二つの絵 第三節
百合二輪 二つの絵 第三節
私達は、予備校には行かず大学受験するスタイルだ。だれてしまうのが欠点だが、
「高三の模試を受けましょうか」
十二月には高二向けの記述式模試が無い。もちろんマークシート式模試も重要だが、それでは同学年に差を付けられない。
「
具体的には数学Ⅲなどの理系科目だ。日葵はそう言うが、私達は教科書を先行して勉強している。
「志望校の過去問集をしているのに? 物は試しと受けてみましょう」
予備校に行かない事の問題点は、同学年との学力比較の機会が少ない事だ。だから模試はほとんど受けている。理系と文系に分かれた私達だが、そこは一緒だ。
「受け付けるか?」
日葵をiPadを鞄から取り出すと、予備校の申し込みページで何回か試行した。
「予備校も商売でしょう」
「申し込み出来た」
「早いですね」
私もiPhoneを手に持つと日葵に教えて貰って申し込みをした。別に学生証の提示を求められる訳でも無い。
「未学習の範囲を早急にやらないと」
「そうですね。頑張ります」
私は数学Ⅲの教科書を取り出す。覚えていない公式があると致命的な教科だからだ。後は割とどうにでもなる。
「微積分、極限、複素数あたりでしょうか」
私は、問題になりそうな公式、解法をリストアップする作業から始めた。
「日葵は冬休みはどうするのですか?」
教科書に付箋を貼りながら日葵のスケジュールを聞いた。
日葵は下手すると皐月さんの元に行きかねない。
「皐月が冬休み前に遊びに来る。だから勉強」
「羨ましくて妬けます」
デートするんだ。皐月さんとデートするんだ。私は羨ましかった。
最近苗代先生は情緒不安定だ。私の事を意識している事は分かっていたが、先生が陥った葛藤をどうにもしてあげられずに悶々としていた。
「最近先生何か変です」
「押し倒せば良い」
日葵は、問題集の端を揃えながら適当に答えた。
「押し倒し至上主義者ですか」
私はむくれる。確かに押し倒しは恋愛において、何かしら変化を引き起こす手段であるが、良い方向にも、悪い方向にも変化してしまう諸刃の剣だ。
「強引な手段も必要」
「日葵は常に強引ではありませんか?」
「押し倒される事もある」
「えっ」
日葵の経験は皐月さんだけだったはず。そうなると押し倒したのは皐月さんだ。私の中での皐月さん像が大きく変化した。
日葵は金曜日に病欠した。病欠というのは嘘だ。皐月さんが東京に来たので、その相手をしている。仮病して土日入れて三連休というは学生の本分を忘れた休み方だ。
しかし金曜日・日曜日を送り迎えに使った上で、土曜日一日を丸々デートに当てるにはその方法しか無いのだろう。
ちなみに皐月さん側は、学校の創立記念日らしい。
そのような理由で、今日化学準備室は一人だった。
「先生今回の抜き打ちテストは百点だったでしょう」
壁向こうの苗代先生に宣言をする。容易かった。
「春日、おめでとう」
先生の情緒不安定はまだ続いている。テンションが低い。
「ですからデートをしましょう」
「解答用紙裏にびっちり書いてあった、このデート計画ですか」
苗代先生は紙をピラピラさせる。
あ、読んでくれていたんだ。試験時間の七割を使って書いた。先生の家から品川までのだいたいの所要時間を覚えている私を誉めて欲しい。
「対応に困ります」
「そのパフェ美味しいです。日葵と行って証明済みです」
対応に困るだけなら行きましょう、先生。
「今度行ってみる」
どうにも苗代先生の調子はおかしく盛り上がらない。私はドアを開けて化学教諭室に遠慮無くお邪魔する。
「先生そのデート計画は渾身の作なのです」
苗代先生の机を見ると私のデート計画の書かれた解答用紙だけが別に置かれていた。
「先生、検討頂いていたのですね」
「わ、ち、違う、これは」
手をかざして私の解答用紙を隠そうとする。
「今日は、楓若葉は休み?」
先生は別の話題に振って誤魔化そうとする。誤魔化したからといって、事実が変わる訳が無いのに。
「はい、日葵の恋人皐月さんが上京したのでお休みです」
「女の人?」
「見た訳ではありませんが、当たり前です」
日葵が首から掛けているロケットに写真が入っているので、雰囲気ぐらいは分かる。可愛い娘だ。
「そう、少し話ししていい」
「喜んで」
