時計の社 第二節
百合二輪 時計の社 第二節
「先生、四十七年前はどうなさっていました?」
「生まれてないですよ。私の生年月日を把握しているくせに」
私は
「当時をご存じの先生はいらっしゃいますか?」
「定年延長している先生か、嘱託の先生じゃないかな」
「嘱託というと、
「戸田先生は他校出身のはず」
戸田先生は美術の先生だ。著名な画家でもある。私は美術がそれほど得意ではないが、
「知ってそうな先生がいないか聞いてみる」
「先生、有り難くて
「
「はい」
「仮定の話だけど、私が告白を受け入れたらどうするんだ?」
思いがけない質問に、私は取り乱した。
「えっ、その、色々な事を……」
「仮定の話だ、上手くいくのか」
「立ち塞がる問題が大きい事は知っています」
「分かってくれないか」
「諦めません」
だって、こんなに苗代先生の事が好きなのに、諦めるなんて事は出来ない。
体育館裏の小さなお社から、ご神体の懐中時計を化学教諭室の棚の上に移したものの、懐中時計自身からは何ら情報は得られなかった。
残された手がかりは、昭和四十七年十一月十一日 建立という日付だけ。
化学教諭室から壁一枚隔てた化学準備室に戻ると、日葵は例の痴情電話中だった。
毎日毎日、飽きないのだろうかと傍からは思えるけれども、遠距離恋愛成就の秘訣は、毎日絶やさない連絡らしい。それにかける労力も資金も決して少なくはないはずだ。そこまでして大事にされる相手は幸せだと思う。そして電話の後、日葵が見せる笑顔が憎たらしいほど爽やかだ。
「くやしいです、私も恋愛を成就したいのです」
私の席の背後、化学教諭室に背中合わせに座る苗代先生を想う。どうしてこんなに難しい相手に恋をしてしまったのだろう。ノンケである大きな可能性、教諭と生徒の壁、社会人としての先生の責任。
私も問題を抱えている。親は私のカミングアウトを受け入れなかった。
椅子の上で足をバタバタさせる。苗代先生と口付け出来たらな。浅くキスをして、深く接吻をして、舌をからめて吸い合うのだろうか。気持ちいいかな。気持ちが高揚して体の力が抜けるかな。
確実に経験者である日葵は、どの様な感じかは知っているのだろうけど、聞けば日葵は怒るだろう。
押し倒して唇を奪ったら、先生はどの様な反応を返すだろうか。怒るだろうか。
いつもの様に可愛く怒って許してくれるだろうか。それとも本気で怒らせてしまって気まずくならないだろうか。
「
日葵に心配されてしまう。いつの間にか日葵の電話は終わっていた。私は完全に妄想の世界に入ってしまった。恥ずかしい。でもそのまま言う。
「先生を押し倒して唇を奪う夢を見ていました」
壁の向こう側から床に落としたボールペンを拾う音がした。
「よくある事」
思いもかけず日葵から同意の言葉をもらった。
翌日、教頭室に向かう。
苗代先生が当時の職員名簿を調べてくれた結果、当時我が校で勤務していた先生で、今も現役なのは教頭先生のみらしい。
「失礼します。二年の春日と
「失礼します」もう一度ノックをする。
「ご在室ではない?」日葵はドアノブに手をかけて少し回すと首を横に振る。
「どこでしょうか」
「教諭室では」
教頭室の対面にある、教諭室に入る。室内が一瞬ざわめく。悪い事をした覚えはないのだが、何故私達は目立ってしまうのだろう。
私達は知らなかったのだが、教頭室は来客等の対応や生徒の父母との込み入った話に使われるだけで、教頭先生は普段は教諭室にいるらしい。ちなみに我が愛しの苗代先生の席も有るが、化学教諭室に入り浸りなので、あまり使われていない。
教頭先生に四十七年前の件を切り出す。
「うーん、何かあったかな、当時は二十代の平の教諭だったからな」
教頭先生は額に手を当てると、悩み始めた。教頭先生は今はシルバーヘアの美老年だが、二十代というとそれはそれは美丈夫だったと思われる。生徒の人気も非常に高かったはずだ。男性に興味が無い私達には関係ないが。
「お社の事は本当に知らないんだ、当時から体育館裏は藪でね。何故あんな所に作ったのだろう」
当時から人目から隠す様にお社は設置されていた事になる。何か意図があっての事だろうか。
「
「幸田先生ですか?」
「もう退職なさったけど、当時の教頭先生で、まだお元気のはず。紹介するよ」
