第13話:世界一恐ろしい写真

「死にたくない、死にたくない、死にたくない……」

 僕はそう呟きながら、野菜スープをすすっていた。

「何かあったんですか?」

 隣でアリスが心配そうに語りかける。


「もしかして、ジョセフに勝ったのって嘘?」

 向かい側に座る美玲がちょっとムッとした様子だ。

「それは本当、それは本当、それは本当……」

 僕は誰かに取り憑かれたみたいに、今度はそんなセリフを繰り返した。

「もう、はっきり喋ってくれなきゃわかんないじゃない」

「すみません、すみません、すみません」


「あー、このスープと違って本当に煮え切らないんだから」

「このチキンは見事な焼き具合と味付けでおいしいです」

「そんなこと言ってんじゃないから」

 美玲がアリスをあしらう。


「その青ざめた顔、さっき消えるときまでとは全然違うよね。もしかしてアレ? 最近ウィザードとして不甲斐ないからまたシュールズベリー・チーフコーチにヤキを入れられたとか?」

「そんなんじゃない、そんなんじゃない、そんなんじゃない」

「じゃあ、何なのよ!」

 美玲が机を思いっきり叩いて立ち上がった。一瞬、周りの食器が揺れる音が響き、その場を凍りつかせた。


「あっ、何でもないんです、どうぞ気にしないで、じゃんじゃん食べてください」

 美玲はその場しのぎに周囲に愛想笑いをしながら再び腰掛けた。

「事情を言ってよ、怒らないからさ」

 美玲が机に軽く身を乗り出しながら僕を尋ねる。

「エ、エ、エド、エドワ、エド、エドワード・モー……」


 僕はそこまで言いかけたところで、現実から逃げるように皿にとっていたローストビーフにかじりついた。

「わあ、見事な食べっぷりですね」

「普段のアンドリューはこんな感じでローストビーフにかぶりつかないから」

 美玲がまたもアリスを言葉でいなす。


「エドワード・ モーガン……」

「あああああっ!」

 僕はその名を聞きたくなくて、とっさに美玲を遮ってしまった。

「何よ、マクシミリアン……」

「だから待って! 何で続きから言った!? なぜ言い直さない!?」


「言い直すの面倒なんだもん。スパーキーのこと」

 美玲の口からやつのフルネームが完全に出た瞬間、僕は絶望の暗闇に包まれた気分でうなだれた。


「僕、もう死ぬんだ」

 僕はそう呟きながら、デザートに用意されていた一切れのオレンジにかぶりついた。乱暴な食べ方に応答するように汁が勢いよく飛んだ。


「アンドリューさん、少々お下品ではないですか。汁が若干スープにかかったように見えましたが」

「品とかどうでもいいんだ。僕の人生、もう長くないんだ」

「アンドリューさん……」

 アリスの心配をよそに、僕はほとんど皮だけになったオレンジを皿に戻し、ヤケとばかりにスープを直接口に持っていきすすった。


「なあ、ネガティブな感情の人って、ふつう食事が喉を通らないと思ったんだけど、アンドリューってその逆か?」

「さあ……」

 僕を心配する美玲とアリスをよそに、僕は目の前にある食べ物をさっさと平らげんとした。


---


 僕は同じ水属性のウィザードであるケイシー・ディラン・ウェリントンと練習場のフィールドで向き合っていた。


「これより、ケイシー・ディラン・ウェリントンとアンドリュー……」

 とまで言いかけて、シュールズベリー・ チーフコーチはフリーズした。

「っていうドラゴン・エクスター・アクアを持った人によるスパーリングを行う」


「今、伝説の杖でごまかしましたよね。『サイモン・デューク=ウィルキンソン』って言えなくて伝説の杖を持った人としてごまかしましたよね」


「細かいことはどうでもいい。ファイト!」

 お互いに先手をうかがいあう。

「ウォーター・グレネード!」

 僕は早速水の速射砲を10連打で放つ。ケイシーは横にステップして避けようとするが、弾丸たちもその動きに合わせ、彼の体を貫かんとする。


