見えない悪魔は傍に居る

 心臓が跳ねる。呼吸が荒く、意識しなくてもそれらの音が耳につく。手足はいつも以上に冷たく、杖がいつもよりずっと重く感じる。

 五感全てを張り詰め、相手の場所を探る。常に視線と体の向きを変えて背後を取られないように警戒しつつ、杖を構えて先端を不規則に揺らし、見えない相手の位置を探る。

 「『見えないならば触れれば解る。』

 慌てず騒がず警戒している点は評価出来る。実際、単純だが相手が『幻燈』を使っている場合には有効な一手だ。」

 感心した風に見えない誰かは何処からか声を掛ける。が、先程から杖は空を切るばかりで何の感触も無い。その言葉は嘲笑にしかならない。

 先程4人を消したトリックが解らない、声が聞こえる理由も解らない、見えない理由も解らない。

 相手は正体不明、だと言うのにこちらは目の前で死体4つを消されている。

 不利、圧倒的不利!

 心臓が更に熱く激しく脈打ち、体全体がそれに呼応して沸き立ち、脈打つ。

 暑くもない筈なのに体は熱を持ち、しかし氷水の様な汗がとめどなく、滝の様に吹き出てくる。

 「医師ともあろうものが何という酷い有り様だ?顔は真っ赤なのに体は震えて杖までそれが伝わっている。一度外の空気でも吸って気分を変えたら如何かね?

 無論、私はそれを止めないとも。」

 心配の言葉、あるいは余裕綽々の表れ。しかしその言葉の何処にも油断や傲りは無い。

 「随分と面白いことを仰る。

 まさか、自分の醜態を隠す手伝いを何の対価も無しにしてくれる、そんな奇特なお方が存在すると信じるとでも?」

 間違い無く、絶対に罠。

 向こうはこちらの動きを把握し、だというのにこちらは向こうの居所さえ掴めずにいる。

 そんな中でわざわざ外に出ようと行動すれば、動きは絞り込まれ、一方的にこちらがしてやられてしまう。

 もし外に出られたとて、その後に勝機が有るかと問われれば、無いと断言する。

 見えない相手に無制限の空間を与えるなぞ、ロクな事にならない。何より、外に出てこの状態を他の者が見れば何事かと騒ぎ出しかねない。

 「ふむ、流石に見え透いた甘言には乗らないか。丁度いい。

 さぁ老医師、君は今、次の瞬間には絶体絶命の状況にあると考えているだろう。

 だが、そんなことは無い。

 目線を合わせず恐縮だが、後学のために是非君と邪魔の入らない今、話をしてみたいと思うのだが、どうかね?」

 悪魔が何処からか囁いてくる。

 一刻も早くこの状況を打ち破りたいと思う自分が少しだけ居るのは本音だ。

 が、今ここで無策で動ける程の蛮勇は持ち合わせていない。

 時間を稼ぎ、この時間を一刻でも延ばす。そして打開する。

 「実に面白いですな。乗りましょう。」

 悪魔の言葉を聞くことにした。


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