当時の教頭先生で、ご存命ならかなりのご高齢のはず。当時の事をご存じだろうか。
私達が礼を言って退出しようとすると呼び止められた。
「そうだ、思い出した。その頃生徒の心中事件があった。詳しい事は知らないんだ。幸田先生なら覚えているかな」
この学校は女子校だ。心中となると自動的に女性同士という事になる。俄然興味が湧いてきた。
幸田先生は京王線の芦花公園駅から、徒歩で十五分ほど歩いた場所にある老人ホームに入所している。
「日傘を忘れた。こんなに快晴だとUVAもUVBも沢山降ってくる」
晴れ渡って秋風が吹き、巻雲が空を彩っている。苗代先生は文句を言いながら、先頭を切って幅の広い歩道を歩く
「先生、お忙しいのに付き添いまでしていただいて、有難うございます」
私は苗代先生の左後方につく。もし手を繋いで歩く時に、先生の左手を右手で握る場合はこの位置だ。もちろん逆に先生の右手を握る時の事も考えてある。でも左の方が好きだ。左後ろから見た、先生のうなじと横顔が好きなのだ。化学教諭室で先生の後ろに立つ時も、そこが定位置だ。ちなみに日葵は先生の真後ろの壁に背中を預けて腕を組む。真後ろには真後ろの魅力が有るのだろうか。
「部の学校外活動には顧問はついてく必要があるのです」
「先生はやはりお優しいです」
後ろから抱きつく。あんな事を言われて動揺を引きずっていたが、やはりたまらなく苗代先生が愛おしい。先生の体温が感じられて嬉しかった。
「外でそうゆう事は止めてください」
今聞き捨てならない事を言った。学校の中なら良いのだろうか。
「学校の中でします」
「そうじゃ無い!」
苗代先生は動転して可愛く怒る。こうして、私は苗代先生の魅力にはまっていくのだ。
「本日、幸田先生と面会の約束をしました、苗代
苗代先生は、老人ホームの受付にそう伝える。
「只今降りていらっしゃいます。面会室でお待ちください」
面会室の中央には大きめのガラスのテーブルとフルサイズのソファーが置かれ、その周りに丸いアンティークな椅子とティーテーブルが散らばっている。
中央のテーブル周りに立って待つことにした。
「なんか、懐かしい匂いがしますね」そうこれはお婆ちゃんの匂い。
「幸田です、座って待っていてください。どうにも足腰が衰えて」
もう百歳近い幸田先生は、杖を突きながらも自分の足で中央のテーブルまで歩いて来た。
「これはまたべっぴんさんの在校生が二人も、さあどうぞ」
職員がお茶を入れて持ってきてくれた。
「探偵クラブですか、楓若葉さん他にもなさっているでしょう。筋肉が有る」
「前の学校では陸上部を」
「ははは、私はずっと柔道をしてきてねえ、なんとか寄る年波に打ち勝ってきたのだが、もう無理みたいだ」
「そんな事はありません」
ご年配特有の取り留めもない話しを続けた後本題に入った。
昭和四十七年十一月十一日建立のお社が体育館裏にある事、中に懐中時計が入っていた事。心中事件があった事を、お話しした。
「教頭に就任して間も無くだったからよく覚えているよ。まさにその年の夏に心中事件が起きたんだ。夕方校内で心中したのだが、家から帰ってこないとの連絡があって、手分けして探したんだ。見つかったのだけれども」
「そうなのですね。どなたなのか覚えていらっしゃいますか?」
「
女性同士で添い遂げられない時代であるからこそ、この世を儚んで心中したのだろうか。女性同士の愛の示し方には色々あるが、今は日葵の様に結婚まで考える事が出来る。家同士で結婚するのが当然の時代であれば、その様な選択肢は無かったであろう。
「失礼ですが、お亡くなりになったのですか」
「いやいや二人とも大した怪我は無く、無事卒業しているはず」
「ならば、お社が存在する理由は何でしょうか」
「お社を祀ったという話は聞いた事が無い。無事ですからな」
幸田先生から得られた情報は、お社の作られた年に心中事件があった事。二年の生徒で、片方が角田さんという方である事。双方無事であり、卒業している事。である。
だが、心中事件と、お社の関係は完全に途切れてしまった。
続く
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