序章

  百合二輪 序章



 私のクラスに凄い美人が転校してきた。彼女は同性愛者だ。そう、私と同じ。


 私は化学準備室の物陰に隠れた。楓若葉なつはさんは廻りを警戒しながら部屋に入ると、iPhoneを取り出す。皐月さつきさんと電話をするのだ。私はそれを見て、化学準備室の鍵を掛ける。

 「誰?」

 楓若葉さんは誰何すいかする。

 「人払いのために鍵を掛けさせて頂きました」鍵を掛けた事を詫びてから「春日かすが 美智子みちこと申します」と名乗った。

 実際にはこの化学準備室に来る人は限られる。楓若葉さんを逃がさないのが目的だ。

 「何の用?」

 「楓若葉 日葵ひまりさん、あなたはレズビアンですね」

 「さあ、どうだか」

 「私もレズビアンです」

 「そう……匂いで分かるというのは本当?」

 「いいえ、先日ここ化学準備室で、電話なさるのを聞きました」

 楓若葉さんは皐月さんという方と、女性同士で深いレベルの愛を育んでいる事が、通話の内容から推察出来た。

 「聞き耳を立てていた?」

 楓若葉さんの目が細くなる。

 「私の勉強場所ですから、それをご存じ無いのがいけません」

 化学準備室は実験器具の倉庫として使われていて、沢山の物が入り組んで置かれている。私の勉強場所はその最も奥の窓際に有って廊下側からは隠れているので、楓若葉さんが気が付かないのも無理は無い。

 「お付き合いはお断りしたい。知っての通り」

 「いえ、友達に成って頂けませんか。思い人は別におります」

 「今のままでも十分満足」

 「私達は良い友達に成れると思います」

 楓若葉さんは、しばらく首を傾げると「そう、悪く無い」と応諾した。

 私と楓若葉さんは歩み寄ると、握手をした。性的少数者の連帯か、それとも化かし合いか。どちらにせよ、お互いこの学校では最初の友達だ。

 「あの、春日、あと楓若葉さん。ここは化学準備室ですよ。勉強したり、電話で愛を囁いたりするのは良いとして、いやあまり良くないけど。二人で性的指向を表明するのは、流石に私は無視され過ぎではないかと」

 「いらっしゃる事を知りませんでした。聞き流してください」

 化学教諭室から出てきたのは私の思い人、苗代なわしろ ひかり先生。新人の化学教諭だ。楓若葉さんにすげない対応をされて、肩を落として帰って行く苗代先生に慌てて私は声を掛ける。

 「先生ご在席だったのですね。待ってください。私はそうです、レズビアンです」

 「春日」

 化学準備室を出て行こうとした苗代先生は、立ち止まって私の方に向き直った。先生の在室は予想外だった。確認ミスだ。こう成った以上告白も済ませてしまおう。

 「改めて申します。私は先生の事をお慕いしています」

 「そういう意味でですか、その言葉は毎日聞いてるけど、今聞くと更に混乱するのです」

 これまで毎日愛を語ってきたつもりだが、完全には伝わっていなかった様だ。

 「もちろん、その意味です。恋慕れんぼの情が止まりません」

 本来なら先生へのカミングアウトは、告白と共にするつもりだった。

 もっとも苗代先生も、私の性的指向について完全に知らなかった訳でもあるまい。聞き流せばいいのに、わざわざ出てきたのは気になっていたからだろう。

 「どう対応すればいいか……」

 「私の恋愛対象は女性だけです。そして先生が好きです」

 私は徐々に具体的な自分の気持ちを明らかにする。

 「一度に言われても……」

 「返事は何時でもかまいません」

 アクシデント的なカミングアウトと告白だったが、終えると心のわだかまりが消えて気分が良かった。これで思う存分先生への愛を語れる。楓若葉さんは、呆れて肩をすくめる。

 「返事出来るかは分かりません」

 先生と生徒という職業倫理の問題は忘れてしまった様だ。苗代先生は隙が多い。

 「お待ちしています」

 苗代先生は、足元をふらつかせながら化学教諭室に戻って行った。

 一方、楓若葉さんはiPhoneで大っぴらに愛を語り始めた。


 「日葵、二人以上だと部活申請が必要な様です」

 「二人というのは化学準備室?」

 私と日葵で学年の廊下を闊歩する。自然と人が避けていく。

 問題と成ったのは、私達で化学準備室を占拠している事だ。

 あのカミングアウト以来、日葵も化学準備室で勉強している。成績が近い二人で勉強するのは緊張感が保てて、互いに成績もアップした。日葵は皐月さんとの艶めかしい痴情電話を毎日欠かさなかったが、私とて苗代先生へのアプローチは欠かさない。

