第2話:マジで僕をその名で呼ぶのやめてくれる!?
気がついたら、古びた天井が視界一杯に広がった。僕は横になっていた。背中の下が、妙に軽く柔らかい。鼻をつくようなにおいが漂っている。試しに顔を横に向けてみる。隣に二つの、真っ白なシーツに、ところどころさびかけた部分がある白いパイプで組まれたベッドがあった。
僕、入院してるんだ。パトリックとの試合に敗れただけでなく、病院送りにまでされた。
「すみません、焼き鳥はどこですか?」
部屋の外の方で無邪気な女子らしき声が、この場所にはおよそ不釣り合いなワードを放っている。
「焼き鳥とは?」
「私、今日からアンドリューのことそう呼ぼうと思ったんです」
彼女は、ナースに対し、堂々と言い放った。
「アンドリュー・サイモン・デューク=ウィルキンソンですか?」
「そうそう」
「アンドリューは、まさにこちらの部屋ですよ」
「分かった」
空気の読めないアイツが僕の方へ駆けてきた。黒い長髪をたなびかせ、ナチュラルな眉毛に見開かれた目、キュッと引き締まった鼻に、クセのない厚みがあって血色のよい唇、何より触れずともなめらかさが伝わってくるような肌、要は普遍的な可愛さを持つ、紫岡美玲という名の同級生女子がこちらへやって来た。
彼女は可愛さの代償としてデリカシーを払ったのか。
「焼き鳥、大丈夫?」
「大丈夫だけど、その名前で呼ばないでくれる?」
「だって、パトリックに焼き鳥にされたんでしょ?」
「だから焼き鳥って何だよ!」
「実際、体の前の方に火傷負ったんでしょ」
「それはそうだよ」
「ほぼ全身包帯じゃん」
「そうだよ」
「焼き鳥じゃん」
「だから焼き鳥って何!?」
僕は軽く上体を起こしながらツッコんだ。体が疼いてすぐに横になる。ジワジワと火傷の痛みが広がっていき、僕は呻き声をあげた。
「戦う魔術師の癖に火が怖い、すなわちチキン。そしてパトリックのトルネード・フレイムに焼かれ、あなたは焼き鳥になった。だから焼き鳥」
図星な説明をする美玲から逃げるように、僕は目を向ける。
「まあ、元々焼き鳥って言うのは、私がここに転生する前に住んでいた、トーキョーという場所でよく食べられている料理のひとつなんだけどね」
僕の背後で、美玲が悠長に「焼き鳥」の由来を説く。
「で、何でそんなに火が怖いの?」
僕はおそるおそる彼女の方へ向き直る。
「だって、ムチャクチャ熱いし、火傷したくないし、メラメラと燃えているものに近づきたくないんだもん。ちょっとでも触れただけで、地獄の業火に焼かれるみたいに熱いから、嫌なんだもん」
「ああ、やっぱり見事な火炎恐怖症ですな。これはどうしようもないのか。っていうかアンタ、火傷したくないって言いながら、今しっかり火傷で入院してんじゃん」
「おかげで炎に対するトラウマがまたひどくなっちゃったよ」
「で、今度炎属性のウィザードと戦うことになったらどうするの」
「相手には一切攻撃を出させないよ。僕には、ドラゴンを倒した伝説の魔法の杖があるからね」
「全然使いこなせてないくせに」
正直言って、これも図星と言えば図星だ。
「ドラゴン・エクスター・アクアでしょ」
美玲は、壁際に隣接したベッドの角に据えられた伝説の杖を眺めながら言った。
「アンタがあまりにもパトリック相手に情けない負け方したから、大炎上してるわよ」
「えっ、大炎上!? どこが!? 何が!?」
僕は思わずパニックなり、周囲に燃えているところがないか見回した。
「どこも燃えてないわよ」
美玲の冷静な言葉で、僕は我に返る。
「大炎上というのは、あなたに対して色んな人から非難轟轟という意味よ。これもトーキョーでは流行っていた言葉」
「あのさ、トーキョーの言葉じゃなくて、ここで分かる言葉で言ってくれない?」
「ごめんごめん、私もここに来て3年目だけど、正直まだまだ慣れない部分が少なからずあるからね~」
美玲が軽いノリで詫びた。異世界からの転生から3年経っているにしては、馴染み足りないんじゃないか。
