時計の社 第三節

  百合二輪 時計の社 第三節



 「日葵ひまり。心中事件を起こした二人の生徒が、そのまま学校に残って共に卒業したという事が当時有ったのでしょうか」

 「世間体の事?」

 「そうです」

 世間体を考えてどちらかの親、もしくは両方の親が生徒を転校させる場合が多いだろう。

 また、許されぬ恋をした二人をそのまま同じ学校に残せば、恋が再燃する可能性が高い。

 「それとも、二人の恋は許されたのでしょうか?」

 「卒業すれば全てを忘れる約束で」

 「切ない話しですね」

 「私には耐えられない」

 日葵は怒りを込める。日葵が他人のために腹を立てるなんて。

 日葵は女性同士で結婚をするつもりだ。出来うる限り、全てを手に入れる計画。日葵の痴情電話を総合して判断するに、日葵と皐月さつきさんの結婚計画は、両家の黙認のもとに進められている。日葵の言う結婚は、法的な結婚では無い。東京の渋谷区や世田谷区などでは、成人であり当事者両方がその自治体に居住しているという条件のもとパートナーシップ証明書を発行する。法的な拘束力は無いが、その証明書をもって我々同性愛者は結婚と見なす。ようやく得た公的な安住の地だ。

 「許されない恋か」

 苗代なわしろ先生が口を挟む。教諭と生徒の恋は今でも許されはしない。

 「見つけた角田つのだ、角田 妙子たえこ

 日葵は先ほどから、当時の卒業アルバムを調べていた。個人情報の保護がうるさい世情を反映して、先生の監視のもとでしか学校に残された卒業アルバムを閲覧出来ない。

 「日葵、見ても良いですか?」

 アルバムに手を伸ばす。赤いビニール装丁の昭和世四十八年度卒業アルバム。

 「モノクロだ」

 苗代先生も身を乗り出してきた。私はすぐ横に立って体をくっつける。体温が尊い。

 「近い!」

 先生は最近妙にセンシティブだ。

 当時の制服はセーラー服でスカートもロング丈だ。これはこれで美しいと私は思う。

 集合写真の下の名前表と、写真を突き合わせる。

 「二段目、左から四人目、この人が角田さん」

 日葵は写真の中から一人を指さす。

 直毛ロングの、とても綺麗な人だ。これは他の生徒から告白されても仕方がない。

 「日葵に少し似ています」

 キリッとした口元と、深く切れ込んだ目頭が日葵に似ている。鼻筋は似ていないけれども。

 「そう?」

 アルバムを閉じると苗代先生にお返しする。

 「先生有難うございました。その有難さ故に恋心が暴走しそうです」

 「本当に暴走しそうで、怖いんですけど」

 苗代先生に警戒された。

 「先生、すぐに押し倒したりはしません。押し倒した後は全て合意のもとに致しましょう」

 「いや、押し倒すのも合意がいるって」

 苗代先生に怒られたので、化学準備室に戻る。振り返ると私の事を見つめている。私は知っている、私に向けられた先生の視線を。嬉しくて、恥ずかしくて、そして誇らしい。こんなに見つめられる様になったのは最近だろうか。

 化学準備室に戻ると勉強を再開する。参考書の山から、適当に引き抜く。今日は地理だ。

 「お社の件と心中事件の件が繋がりません」

 地理の参考書を開きながら、私は呟く。

 「名前が書いてあれば」

 「明日にでもお社をもう一度見に行きましょう」

 参考書を進める。前回の模試では日葵に六点差まで追いついた。誤差の範囲と言うなかれ、ローマは一日にして成らず、その敷石の一個から積み上げる。

 しかし、ここまで模試の結果が近づくと、私と日葵の受験する大学は重なりそうだ。もし私達がどちらも同じ大学に合格した場合、日葵は皐月さんと同棲する一方で、私は苗代先生と離ればなれになってしまう。それは酷い格差だ。

