第6話 眠れなくなった夜

「被検体の様子はどうだい、これで3年目なんだ、キミもそろそろこっちに帰りたくなってきたんじゃないかね?」


 草木も眠る丑三つ時、風の音しか聞こえないはずの草原で妖しい紫意をの光を放つ”窓”から声が響く。周りにはなにもなく、開けた原野に一人の影が”窓”と会話している。

 人影は髪を風になびかせながら窓に向かって報告する。心なしか声は張り詰めている。


「————いまのところ崩壊の兆候はありません。この分ならしばらくは大丈夫でしょう。ショック療法が効いたのでしょうね」


「そうか、だがまだ強度が足りなんだよ。崩壊そのものを起こさないようにならなければ意味がない。アルファルド、なんだろうな」


「全力を尽くします。いくらコンティニューが無限だからといって俺が使える時間が無限ではありませんから」


「よろしい。必ずやお前の手で。そして至らせろ、神の被造物ではない最初の人類、リリスに」


 ”窓”を通して語る声は一方的に人影に命令すると、一方的に繋がりを閉ざした。

 音もなく窓が消える。暗中の密談は終わり、歯車が加速しだす。


「————————ああ。わかってるよ。クソッタレが」


 人影はこぶしを握り、だれにも聞こえない独白を漏らす。

 誰も見ていないはずの影を空の星々だけが見つめていた。




 ************************************



 魔術の講義が終了した後、床に就いたがよく眠れなかった。

 理由は単純。このてんてこ舞いで濃すぎる1日で精神的に不安がったこと、それとこの世界には解明すべき謎が多すぎること。



 一つ目はこの世界のリアリティー。

 過剰なまでのグラフィックはお尻のほくろの位置まで再現されていそうなほどで、ゲームでは再現されていない指紋に至るまで描写されている。


 二つ目はアルファルドやイヴリースといった住人達。彼は『本当にこの世界の住人』かのように話し、ふるまっている。

 これがロールプレイだとしたらすさまじい演技力だ。

 仮にNPCだとしても彼の応答や笑顔はあまりにも自然すぎる。NPCのAIはある一定の言葉に反応するためニュアンスの違いや方言などは認識できない場合が多い。

 2026年の現代にはいろいろな会話できるAIなんかが登場しているが、彼らほど滑らかに会話できるものは存在しなかった。

 どうしてもAI独特の不気味の谷を越えられていない会話のぎこちなさは存在するものだ。

 だが今のところアルファルドにそういった兆候は見られない。


 本当に異世界転生したといわされても信じられるくらいにはこの世界は『異世界』と化している。


 そして三つ目。この世界が仮想世界だとして一体どの会社が運営しているのか。

 そしてということだ。

 現実世界のボクはブレーン・リーダー無しでは生きていられないほどに衰弱している。

 それにブレーン・リーダーで体感覚を切断しているので接続を切られたら絶対にわかる。

 気づかないわけがない。なのに実際はそんな兆候など一切なく気づいたら森の中。

 一体全体現実世界では何が起こっているのかさっぱりわからないのが不安で仕方ない。ユウキはともかくとして六町由宇季のほうは一体どうなっているのか把握する手段がない。



 重すぎる謎の三重苦に傭兵としての新生活。正直言って不安で胸がいっぱいだ。

 アルファルドは頼れる人だ。それでもやっぱりあの世界に帰りたい。

 そんな感情を押さえつけながら行く当てもなく外に出る。



 パパやママが生きていたころは泣き顔を見せないように必死に強がって元気にふるまった。

 姉ちゃんと二人だったころは偽物の元気は癖になっていた。姉ちゃんが死んだ後も一人で頑張って病気と戦ってきた。


「参ったなあ…とんだ世界に来ちゃったよ…」


 アルファルドの家を出てすぐの森で一人空を見上げながら誰にも聞かれないことを祈って呟く。

 見上げた星空はゲーム世界のような過剰な煌めきでもなく、さりとて現実世界のように人口の光や人の生んだ塵に光がかすむこともない不思議と落ち着くような色をしていた。


 大切な仲間たちを置いて自分一人こんな現実世界もどきみたいなところについてしまった。

 さみしい。でももし彼らが来たのなら「早く来すぎ」と怒るかもしれない。


「もし、もしさ。ここが天国ならさ」


 独白はなぜか最後まで続かなかった。

 ボクより先に行ってしまった人たちにもしかしたらこの世界なら会えるんじゃないか。そんな夢見がちなことを自分から言えるほどボクは子供じゃあなかったらしい。


 涙が溢れないように上を向いているのに自然と眼球から水分が流れ出す。

 仮想世界において感情表現のエンジンはいささか過剰表現のきらいがあり、隠したい涙さえつまびらかにしてしまう。

 きっとこの涙だってそう。たとえボクの心が泣いていたってボクは泣かない。

