この後一通り学園の医師の診断は受けた


 淑女が行ったことはシンプルだ。『近寄って脳を軽く揺らした』以上。

 ただし、人間の人体構造を深く理解し、それを基に鞭捌きで培った身体強化の魔法を最大限に活用し、距離を詰め、人質を傷つける事が無いようにナイフの切っ先を指先で奪いつつ、同時に男の顎を指先で突き上げて脳を揺らす。

 これを生きるか死ぬかの瀬戸際で動じる事無く髪の毛一本分のミスも無くやってのける。それをシンプルと呼べるのならシンプルだ。

 貴族の渦巻く学園。そんな場所に居ればナイフや魔法、最新の魔道具やよからぬ輩が持ち込んだそれ以外の凶器の可能性を考えねばならない、対策をせねばならない、しかし決して傷を負わせる訳にはいかない。

 故にどんな状況であれ、事が起こる前であれば最速で最短で最適に制圧する術を持ち合わせている。『淑女を導く存在たる者はそうあるべき』と定義付けた。

 何より、学園生徒の中に武を極めたいと思った者が居れば最低限達人級は教えられる様にあれと考えた。

 故に、淑女は気を抜かない。手を緩めない。徹底的故に隙は無い。


 たとえ殺し屋が己を殺しに来たとして、淑女は決して翌日の学園生活に支障をきたすまい。

 否、実は学園方針が気に食わない貴族や淑女のことが気に入らない生徒が何人も殺し屋や爆弾や毒物混入を淑女へと仕掛けてきた。

 どうなったか?

 今、それをやる人間は学園内外に一人も居ない。

 刺客は全員粛清され、自害も許されずに依頼人を吐かされ、依頼人親子を学園に呼び出して淑女との三者面談の末に然るべき罰を与えられた。

 この学園において刺客や殺害は冗談ではない。チンピラが遊ぶ金欲しさに雇われた……ではなく本職の殺し屋を用意される。

 その上で制圧率100%。誰一人淑女に手傷を与える事は叶わず、誰一人として淑女の追及を逃れられなかった。

 暗黙の了解で淑女に手を出さないという協定が生まれる程度には数多くの裏社会の人間を廃業に追い込んでいる。


 「課題の続行は困難と判断しました。速やかに学園に帰還します。

 私の裁量で特別講義を行います。校外課題の代替ですので、そのつもりで受ける様に。」

 ナイフは奪われ、天井を仰いで崩れ落ちる男。

 生徒を華麗に奪還した淑女は無事を確認した上で何事も無いと態度で示しながらそう述べた。

 「えーっとぉ、がんばりま~す。」

 コルネシア=アルヒィンデリアとて、動揺や精神的消耗が絶無という訳では無い。が、あまりにも何時も通り過ぎて吹き飛んだ、色々。

 「馬は町の外に待たせてあります。歩けますね?」

 「歩けないって言ったらぁ~………

 は~い。大丈夫そうなので頑張って歩きま~す……。」

 こんな時だし駄々っ子みたいな事を言って困らせてみようかしらぁ?と思った小娘の思惑は完全に見透かされていた。

 流石にこれ以上は怒られると思ったアルヒィンデリアは静々と薄暗い地下室を自分の足で進んでいった。

 淑女はその後ろを音も無く、美しく歩いて行った。






 (油断、したなぁ?)

 地面に這いつくばらされた男が淑女の背後で静かに意識を取り戻した。

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