 どうしても日葵の電話の内容は耳に入り、扇情的な内容は私を悶々とさせたが、私が壁越しで唄う苗代先生への愛も日葵にとっては迷惑だろう。

 それでも私達は互いの痴態にあまり干渉しなかった。そんな関係も悪く無い。

 しかしながら、私達二人が同盟を結んだ事は、クラス、いや学校の中に化学変化を起こした。美人だがぼっちで怖い転校生。ぼっちでエキセントリックな私。ただでさえ面倒な私達が二人で居る事に、学校の先生と生徒は恐れた。そのため私達二人がする事は目立ってしまう。化学準備室の件は、誰かが告げ口したのだろう。

 解決するには私達で部活を作る必要が有る。化学準備室を奪われる訳にはいかない。

 面倒な事だが、この学校は部活動支援費を受け取らない勝手クラブというのは許されていない。すべからく自治会と学校の監視下に入る事になる。

 「何クラブにする」

 「探偵クラブというのはどうでしょう」

 百合部と言うのは許されないだろう。ちなみに百合姫などの百合漫画や百合小説を読むのだ。

 「何をするの」

 「探偵小説を読むのです」

 「部活動支援費の横領では」

 日葵は辛辣だ。確かに我ながら発想が貧困だ。

 「他人の頼みを受けて探偵活動するのは如何でしょう」

 日葵が露骨に嫌な顔をした。

 この一ヶ月で分かった日葵の性格の一つは、他人の事には無関心という事だ。他人では無いのは家族と恋人と友達に限られる。この学校には私以外の友達は居ないので同年代では私と皐月さん以外は他人だ。転校元の学校には一人親友が居た様だが、良くは知らない。もっとも私も日葵以外の友達は居ない。ついでに恋人も居ない。

 「報酬として何かを頂くのです。お金では無いものです」

 お金を受け取るのは部活動として認められていない。創立祭の模擬店のやり取りもチケット制だ。

 「仕事という事?」

 日葵は仕事なら他人の事に関わるのだろうか。そうで無ければこの先就職など出来はしない。

 「悪く無い」日葵は興味を示した。


 「この化学部は幽霊部です」

 日葵は一旦決めると精力的に活動した。部の総数には定数が有る。どこかを蹴落とさねばならない。日葵は自治会と折衝をする。強引な交渉事は日葵の得意な所だった。

 「今は活動していませんが、創立時から有る部活なのです。OBが沢山居て潰す訳にはいかないのです」

 「OBへの案内状の送付は誰がしているのですか。創立祭の時の対応は」

 「いえ、それは」

 「ならばもう意味は無いのでは」

 「ですから」

 傍観するだけなら、日葵の交渉は楽しい。まるで羊を追う狼の様だ。

 「良いでしょう、ではこのメランコリー研究会は」

 「ええと、私小説とプロレタリアート文学の研究」

 はるか昔の残滓ざんしだ。今では理解出来ない事だが、かつては私小説が小説の中で一番高尚なものとされたらしい。部員は居ないが、顧問が教頭先生だ。

 「後で、教頭先生と交渉します」

 「えっ」

 教頭先生であろうと交渉の対象と見なす日葵に、自治会は怖じ気づいた。自ら案を提案する。

 「この銀塩写真部はどうですか。部員一人、活動実態は有りません」

 「本人の同意が必要です」

 「今休学中なのです、それに顧問が化学教諭なのです」

 「悪く無い」

 こうして私達は敵を一人作った。

 次は顧問だ。部活動には顧問が欠かせない。一番手近で済ますなら苗代先生という事になる。先生は化学準備室と壁を隔てて隣の化学教諭室に大抵居る。連絡通路も有る。生徒の指導という面でも望ましい。

 「選択肢は有るの?」

 苗代先生は先日のカミングアウト以来、日葵に怯えている。取って食べる訳では無いのに。いや私はむしろ食べてしまいたい、性的に。

 「こうしてお願いしています。先生と私の仲ではありませんか」

 「銀塩写真部というのは?」

 日葵は、部活動概要を眺めながら苗代先生に質問する。

 「私も分からないです。赴任した時点で花田さんは既に休学されてたのです」

 「そう」

 それきり日葵は銀塩写真部には興味を失った。

 「苗代先生で決定」

 日葵は結局苗代先生に選択肢を与えなかった。


  続く

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