 唐突に壁向こうの苗代先生に声を掛ける。

 「先生、在学中に結婚を決めましょう」

 「ぶっ」

 コーヒーを吹き出す音がした。

 「同性で結婚出来ないでしょ」あ、問題はそこなんだ。もう一押しかも知れない。

 「パートナーシップという制度が有るのです」


 「やはり、名前はどこにも書いてありません」

 「時計を包んでいた布になら」

 「もうボロボロです」

 もう一度お社の周りを回って、名前が書いていないか丹念に探す。

 「なぜ名前を隠したのだろう?」

 日葵は懐中時計を包んでいた布をピンセットでビニール袋に回収する。

 「禁じられた恋なら、後に推測される様な情報は残さなかったのかも知れません」

 「ならお社の建立なんて」

 化学準備室に戻り、布の切片を丹念に机に並べてみたものの名前は見付からなかった。

 布の切片をビニール袋に戻す。これもご神体の一部だ。

 徒労だったので、勉強を始める。

 「期末考査では化学は百点を取ります」

 「美智子は共通テスト【センター試験の後継】の選択は化学?」

 「もちろんです」

 「理系か、私は決まっていない」

 「二月までに決める必要が有ります」

 日葵は、皐月さんとの愛をパートナーシップ証明書に書き記すという目的に邁進しながら、足元はなおざりだ。日葵はしっかりしていそうで、実際には結構危うい。

 でも愛の記念をどこかに名前として残すというのはそそるアイデアだ。私と苗代先生との愛を書き記すとすればどこだろうか。もちろん結婚であれば良いのだけれども、まだそこまで至っていない私と先生の仲を考えると……

 「先生今度、恋愛成就の絵馬に先生と私の名前を書いて、神田明神に収めに行きます」

 どんがら、がっしゃんと盛大に転んだ音がした。

 「恋愛成就ですか、止めれる事じゃ無いけど、あんま派手にしないでね」

 「もちろん萌え絵馬です」

 「あ、懐中時計が」

 苗代先生が叫ぶ。私と日葵は、化学教諭室に走った。

 本が何冊か床に散乱し、懐中時計を入れていたシャーレが割れていた。懐中時計も床に落ち、裏蓋が取れている。

 日葵は、シャーレの破片をほうきで掃いてちり取りに入れていく。

 私は、先生を助け起こすと、懐中時計とその裏蓋を拾って苗代先生の机の上に置いた。

 「先生、お怪我はありませんか?」

 「うん、問題ないけど、祟りが」

 先生もかなり迷信深かった。

 幸いにも懐中時計は裏蓋が取れた以上の損傷は無かった。

 「先生、この懐中時計沢山の赤い部品が入っています」

 懐中時計は、どうやら完全な機械式の時計のようだ。歯車が多く使われているが、その軸の部分に赤い部品が組み込まれている。

 「人工ルビーだよ。私も見るのは初めてだ。軸受けが摩耗しない様に入ってるんだ。さあ、裏蓋を閉めて、謝らなきゃ」

 苗代先生は蓋を手に取ると、時計本体に嵌めようとした。

 「先生待って」

 日葵は裏蓋を先生から奪うと太陽の光に当てた。

 「何か書いてあります」

 日葵は目を細めた。

 日葵の顔の横から覗くと、確かに赤いマジックインクらしきもので文字らしきものが記載されている。

 「見せて」

 苗代先生は、日葵から再度裏蓋を受け取ると、太陽に照らしたり、目を細めてみたりして、裏蓋を微に入り細に入り調べた。

 「マジックで文字が書いてる。赤い染料が退色してる様だけど」

 「読めないでしょうか?」

 「うーん、方法が無い訳ではないけど、祟らないかな」

 皆でもう一度拝んだ後に、先生が提唱した方法を試すために化学実験室に赴く。

 「えーと、必要なのはビーカー、電子秤、薬包紙、攪拌棒、大型ピンセット、タイマーと」考え込む顔をして「塩化第二鉄と純水」。私達は化学準備室を歩き回ってそれらのものを用意した。

