3/王様が不調そうだったので、マッサージしてみる

「死刑!」


 王様は、おもむろに俺とミフィリアを怒鳴りつけた。


 ここは王宮の「王の間」である。王様はたいへん、荒ぶっておられる。


 この国の金貨に描かれていたその人であるというのは分かった。


 俺が、自分が生きていた世界で持っていたアメンホテプ3世のイメージとは異なり、鬼気迫る覇気のようなものを放っている。


 筋骨隆々。


 俺も生前、俺の世界の本物の(?)アメンホテプ3世に会ったことがある訳ではもちろんないので何とも言えないが、やはりイメージとは違う。こんな、格闘家グラップラーみたいな闘気が前に出てる人だったのか? いや、やはり生前の俺がいた世界のアメンホテプ3世とは異なる存在と捉えた方が妥当か?


「どすこい!」


 しきりに、怒りをこちらに向かって表現している。


「終わりです」


 ミフィリアが静かに俺に向かって零した。


「王の怒りを買っては、この世界で生きられません」


 俺としても、もちろん死刑はゴメンである。この時点で、「宝船」を発動させて俺はこの世界から逃げることもできるのだが。


 それはそうと、気になる点があった。


 王は王冠をかぶり、薄い布の衣服をまとい、絢爛な装飾の小手やアンクレットを身に付けているが、装飾物からはみださんばかりの力強い筋肉をしている。日本人なら、東大寺「南大門」の金剛力士像が顕現したような人だと言えば伝わるだろうか。王である以前に、強靭な肉体を持って生まれた、生物としての勝者。


 それなのに。


 そんな強大な王が抱えてる「おびえ」に、俺は気がついた。


 「おびえ」を抱えた人間がいたなら、たとえ王様だってその「おびえ」はとってあげたい。


 俺は、ミフィリアの手をとって王に向かって歩き出した。


 手からミフィリアの動揺が伝わってきたが。


「君の力が必要なんだ」


 そう言ってミフィリアの呼吸に合わせると、落ち着いてくれた。


 というか、覚悟を決めてくれた。


 静かな内面を持った少女。芯の部分にある純真さが、揺るがない少女。


 剣や槍で武装した衛兵たちが、俺たちに向かって構える。


 向けられた武器の数々が、まったく気にならない。


 へぇ。俺ってこういう人間だったんだ。死んでから気づくなんて。


 目の前に不調を抱えた人間がいたならば。不調をとる。俺の意識は、その一点に集中していた。


「王様!」


 思い切って声をかけてみる。


「左足、ちょっと気になってますよね?」


 王はしばし沈黙する。


 先ほどまでの荒ぶりようとのギャップ。その通りということだろう。


 長年のマッサージ業で培った目力と、大仏様から頂いたスキル「ことほぐしLv.100」で俺には「観」えていた。王様は左足に不安を抱えているのだ。


 生前、何度も見てきた。人間が怒っていたり、攻撃的になっていたりするのは、抱えてる不安の裏返しだったりするのだ。


「俺、足を治すことができます。旅の魔術師なんです」


 本当は、マッサージ師だが。


「参れ」


 王の言葉に、俺たちに向かって武器を構えていた衛兵たちが引く。


 さて、ここからは。


 王の玉座の前で膝まづき、診断する。


 俺は、王にだけ聴こえる音量の声で告げる。


 アンクレットで隠れてはいるが、俺のスキルでは「観」えている。


「左足に『こぶ』があって、気になってたのですよね?」


 王は短く首肯する。王の心拍数が、上がる。


 まあ、こぶは気になるよな。鏡の前で見たりしたら、不安にもなるだろうし、痛みもあるだろう。一方で、神権政治に近い形態のこの国で、王が周囲に弱みを見せるわけにもいかない。王は不安を、一人で抱え込んでいたのではないだろうか。