「でも、アンタのウィザードとしての評判が最悪のは事実だから。この杖を返せとか、この杖が泣いているとか、恥ずかしくないのかとか、水属性ウィザードの恥とか、エピフィア国の恥とか」
それを聞いて、僕は気まずくなった。いや、気まずいの域なんて超えている。
「魔法戦闘 (マジックバトル) をしている他のウィザードから、評論家から、ファンから、そしてウチらの魔法学校のクラスメートとか先生までアンタのこと軽蔑してるの聞いちゃった。で、どうするの?」
「どうって」
僕は答えに窮した。
「ほら、汚名返上。どうするの?」
「そりゃ、退院して、復帰したら、勝ち続けるよ。炎属性以外だったら、勝つ自信はバリバリあるからさ」
「ああ、そう」
美玲はそう呟き、懐から手杖を取り出した。彼女のような呪詛系ウィザードが使う杖は、僕のホウキ並に長いものとは違い、手持ちサイズである。
「ちょっと待て、何をする気だ」
美玲は杖をそっと口元に当て、何やら眠くなるような呪文を唱えた。彼女は僕と同じ水属性ながら呪詛系ウィザード。使う魔法は呪詛クラスの授業を受けないと理解できないようなものがほとんどだ。
「うっ、うがっ、痛てて、何だ、ああっ!」
包帯で覆われた、僕の体中の火傷がうずき始め、僕を大いに苦しめた。
「やめてくれ、助けてくれ、それ、傷を疼かせる呪いの魔法だろ! 頼むからやめてくれ!」
「じゃあ、炎に負けないって誓える?」
美玲は咄嗟に無茶な問いかけを振ってきた。
「いや、そこまでは、ちょっと……」
美玲の忌まわしき呪文と、体中の疼きが再開した。
「すみません、誓います、誓います」
「何を誓うの?」
「もう炎にビビリません」
「あっ、ごめん、ちょっと待って」
美玲は突然、魔法学校の制服であるローブの内側から、羽根ペンと紙を取り出し、こちらへ突きつけた。
「何だよ?」
「これ書いて」
見ると、紙には、「制約書」と書かれていた。彼女は「誓約書」という言葉が書けない。
「じゃあ、テーブルに紙を置いて」
「僕、怪我人だよ。それぐらい自分で置いてくれ」
「何よ、紙一枚置くぐらいわけないでしょ」
僕は苛立ちながらも、杖の手前に置かれた、小型のテーブルに紙を置いた。このとき、体をちょっと動かすたびに、火傷がまた疼き、僕を地味に苦しめた。
「以下のように、書いてね。『私、アンドリュー・サイモン・デューク=ウィルキンソンは』」
「何で書くんだよ?」
「自分でさっき誓ったことでしょ。それぐらいやらないと、誓いなんてどうせ明日になったら破っちゃうんだから」
「ちょっと待て、重すぎるよ。ここで誓約書なんて、そこまで本気で誓っているわけじゃないから。だって、そんな簡単に炎にビビリませんと言って、一生一回もビビらずに済む保証はないし」
気がついたら、美玲の杖の先から、ヘビが頭を出し、憑りつかれたような形相で僕を睨みつけていた。
「……すみません。書きます」
「じゃあ、改めて、私の言う通りに書いてね」
美玲が何事もなかったように可愛げに訴えかけるように命じてきた。その結果、出来上がった誓約書の内容がこれである。
「制約書
私、アンドリュー・サイモン・デューク=ウィルキンソンは、
もう炎にビビリません。
ていうか、僕のことを火が怖いからってナメくさった炎属性の
ウィザードは、全員ドラゴン・エクスター・アクアで
ブチのめすんでよろしく。
だってこれ、エピフィア国の伝説の破壊竜リンドヴルムを
こらしめた、伝説の魔法の杖だからな!
覚悟しとけよ!」
あまりに生々しい内容が気になったが、美玲なりの遊びだと思い、僕は全文書ききった。
完成した誓約書を手に持ち眺め、美玲はいたいけに微笑み、呟いた。
「よし、これでOKと。じゃあ、ゆっくり体治してね。私、もうすぐ用事があるから。じゃあね」
美玲はこっちの苦しみを知ってるのか知らないのか分からない素振りで部屋を出て行った。その後ろ姿を見て、僕はちょっと不安になったが、振る舞い自体はずっと前からの美玲と何も変わらないからと言い聞かせ、横になって自分の体に布団をかけ直した。
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