淑女は止まった


 相手との距離は全く変わらない。が、元々えげつない攻めは更に苛烈になっている。

 幾度も分かれ道で撒こうとして、何故か歩き続けている淑女を撒けず、つま先を鞭で叩かれて多分靴がオシャカになった。

 侵入者用の撃退罠に誘い込んだが音からして破壊・回避して突破された。

 勿論侵入者を迎え撃つ者が何人も居た。後ろで騒ぎ声が聞こえ、直後、破裂音がいくつも響き静かになった。ありゃやられた・・・・

 この音の正体は鞭だ。毒針を叩き落とした時にそれは見えた。腕だけを動かして予備動作を最低限に、下から斬り上げるような一撃。

 直接近付いて叩く打撃や斬撃なら魔法で幾らでも対処出来るが、ギリ正体が見える早撃ちで、しかも途中で軌道が変わる曲撃ちで痛覚に訴えるようなタイプはどうしようもない。

 こんな狭い中、空中で、暗器を叩き落す。ありゃプロだ。まともにやり合えばこっちが削り殺されて終わりだ。

 だから逃げた。それでも削られているが。


 淑女に加虐趣味は無い。合理的に的確に冷酷に、見えない最短最速の鞭を振るい、相手が倒れないギリギリでじわじわと追い詰め、痛覚と破裂音で危機感を煽り、案内をさせる・・・・・・




 男は少しだけ開けた場所に来た。

 相も変わらず薄暗く、悪臭が漂い、どうしようもなく『劣悪』と称するに値する環境。

 必死に逃げた男は全身の衣服をズタズタに切り裂かれ、そこから除く肌は例外無く真っ赤に腫れ上がっていた。

 致命傷は一つもない、出血もない、ただ痛みは全身から脳へと送り込まれて痺れさせる。呼吸をする僅かな動きだけで痛みが全身に走る。その痛みで体が強張りまた痛みが走る。そんな状態だから気絶も出来ない。

 足元に隠してあった仕掛けを起動し、防火壁を起動する。

 それだけでまた痛みが走る。歯を食いしばる。それでも悠長に倒れこむ事は許されない。これはあくまでも一時凌ぎにもならないと分かっているから。

 男はよろよろと倒れる様に近くの鉄格子に縋り付き、懐から取り出した鍵で鉄格子の錠を開けた。




 炎は防げても淑女の歩みは防げない。

 防火壁は惨たらしく呆気なく破壊されて淑女が目的の場所へ辿り着いたのは男が錠を開けてから数十秒と経っていない頃の事だった。

 既にこの地下施設の関係者の大半が淑女の粛清の憂き目にあって機能は完全停止しているといっていい。

 そして、それだけの犠牲を払ったにもかかわらず淑女には傷一つ汚れ一つ付けられていない。


 この状況から逆転するのは戦力的に困難であると男は考えていた。


 「おっと動くな。」

 ただそれは、ナイフ一本を人質の喉に突き付け、盾にしなければの話だ。

 淑女の歩みが止まった。


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