 この世界で頼りになりそうな相棒も見つけたんだ。どこに不安があるんだ。


 思考を切り替える。こういう時のメンタリティーは誰にも負けない自信がある。根拠はないけど。

 そうだ、帰ったら絶対彼を仲間たちに紹介してあげなくちゃ。

 きっとボクはあの世界に帰るんだ。仲間たちが待っている。

 みんなボクを待っていてくれているんだから。


 そんな思考の切り替えとは裏腹に過剰表現な涙は止まってはくれなかった。


「あれぇ? おっかしいなぁ……?」


 メソメソはする。でもそこから切り返せるのがボクの唯一の武器だったはず。

 なのに止まらない。止められない。


「怖いよ……みんな……」


 やってはいけない。そうわかっていたはずなのに視線は下を向いてしまい、ついに雫は地面に落ちてしまう。

 強がりの限界。この世界は残酷にもボクの強がる理由はすべて奪ってしまい、残されたのは泣き虫のボクだった。

 ヒンノム。仲間も家族もいないこの世界。ボクが頑張る理由のない世界。


 だけどそんなボクの独り言を掬ってくれた人はいた。



「ほらよ」


 目の前に差し出されたのは少し汚れている白いタオル。

 お世辞にも白馬の貴公子の差し出すハンカチとは言えないものだが。それに汗臭い。

 にじむ視界をふき取って見上げた先にはアルファルドがいた。


「なんだぁ、恥ずかしいところ見られちゃったかな?」


 笑って答える。もはや彼に対しては繕う必要性はないのだけれどもそれでも向けるんなら泣き顔より笑顔のほうがずっといい。


「安心しろ。暗くて何も見えん」


「うっそだ。キミ夜目が効くだろうから見えてるんでしょ」


「ちっ。バレてたか」


 バレバレなウソを見抜かれてバツが悪そうにしながらアルファルドはボクの隣に座って星を見上げる。


「誘っておいた俺が言うのもなんだがやっぱり傭兵になるのは不安か?」


 アルファルドは見当違いな心配をしてくる。

 そりゃあ傭兵として戦うのに不安がないわけではないがボクの涙はもっと別の理由。

 この青年、器用そうに見えてそういうところが意外に不器用だ。



「違うよ。ただちょっと家族とか昔の仲間のことを思い出してただけ」


「そっか。そりゃあ辛いな。俺もそうなるときは頻繁にあったし、今だってなる。だからわからないけど共感はできるよ」


 意外なことを聞いた。だけど傭兵なんて言う家業をやっている人だ。

 願わぬ別れなどボク以上に経験しているのかもしれない。


「わかるって言わないんだね」


「そりゃあ俺はお前の仲間も家族も知らねえからな。知らないもんは解らない」


 正論でありながら屁理屈だ。こういうところで無責任に「わかる」って言わないのはきっと彼の誠実さなのだろう。


「なにそれ。プライバシーの尊重ってやつ?」


「そうだよ。後ろ暗いのも傷ついてるのも隠したいものなんて人には山ほどあるだろ?」


 今のはちょっぴりむかついた。

 ボクはこれでもおてんとうさまの下、胸を張って生きてこれる生き方をしてきたつもりだ。

 実際はできないけれども。

 だから意趣返しというかただの自慢をする。


「ボクの仲間はそんなんじゃないよ。自慢の最高の友達さ」


「そうか。また会えるといいな」


 アルファルドは笑ってボクの答えを受け止める。

 声に出さないだけでその顔は「俺の仲間だって最高だよ」って言っているような錯覚がした。

 頬を濡らす水分は既に乾ききっていた。


「ところでキミはこんな夜中に何してたの?」


 話題を変えてアルファルドを問い詰めると

「い、いやぁ~実はな」と実に歯切れの悪い返事が返ってくる。

 あやしい。


「実は?」


 よく見るとアルファルドのボクから見て反対側のところに木剣が立てかけてある。


「もしかして素振りか何かかなぁ?」


「ああ。誰かさんにこっぴどく負かされたのがショックでな。実は俺も泣きたかったんだ」


「またまた~。アルって結構かわいいとこあるんだね!」


 アルファルドの声が上ずる。どうやら図星のようだ。彼が努力していたのはこの汗臭いタオルが証明していた。

 ボクでも見抜けるほどにこの人は取り繕うのが下手らしい。


「そういうの男子的に傷つくから止めてくれ」


 アルファルドは照れたように頬を掻く。意外と可愛い所があるんだな、この人。


「いいじゃん。ボク頑張ってる人好きだよ!」


「ボロカスに負かした張本人が言ってんじゃねえよ……」


 彼は最初来たときとは打って変わって肩をしゅんと落とす。

 ぴゅう、と吹く夜風は意外にも暖かく、僕たちの間を吹き抜けていった。


「じゃあおやすみ!アル!」


「ああ、おやすみだ。ユウキ」


 別々に家を出た二人で自然に一緒に帰る。意外にもボクの意識はすんなりと眠りに落ちてくれた。

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