サイクズル商会会長の逃亡劇~開幕~

 サイクズル商会会長はただの悪人ではない。間違い無く性質タチの悪い極悪商人だ。

 戦禍、盗賊、山賊、海賊、仲間のフリをして近寄る悪意有る商人、商人を『金を貪る卑しい連中』と蔑み乍らも懐の金の匂いに釣られてくる貴族、対話のしようの無い魔獣の類、時代の流れ…………困難を幾つも経験し、その度にそれを何とか潜り抜け、血反吐を吐き、汚物に塗れ、泥水を啜り、屈辱を味わいながらも必死で生きてきた。

 結果、彼はここまで生き延びた。

 そして、生き延びる過程で生き延びる方法を確立した。

 『自分を決して売らず、それ以外を何としても売って生き延びる』というとても単純で正気を疑い、しかし真理に辿り着いた。

 自分以外の遍く全て悉く皆商品として売り、対価を自分が受け取れば自分は決して飢えはしない、着るものを手に入れられる、雨を凌げて安心出来る拠点が手に入れられる、惨めにならない、決して死に怯えないで済む。


 だから売った。

 仲間のフリをして他の商会の連中を盗賊に売った。

 使えない新人を盗賊に売った。

 邪魔をしそうな古参の命を殺し屋に売った。


 だから買った。

 盗賊からの安全を買った。

 他で爪弾きにされた人間を雇う姿勢を見せて名声を買った。

 誰かに自分の全てを崩されるかもしれないという不安から逃れたくて安らぎを買った。


 『全部売ってやる、物も技術も知識も経験も情報も秘密も人も縁も命も何もかも全部を売り飛ばして自分の命を買い続けてやる!』

 その思いを胸にここまで生きてきた。

 そうして今、彼は自分が一から創り上げた商会から逃げていた。

 五階の自分の部屋、人を高みから見下ろし、苦痛に歪む人を他人としてガラス越しに見られるあの部屋から見えた光景。

 警備官達が乗り込み、下の方で騒ぎ声と大きな音が聞こえ、足音が下から近づいて来るのが聞こえた時にはもう、隠し金庫から最低限の金を引っ張り出して脱出口へと飛び込んでいた。

 実際、警備官達が抵抗する従業員を制圧しつつ数分で上に上がった時には既に会長室はもぬけの殻。開け放たれた金庫には何も入っていなかった。


 「隠し通路に来た連中、順調に逮捕出来ています。どうも幹部連中も中々手強くて隠し通路までは逃げられたみたいですが、出口側まで運良く逃げた連中は向こうの班が押さえてくれてるみたいです。」

 地上階を制圧した警備官達に紛れていた指揮官に、地下を張っていた警備官の一人が連絡に来る。

 「おぅ、お疲れ。

 で、肝心要の責任者、会長は見つかってるのか?」

 「いえ、それが一向に……居るのは確認したのですが部屋にも何処にも見えなくて……」

 警備官達はその一点でこの順調過ぎる捕り物に厭なものを感じた。


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