「シールドディスク!」

 ケイシーは水でできた円盤状の盾を繰り出し、水の速射砲を全て受けきった。ドラゴン・エクスター・アクアによる魔法攻撃は回避できないが、防御魔法は貫通できない。


「ウォーターナックル!」

 杖をこちらに向けた ケイシーが、その先端から水でできた拳を飛び出させる。こちらへ駆け出したケイシー。僕は迫り来る拳を懸命に避けるが、三発目で命中した瞬間、拳でできた水が方法に弾け飛んだ。


 僕だけでなく、ケイシーも後ろに飛ばされるように倒れ込んだあたり、アイツもこの技はまだ使い慣れていないようだった。火とは違って、水ならいくら濡れても平気な僕はすぐに立ち上がった。

「この技ならどうだ!」

 立て直すタイミングがわずかに遅れたケイシーに僕はちょっと余裕を感じながら次の攻撃を宣言した。


 そのとき、フィールドに謎の地響きが起きる。僕は思わずあたりを見回した。

「伏せろ! スパーリングとか中断!」

 チーフコーチが慌てて練習場内のウィザードに促す。これは地震かと思い、僕も咄嗟に地面に伏せた。


 地面に顔を伏せてわからなかったが、何かが崩れたか、それとも地球から恐竜でも頭を出したか、そんな衝撃音が容赦なく耳に響いてきた。地響きが鳴り終わると、僕はおそるおそる顔を上げた。砂地でできたフィールドに、砂でできた文字が立体的に出来上がっていた。


「EDWARD VS ANDREW」


 フィールドの幅いっぱいに、それは示されていた。一文字一文字が僕の身長ぐらいあって、縦長だけど、ちゃんと読める。読めてしまう。読めてしまうから、僕はまた怖くなった。その向こう側から、美玲が思わず駆け寄ってきた。彼女も文字の意味を知り、驚いた様子だった。


「こっちからじゃ字が裏返しだけど、もしかしてエドワードって、あのサタンの血を継ぐ炎のカリスマウィザードのエドワード? で、アンドリューって、もしかしてアンタ?」

 信じたくない、信じたくない。そこには苗字がない。だからまだエドワードがアイツで、アンドリューが僕って、信じたくなかった。


「MBF、マジックバトルの対戦カードを本人のいるところに文字で起こす魔法を使うのはいいけど、場所考えろってクレームを送ったはずなのにな。練習の邪魔だと言ってるのに。学習しない組織が何やってんだ」

 僕の気持ちを露知らないように、チーフコーチマジックバトルの統括組織に憤っていた。僕は恐怖心に突き動かされる形で、チーフコーチへ駆け寄った。


「すみません、エドワードって」

「あの手紙を覚えていれば分かるんじゃないか? 恐らくあのエドワードだよ」

「そんな……」


 僕はフィールドを飛び出し、練習場を飛び出した。

「ちょっと、アンドリュー、どこ行くの!」

 と美玲が後ろから声をかければ、

「追うんじゃない」

 とチーフコーチが引き止める声が聞こえた。僕は、無我夢中で魔法学園の廊下を駆けていた。


---


 僕は寮の部屋へ続く階段を駆け上がっていた。途中の踊り場で炎属性のウィザード2人がたむろしていて、「おい、アンドリュー」と1人が悪意のこもった声でからかいにきたが、僕はそれどころではなく、完全スルーで階段を上がり続けた。

 自分の部屋に着くなり、杖を持ったままベッドに飛び込んだ。僕は迫り来る「エ」から始まるアイツの恐怖から逃れようと、整えられた布団に顔を押し込んだ。


 そのとき、窓が開く音が聞こえた。一体何事かと思い、そちらを向いた。そこでは写真が裏を向いたまま漂っていた。不思議に思い、近づいたときだった。


 写真が表を向いた。そこに映っていたのは、紛れもないエドワードだった。

「お前か、ドラゴン・エクスター・アクアの主は」

 エドワードが喋った! そう、この写真は、送った相手に自分が話している姿を見せられる、トーキング・ピクチャー! 何でよりによってエドワードが使ってるんだよ! 助けて! もう勘弁して!


