If1:攻防の果て


 今現在、私は先入観を持った愚かしさと、その偏見に満ちた認識を改める必要が有ると猛省している。

 『ミスフィアレディー』

 世間知らずの小娘達に『先生』と呼ばれ、閉ざされて歪んだ常識の中、驕った考えを持ち、世間知らずのお嬢様が老け込んだだけの無能教師かと私は考えていたのだが………その考えは違っていた。

 先程の来訪。あの段階で彼女は私を分析、観察するだけして帰っていった。

 これがもし、生半可な詐欺師や三流奇術師が相手で有れば、彼女の相手にさえ成らなかった


 論拠は以下の三つ。


 先ず、豚嬢が騒いでいた事を、敢えて『最後に会った』とだけ表現した。

 あれだけ騒いだのだ。他の部屋の人間は間違い無く気付いていた。

 そして、それを他の連中がフィアレディーに言わない訳が無い。

 それなのに、敢えて『最後に会った』とだけ、表現した。

 最後に会った私を重要な容疑者として、私が揉めていた…厳密には因縁を付けられていた事について言うか、言わないかを観察されていた。

 これに対して私は敢えてその点を言及しなかった。

 恐怖と困惑を抱いた人間が敢えてその事を言うのは不自然だからね。

 敢えてその事を言及していたら、余程の正直者か、わざわざ自分で自分の首を絞める愚か者、はたまた豚嬢の行方不明について何かを知っていると訝しまれていたな。


 次だ。

 気付いていたかね?彼女がシェリー=モリアーティーこと私を、そして部屋の中を観察していた事を。

 私がもし、外に出た時に植物の花粉や種子、土埃を服や靴、地面に付着させたままであれば、見つかってあっという間に殺人事件の犯人として捕まっていた。

 勉強をしていると言いながらも部屋の机に教材やペンを置いていなければその点を指摘され、追求の末に隠された真実に辿り着いていた。


 相手が私でなければ。


 残念ながら今回は、微物は処分済み。教材とペン、念の為にノートも取って隙は無かったがね。

 とは言え、明らかに、教師に必要な観察力の領分を逸脱している能力だ。


 そして最後。

 気付いたかね?最後の糸屑、おかしな点が有っただろう。

 私と、かの恐怖の淑女は対面で話していた。

 そして、彼女は去り際に糸屑が付いていると言って迷い無くに手を伸ばした。

 一体どうやって、真正面に居る人間の肘に付いていた糸屑に彼女は気付けると言うのかね?

 鏡?そんな物は部屋に置いていなかった。

 そこに糸屑が付いていると予め知っていた?何故そんな事を?

 この疑問に対する解答は単純明快。そう、糸屑は嘘。『糸屑を手の平に隠しておいて、それを取った様に見せかけた。』と言うだけの話だ。

 では、なぜそんな嘘を吐いたか?

 彼女は肘を確認したかった訳では無く、シェリー=モリアーティーに注意がしたかった訳でも無く、袖口と手を確認する為にあんな事をしたのさ。


 『貴女はミス=コションと会った後、何を?』

 『勉強をしていました。部屋の外には出ていません。』


 このやり取りを覚えているかね?

 私の部屋の机には紙とペン、教科書が広げられている。

 無論、白紙を広げて勉強のフリなどと言う陳腐な真似はしていない。計算式やメモまでキッチリ書かれた勉強の痕跡を残してある。

 これで大半の愚かな教師は騙せる。が、彼女はその先を行っていた。

 彼女は『何が書かれているか?書かれていないか?』と言う事では無く、『何時それが書かれたか?』に注目した。

 ペンで何かを書いた後、小指や手の側面がインクや黒鉛で汚れている…なんて経験は無いかね?

 袖が黒ずんだ経験は?


 もう、解っただろう?

 あの糸屑から始まる一連の行動は、直前まで書いていたであろうノートのインクや黒鉛の痕跡が付着した手を見たかった訳だ。

 直前までフィアレディーの来訪を知らずにいた私は当然手を如何こうする暇は無かった。

 もし手が真っ白であったなら、それは『勉学をしていた』と言う私の発言の虚偽を証明する事になっていた。



 この環境下でそこまで観察しようとする意志と洞察力は称賛に値する。

 並みの教師では無い。どころか一流の教育者と言っても良いだろう。

 もし、探偵になっていたら、それなりの身分と信頼を勝ち取っていた。






 「あぁ、だからこそ残念だよ。

 この私を相手にさえしなければ、君は道化師に成らなかったというのに。」

 そう口にした私の手は、黒いインクと黒鉛で汚れていた。

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