 「エプロンしてきてね」

 苗代先生は白衣を着て来た。白衣を着た先生は凜々しく私はとても好きだ。

 苗代先生は純水と塩化第二鉄を秤量すると混ぜて攪拌し始めた。

 「先生有り難いです」

 日葵が柄にもなく苗代先生にお礼を言う。最近感じた事だが、日葵の世界は家族、恋人、友達の範囲より僅かに広い。日葵は全く他人に共感しない訳では無い。

 「いやいや、顧問じゃありませんか」

 「顧問ですか?」

 「たった三人の部活、運命共同体だよ」

 何か危うい雰囲気を感じ取ったので、私は介入する。

 「先生は私のものなのですから、取らないでください日葵」

 「春日かすが、私は、私は春日のものじゃ無い」

 苗代先生は塩化第二鉄を純水に溶かし終わると、ピンセットで裏蓋を入れる。

 「どうなるのでしょう?」

 「エッチングで、表面を少し溶かすんだ。退色したと言っても、マジックの樹脂は塩化第二鉄に溶けないから、そこだけ残るんだ」

 「美術の授業でエッチングは、版画の技法だと」

 「化学の授業では少ししか出てきません」

 「応用化学だからね。半導体とかプリント基板とか沢山使ってるのにね」

 日本の化学教育は基礎化学偏重という事かも知れない。もし化学を専攻したら学ぶ事は沢山ありそうだ。

 「あ、純水が入ったビーカーと洗浄瓶忘れた」

 私達は急いでそれを用意した。

 苗代先生が純水で裏蓋を洗うと文字が二行浮き出ていた。

 「先生成功です」

 「先生、成功しましたね」

 日葵と被ってしまった。何かがおかしい。

 「成功して良かった」

 苗代先生はホッとして化学実験室の丸椅子に腰を下ろした。


 『角田 妙子』

 『月野つきの 貞子さだこ

 裏蓋の内側から出てきた文字は、心中事件と、お社を繋げるものだった。

 しかし、お社が作られた理由を説明するものでは無かった。

 「本人達に聞く以外方法はありませんね」

 私達は化学教諭室で卒業アルバムをめくりながら、ため息をついた。

 「有った、月野 貞子、卒業時は同じクラス」

 一列目の右から四人目。角田さんとは離れている。可愛らしい感じの人だ。

 「お互い僅かに横目で見ている気がします」

 「そう?」

 心中事件を起こし、三年生では同じクラスとなった二人は何を思ったのだろう。

 「本人達を追跡したくは無い」

 日葵と同意見だった。檜田さんからの依頼はもう十分果たしている

 男性と結婚し名字も変わっているだろうし、もう六十四歳だ。

 「あの時計は初めから止まったまま入れられたのでは」

 「どういう事です。日葵」

 「五時三十二分は心中した時刻」

 時計をご神体として入れた以上、その時刻に意味を込めたとしてもおかしくは無い。

 「止まった時計に二人の名前を書き、お社に収める事で二人の恋心を封印したのでしょうか」

 そして時を止めて封印したまま、三年生の一年間を同じクラスで過ごした。残酷な話しだ。

 「あくまで推察」

 「安楽椅子探偵の様ですね」

 安楽椅子探偵の推理はあくまで推測。これ以上の詮索は無用だろう。

 「でも高校生二人だけでお社を作る事が出来るでしょうか」

 「両家の親がお社を作った?」

 「当時の親が出来る、娘達への最大限の譲歩だったのでしょうか」

 時計に込めて止めてしまった恋心は、今さら時を戻す事はかなわない。


 「工事までに間に合って良かったです」

 報告のために、檜田ひのきださんを再度化学準備室に迎えた。

 日葵は、相変わらず作り笑いでコーヒーを入れる。

 手短に経緯を説明する。説明する事は多く無い。

 四十七年前に生徒の心中事件があった事。彼女達は生存している事。

 二人のために、懐中時計をご神体としたお社が作られた事。

 「なぜご無事だった二人のためにお社が作られたのでしょう」

 疑問に思う場所は同じだった。

 「分かりません。本人達に聞く訳には参りません」

 「その通りですね。土地に由来が無い事が分かっただけで十分です」

 四十七年も経過している故に、実際本人達以外誰も知らないであろう。それは檜田さんも理解した。

 「お願いがあるのです。遷座するとの事ですが、この部屋に神棚を設けてお移り頂く事は出来ますか」

 「どうしてです」

 「女性同士では添い遂げられない時代故に、学校の端に作られたお社ですが、時代は変わりました。学内に設けても良いと思うのです。彼女達の後輩のために」

 「それが報酬という事でよろしいでしょうか」

 「はいお願いします」


  続く

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