 パニックになりながら部屋を飛び出そうとしたが、扉が独りでに閉まり、勢い余った僕は扉に顔面を強打した。痛みでフラつきながら、僕はおそるおそる写真のある方向を振り向く。写真が浮遊したまま、こちらへ急接近した。


「お前がオレを見てビビって全力疾走で逃げることなんて織り込み済みもいいところだから、この話、聞いてないと思うけど聞け」

 エドワードの肉声を強制的に聞かされたとき、僕のこめかみを一筋の、真水のように冷たい汗が走った。


「お前、ドラゴン・エクスター・アクアを賭けてオレと戦え」

「何で? 僕なんかより、もっと強い水属性のウィザードはいっぱいいるはずなのに」

「そんなもんわかってらあ!」

 エドワードの獣のような怒声に、僕の体が縮み上がる。


「でもな、伝説の杖をもらうには、どうしても一戦交えなきゃいけねえ。エピフィア国のマジックバトルにおける鉄の掟だよ」


 エドワードはゆっくりと舐めるように、現実を語った。

「オレがウィザードとして何しようとしているか知ってるか。炎・水・地・風、すべての伝説の杖を手中に収めることだよ。果たされた瞬間、神にも等しい絶大な力を手に入れられるらしいからな。ウチの可愛い妹のパトリシアは水属性だから、アクアはもらったら彼女に渡そう。アルティメットな魔法兄妹としてエピフィア国をモノにしちゃうよ」


「何で……妹に……この杖を渡さなきゃいけないんだよ」

 僕はドラゴン・エクスター・アクアを必死で胸に抱えながら言い返した。

「お前なんかよりもな、妹の方が100倍はその杖似合ってると思ったからだよ。それにオレがエピフィア国支配したら色んな人が傷ついちゃうかもしれないからな。ほら、可愛い妹は傷つけられないだろ。だからそれを渡して、100%味方にするってわけ」


 エドワードが語る写真が、さらに僕の眼前に迫る。僕の視界が隅から隅まで写真で独占された状態だ。


「わかるかな? ダボが」


 僕が写真から目を背けると、写真もそれに合わせて僕の視界に入り直してくる。反対側に首を振っても、写真もその動きに合わせてきた。

 逃げられない。ということはやはり戦うしかないのか。地獄さえ超えているかもしれない、そんな状況と戦うしかないのか。


 怖い、でもこの状況を終わらせたい。このままやられたら楽だ。素直にドラゴン・エクスター・アクアをアイツに、いやアイツの妹に渡してしまえば楽かもしれない。


 しかし、ただそれをやるだけでは、僕は笑いものになる。なぜかそれだけが無性に許せない。気が付いたらそんな思いに僕は気付き始めていた。

 怖い、でも何とかしなきゃ。

 戦うしか……ない。


「じゃあ、試合、お前は楽しみにできないだろうけど、楽しみに待っててね。だって断る権限ないから。これ、オレがMBFに直訴したことなんだよね。だってさ、お前だったら真っ先にその杖、奪えちゃうから。怖くて泣いちゃいそうか? 泣かずに済むから安心しろ。だって灰になったら、涙も出ないもんね」


「もうやめろ!」

 僕は左手で写真を掴んだ。

「以上」

 話を締めたエドワードの写真を、僕は杖を持ったままの右手でも掴み、勢い任せに何度も破り裂き、紙吹雪のように投げ捨てた。


 写真の破片がひとつひとつが意思を持ち直したかのように舞い始める。窓から飛び立った写真の破片は、微塵も残らず消え去っていった。


 一晩中大地に吹き荒れる嵐をしのいだかのような疲れを知った僕は、扉にへたり込んだ。そのまま、眠るわけもなく時間だけが過ぎていった。

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