。ただし、部屋の中に入る前にノックはするべきだった。

 「これは失礼」

 見透かした様に謝ると探偵クラブへ事件の依頼をした。「依頼があるのです。我が校には井戸が有るのですが、その場所が分からないのです」

 取りあえず、教頭先生に椅子を勧める。

 日葵は相も変わらず、作り笑いでコーヒーを作る。

 「区防災マップで我が校に井戸のマークが付いているのです。勘違いだと思って区と東京都に問い合わせたところ、昭和四十年まで非飲用井戸として届け出がなされていると」

 教頭先生は脇に抱えてきたカラー刷りの地図を広げる。私の家にも似た様な地図が貼られている。確かに我が校に井戸のマークが付いている。

 「しかし昭和三十八年の校内図には井戸はどこにも描かれていない。今の校舎に、残っているのはこの棟だけだが、建て直すために、初めて作られた校内図だ。それ以前は建築確認もいい加減だった」

 今度はA全で焼かれた青色の図面を取り出した。化学準備室のメインテーブルからはみ出す大きな図面だ。無い物を子細に探すのは流石に無理だった。そうなのだろう。

 「この井戸を探してくれないか」

 教頭先生はご高齢だというのに、白い歯を出して笑う。

 残念ながら、男性には興味の無い私達には効き目が無かった。

 「教頭先生、この依頼は難しいのではありませんか」

 「分かっている。有った物を無い事にするには手順があって、実績が必要なんだ。勉強に影響が出ない範囲で、図書館の資料室を調べてくれないか」

 何やら大人の事情を濃厚に感じたが、受託するしかなさそうだ。日葵がやる、選択肢を与えない決定を、やられる側に立ってみるとこの様なものか。

 「分かりました。このご依頼お受けします。出来る範囲で」


  続く

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