私は教諭室の丸椅子に座る。苗代先生は微妙に目を逸らしながらも背もたれ付きの椅子に正対して座る。押し倒し難易度高いな、これは。
「春日は、同性愛者なんだろ」
「そうです」
なるほど、これは先生なりに葛藤して、私と一対一で話そうと決めたのだ。姿勢を正す。私はそれに正直に応える必要がある。
「そう自覚したのは何時」
「私は中学校の頃です。親友が話す彼氏自慢が不愉快で仕方が無かったのです。その内、親友のさらに友達の女の子に恋をしました。それまでの私の行動や感情を考えると、私は男性では無く、女性が好きなのだと自覚しました。ちなみに女性の裸を見ると私は興奮しますよ」
「ううん」
苗代先生は考え込み始めた。私はそれを優しく見守りながら言葉を続ける。
「告白して、断られたのです。学校中で噂になりました。私は目立ちますから。不登校になり、ここの中等部に転入学しました。この学校では友達は作りませんでした。友達を好きになってしまったら困ります」
「楓若葉もそう?」
「日葵はもともと友達を作らないタイプです」
「いや、中学生頃から自覚を」
「日葵は、皐月さんが初めてのはずです。ほんの半年前です」
社会人になってから気がつく人もいる。自覚時期が早ければ自己解決出来ない分苦しみは増すかも知れない。日葵は普段の感情が抑え気味な分気がつくのが遅れ、その分皐月さんには盲目的なまでの愛を注いだのだろうか。
「色々な人が居ます」私の世界はまだ狭いけど、大人になったらもっと多くの人を知るだろう。
「春日はさ、どうしてこんな私を。同性愛を隠していたのに」
苗代先生の手は震え始めていた。
私は先生の手を握って膝の上に置く。手は冷たく、汗をかいている。
「好きになってしまったら仕方が無いじゃありませんか」
「私はチビで、恋愛の経験も無くて、対応の仕方が」
先生は私が握った手を、固く拳にする。
私は先生が自らを卑しめるのが、悲しくて、そして許せなかった。
私は苗代先生の手首ごと目の前の椅子の背もたれに手を付き、先生の両足の間に右膝を割り込ませると、倒れかかる様にして、先生の唇を奪った。キャスター付きの椅子が机に向かって押され大きな音がする。
「んっ!」
「押し倒そうとしたのですけれども、勇気が湧きませんでした」
私は謝る。押し倒すには少しばかり障害物が多すぎた。
「先生は魅力的です。卑下なさらないでください」
鼻と鼻とが触れあう距離で先生に囁く。
「私は、先生だから、先生の事が好きなのです。先生の全てが好きです」
そしてもう一度苗代先生の唇と私の唇を重ね合わせた。私の素敵な先生。だからご自分の魅力に気がついてください。
先生の肺の息を吸い込み、私の中に満たす。
「はぁあ」
先生は苦しそうに長い息継ぎをした。
「こんなの、こんなの、卑怯じゃ無いか」
先生は声を出して泣き始めた。私はそんな先生を背もたれの中で胸に抱いた。
「ディズニーランドのお土産」
「晴れて良かったですね」
「ええ」
日葵は月曜日、ディズニーランドの目立つ袋を持って学校に登校した。
金曜日がずる休みなのは明らかだったが、教師も含めてその事を尋ねる者は居なかった。苗代先生を除いて。
「楓若葉さあ、もう少し人目を気にした方が」
先生はミッキーマウス型のクッキーを頬張りながら、説得力の無い説教をする。
もちろん目立つ袋とは、探偵クラブへのお土産だ。
「日葵、何だかすっきりした顔をしています」
痴情電話を終えた直後の様な満面の笑みが、今日は日葵の顔を満たして離れない。どうも園内のホテルに一泊だったようだ。不健全な事この上ない。
「皐月が楽しんでくれて本当に良かった」
日葵の頬は緩みっぱなしだ。よほど幸せだったのだろう。
「ささ、楽しんだ後は学生の本分に戻って」
苗代先生は皆がコーヒーを飲み終わると、日葵のお土産を本棚の上の段に仕舞い、私達を理科準備室に追い出した。
いつもの勉強机に戻った。日葵は、鞄から筆箱を取り出す。リボンを外したブラウスの胸元からロケットがこぼれ落ちた。
「日葵、私やりました」
「それとなく分かった」
「押し倒しでは無く、壁ドンですけれども」
ひそひそ声で日葵と密談する。後で考えると限りなく押し倒しだった様な気がするが。
「決まり手だ」
「まだ、お返事は頂けていないのですが」
続く
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