時計の社 第一節
百合二輪 時計の社 第一節
「これでは、ただの勉強サークルでは」
「受験生ですから、仕方がありません」
日葵は頭が良い。模試では日葵に十点ほど差を付けられている。日葵は大学入学後渋谷か世田谷に住む予定で、受験する大学が限られる。だから、日葵は必死に勉強している。十点差はその努力の差なのかも知れないけれど、日葵が私の勉強場所への闖入者である以上、私も負けたく無かった。
「少し飽きた」
日葵は、後ろの机に積んであるコナン・ドイルに手を付けた。これは探偵クラブと言う部活の一種のアリバイだった。私が神保町の古書店に行き、部費でまとめて仕入れてきた物だ。
「古い本の香りがする」悪く無いと本の香りを嗅ぎながら、日葵はページをめくる。
「シャーロック・ホームズですか」私も手を伸ばす「先生もシャーロック・ホームズを読みませんか」
壁の裏側、化学教諭室に居る我が愛しの
「中間考査の採点で、それどころじゃあ無いです」
「先生、私は何点でしょうか」
「九十八点」
惜しかった。先生のテストは絶対に百点を取りたかった。百点を取ったからと言って、先生からお礼のキスが貰える訳では無いけれども、出題者の気持ちと、回答者の気持ちが繋がり合って、そこに愛が生まれる気がするのだ。
「先生、今度百点取ったらキスをしてください」
「百点じゃ駄目です」
百一点なら良いのだろうか。今度解答用紙の裏側に、先生へ思いをびっしりと書いてみようか。
「看板掛け忘れた」
日葵は、探偵クラブの看板を化学準備室の扉に掛ける。この看板は、都立芸高を目指している妹が作ってくれた物だ。妹は探偵クラブ設立の経緯を聞くと大笑いし、鋸を取り出すと土日の二日間で作ってくれた。焼き色が違う焼杉を数種類使った寄せ木の凝った看板で、いかにも昔から有ったかのような雰囲気を醸し出している。
欠点は、直接手に持つと墨の色が付く所だ。
「依頼が来ない訳だ」
「依頼が来ないのは看板のせいだけでは無いと思います」
実際の所、世の中には事件など溢れていない。世間の探偵の仕事は浮気調査が関の山だ。
探偵クラブは部活動支援費横領と言われようが、コナン・ドイルをたまに読むぐらいがお似合いだ。もっとも探偵クラブは仮承認なので、まだ部活動支援費を貰っていない。
私達はしばらくシャーロック・ホームズを読むと、学生の本分を思い出し勉強に戻った。
不意に扉が叩かれる音がした。私と日葵はギョッとして驚いた。この部屋には私達と苗代先生以外は寄りつかない。ならば本当に依頼者だろうか。ともあれ、ここは客を迎え入れるべきだ。
化学準備室の扉を開ける。最初の依頼は、生徒や先生からでは無かった。
「すいません、システム造園の
作業着を着た中年の男性だ。女子校にとっては闖入者とも言える。
デシケーターや蒸留器が鎮座したメインテーブルに檜田さんを案内する。ここ化学準備室は、化学の授業に使う様々な器具が置いてある。もし化学部に部員が居れば、ここも化学部が使っていたのかも知れない。
日葵は作り笑いをしながらインスタントコーヒーを作る。どうにも日葵は他人が苦手だ。
檜田さんは、椅子に腰を下ろすと経緯を説明する。窮屈そうだ。女子校の高校の椅子だ、大人の男性には大きさも高さも足りない。
「実はこの度、体育館裏の工事をする事になったのですが、お
体育館裏は鬱蒼とした林になっている。蔦が伸び放題でとても中には入れない。お社が有るとは聞いた事が無かった。
工事関係者は、この手の宗教施設には人一倍敏感だ。無宗教と言いながら、日本人は非常に迷信深いのだ。
「我々は部外者ですから、あまり調べる事が出来無いのです。お社の由来を調べて頂けますか」
「分かりました、お受けしましょう」
難い依頼では無さそうだし、危険でも無い。日葵の方をチラリと見る。作り笑いをしているけれど、不満という訳では無い様だ。
