墓碑銘その3



 自分の居場所、この村の医療の要。その中で躊躇い無く杖を振るう老人。

 刺激を求める為だけに動き、周りが見えていないのでしょうか。いえ、周りが見えているのにそれを承知で『この振る舞い』なのかもしれません。

 「さあさぁさささささああああああ!何時まで余裕を演出する心算、です、かなぁ⁉」

 相も変わらず楽しそうで苦しそうで超えてはいけない一線を越えた表情。でも、動きは狂気に満ちつつ冷静に私の事を殺そうとしているのです。

 ああドクジーさん、貴方は勘違いをしています。私に余裕はありません。

 今も数秒後の貴方の軌道を見て、全て避け続けています。ですが、たった数秒先の貴方の軌道を見る為に積み上げるものはあまりに多く、それに費やす事の出来る時間はあまりに短いのです。

 観察し続け、それを数字に変えて、生み出した数字を組み合わせて、出来た数式を解き、導き出された解を実行し続ける。

 ドクジーさんは非常に洗練された、鋭い動きをしています。騎士として、医者として、素晴らしい技術を持っています。故に、要求される計算は膨大で難解で容赦の無いものばかり。恐ろしい質と量です。

 しかし、だからと言って計算を止めてしまえば、間違えてしまえば、私の様な非力な小娘が真正面から向き合って杖の一撃が掠りでもしてしまえば……

 間違い無く無事では済みません。今計算を止めてしまえば、計算を間違えてしまえば、間違いなく『最悪』が訪れます。

 頭の中で数字が踊っていたのは少し前までの事。計算を始めて一分足らずで私の頭の中は数字で一杯になって、数字が数字を圧し潰し合う様になり、頭蓋が内から圧迫されて、その内に頭の中から数字が飛び出てくるのではないかと錯覚する程になりました。


 それでも、止まる訳にはいきません。間違える訳にもいきません。


 止まれば、間違えれば、教授はドクジーさんを許さないでしょう。そして、そうなれば私が止める術は一つもありません。

 私と違って、教授はとても強く、賢く、そして容赦が無い。そんな人がもし、もしドクジーさんと向き合ったら…………

 ドクジーさん、貴方は現状を楽しんでいましたね?残念ながら私はそれに同意出来ず、否定しました。

 一つ間違えれば自分が死に、それが引き金となって相手が死に、最悪もっと死が拡散し、蔓延する事も考えられる。死が死を呼び、悲劇が悲劇を呼び、笑顔の一つも無い未来が迫る現状は、到底楽しくありません。

 私の目的は、私も貴方も村の人達も、皆無事に明日を迎える事なのですから。貴方と私がこうしているのは、到底好ましくありません。

 だから言いました『私は、こんな事大嫌いです。』と。




 ああ、でも一つだけ。一つだけ、こんな過酷な状況下で一つだけ、不謹慎にも死から遠ざかる以外の意味を見出している自分が居ました。

 『教授は現在、私の行動に干渉していない』という事です。

 『私を信じてくれているのかもしれない。』・『教授からの無言の評価かもしれない。』

 そう考えると、この苛烈で過酷で果敢な計算にも、一つの意味はあるのかもしれない。そんな風に思ってしまいます。

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