「それで報酬なのですが、お菓子で宜しいでしょうか。もちろん労力に見合った物を差し上げます」
「契約の対価が必要なだけですから、我々が特に指定する物はございません。お金以外になりますが」
対価は、日葵が他人の事へ関わるための理由付けではあったが、今考えてみると対価の無い契約は無い。これは良いアイデアだった。
「お社への道は、明日までに藪を切っておきます」
体育館裏の藪を切り開いた奥に、その小さなお社は有った。状態は良いとは言えなかったが、塗装の朱は残っていた。蔦と枝を切り払った道以外はまだ鬱蒼と藪が繁っている。
「これかな」
「間違い無いでしょう」
膝を曲げて正面からお社を覗く。その姿勢で扉に手が届く程度の大きさだった。扉は閉められているが、封印はされていない。
「開けて良いのでしょうか?」伸ばした手が躊躇する。やはり私も祟りが怖い。
「
後ろに回った日葵が制止する。お社の柱の部分に書かれた由緒書きを読んでいる。
「昭和四十七年十一月十一日建立と書いてある」
「1972年ですから四十七年前になりますね」
お母さんも生まれていない。お爺ちゃんが現役だった頃だ。
「建立者が書いてない」
建立者が書いていないのであれば、連絡する事も出来ない。もっとも檜田さんもここまでは確認しているはずだ。
「やはり開けましょうか」ゆっくりと手を伸ばす。
日葵は再度私を制止すると、すぐ横に腰を落とす。
「美智子、手順というものが」
日葵は手を合わせると、お社を拝んだ。
「日葵、カトリックでは」
「一緒」
そう言うものらしい。私も手を合わせる。どうか祟らないでください。次の模試では日葵に十点差で勝たせてください。なにより恋愛成就、苗代先生とチュッチュしたいです。
「開けさせて頂きます」今度こそ留め金に手を掛けると観音開きの扉を開けた。
埃っぽい空気が流れ出す。中には金属とガラスで出来た光る物が入っていた。
「時計……」
「懐中時計です」
元々は布に包まれていたと思われる懐中時計だが、歳月を経て布の方はボロボロに劣化して下に積もっている。
「どうしようか?」
「ええ、お預かりしましょう」
綺麗に折りたたまれたチェーンを右手で持ち上げる。ステンレス製の懐中時計は半世紀を経てなお光り輝いているが、手に持つと錆のざらつきを感じる。お社の底板を離れて回り始めた本体を左手に受ける。さすがに動いてはいない。時刻は五時三十二分を示している。
「普通の懐中時計に見えます」
「蓋付きの懐中時計、SEIKO? 高そう」
お社の扉を閉めると、私達は懐中時計を手に化学準備室に戻った。
「どこに置きましょう」
「神様です、それなりの場所に祀らないと」
信仰している宗教が違うとは言えども、神様に一番敬意を抱いているのは日葵だった。日本人の信仰心はあまりに生活に溶け込みすぎて、麻痺してしまっている。
化学準備室は色々と物が有りすぎて、不敬にならない高い場所が見当たらなかった。なにしろ、物陰に私と日葵の勉強机が置けるほどだ。
「そうです、先生の横、本棚の最上段」
化学教諭室の本棚の最上段は苗代先生にはどうにも手が届かず、何も物が置いていない。
私達は化学教諭室を襲撃した。水拭きワイパーで本棚を綺麗に掃除する。
「
苗代先生は必死の抵抗を試みたけれども、私達より背が低い先生には如何ともし難かった。
「先生、神様をお迎えするために必要な手続きなのです」
「意味が分からない」
化学準備室から綺麗なシャーレを持って来るとその中に懐中時計を入れ、本棚の最上段に祀った。簡易的な物だが、今出来る精一杯の敬意だ。
最後にみんなでもう一度拝む。
「何が、なんだか分からないけど、なんまいだぶ」
神様だと言うのに、念仏を唱える、そんな先生が眩しかった。
続く
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