「このこぶ、悪いものではありません。ざっくりとは、体の油がそこに集まっちゃってる感じです」


 生前、何回か観たことがある症状だった。マッサージの施術をほどこし、改善させた経験もある。さらに今なら、俺にはスキル「ことほぐしLv.100」がある。


「こぶ、今とっちゃいますね。目をつむって、深呼吸してリラックスして頂けたらと」


 王の足元に歩み寄る。王の緊張が伝わってくる。うん。こういう施術の前って、みんな固くなるんだよな。


「ミフィリア、手を握っていてあげてくれ。女性の方がイイんだ」


 ミフィリアは僅かの逡巡しゅんじゅんの後、王の手を握り、呼吸を王に合わせた。


 彼女の波立たない内面世界が、王様に伝わっていく。


 施術の無事を。王の心の安寧を。一人の人間の幸福を祈る、彼女の姿は美しい。


 俺は、「聖女」という言葉を連想する。


 よし。俺の出番だ。


 アンクレットの上から、左足に偏ってしまっている体の油を「ほぐし」て「こぶ」をとる。


 王に不調があったという動揺を、俺はこの世界に望まない。


 生前に構想していながら、到達できなかったマッサージの境地。今なら、できる気がする。


「貫通マッサージ!」


 俺が、スキルをオンにして王の左足のアンクレットの上に人差し指で触れると。


 俺の内側から湧き出た「気」のようなものがアンクレットを通り抜けて王の左足に伝わった。


 王の左足の「こぶ」を形成していた油は、王の体の様々に適度に散り、解消された。


 王の体に調和が戻る。


 王自身も、「こぶ」がとれて体に何らかの善なる変化が訪れたのを感じたようだ。微かに笑顔が漏れる。


 おお。荒ぶっていた時より、こっちの朗らかな表情の方が、イイね。


 世界も身分も違っても、伝わることはあるらしい。


 王は待機していた側近たちに告げた。


「この者たちに、褒美を」


 こうして俺たちは、あわや死刑になるかというところから一転、王からガンダーラでの永続的なVIP待遇を確約されたのだった。


 褒美は思ったよりも豪華で、離宮を一つ俺とミフィリアにまるっと与えてくれた。


 絢爛けんらんな家具や調度品が並ぶ広い部屋で、俺とミフィリアがくつろいでいると。


 俺が首につけていた「宝船」のペンダントから、音が鳴り出した。


 俺は、「ははあ」と気づく。


 俺が生きていた世界の、有名な特撮のように、俺が異世界にいるのには時間制限があるのだろう。既にガンダーラに辿り着いてからけっこう経ってるので、その日本発の特撮のように三分間よりは長くいられるみたいだが。


「ミフィリア、時間がきちゃった。俺は、次の世界に行かないといけない」


 ミフィリアはひときわ大きく、瞳を開いて。


「お別れ、ということですか」

「そうなるかな。時間が来ちゃう前に、今から王様のところに行って、俺がいなくなった後もミフィリアは離宮で安心して暮らせるようにしてくれって、頼んでくるね」

「待って、待ってください。私、ここに住みたくないです」

「そう? 当初の予定とは違ったけれど。豪華な宮殿。美しい品々。高い身分。それは、『輝きたい』と言ってた君が望んでいたものなんじゃないのか? 奴隷みたいなことしなくて良さそうで。むしろ君が奴隷を使う立場じゃん、みたいな?」

「それは、素敵なことなのかもしれませんが。私、もっとほしいものが、してみたいことがあるんです。というか、できたんです」


 へえ、興味があるな。


 豪華な宮殿暮らしよりもやってみたいこと。俺だったら、何を願うんだろう。


「一つ、聞かせてください。王の足を診たのは、打算ですか? 王の足を治せば見逃して貰えるから。あるいは、褒美が貰えるかもしれないから、という?」


 なるほど、そこが気になるか。


「困ってる人がいたら、自分に余力があったら手伝ってあげよう。相手が男でも女でも。王様でも子供でも。神様でも。そういう『倫理観』の国で育ったんだ。この世界とは、違う考え方かもしれないけれど。ま、肝心の余力があんまりなかったんで、俺も含めてみんな、そんなにも人様の手伝いなんざできずに生きてたりしたんだけどね」


 今は大仏様のおかげで、能力的にも金銭的にもちょっと余力があったからな。


「そんなの……そんなの……」


 ミフィリアの息が荒くなる。


「どうして、こんなに動揺してるのか。こんな気持ち、初めてで、私も、わけが分からないんです」


 ミフィリアは胸が苦しそうだ。でも、それは病気とかではなくて。


「そんなの、眩しくて、そんなの怖くて、分からなくて、でも、好き、ううん、違う、その、その」


 ミフィリア自身、彼女の中に生まれた気持ちを色どる言葉を探しているようだ。もどかしさと共に。


「私、ピョン吉さんを手伝いたい。きっと、足手まといになる。でも……」


 彼女は決意したように、キッと顔を上げた。


「私も、誰かのために、生きてみたいんです。豪華な暮らし。満ち足りて完結した人間関係。自分で動かなくてもいいだけの奴隷。ここにいたら私、たぶんすぐに、この気持ち忘れちゃう。忘れたくない。自分を、本当に好きになりたい」


 ミフィリアが自分が抱いた気持ちを、そう言葉にした時。


 ミフィリアの胸から、光り輝く「きゅう」が現れた。


 「何だろう?」と思いつつ、ミフィリアから現れた不思議な光の玉に俺が触れた瞬間、世界が暗転した。


 ◇◇◇


 気がつくと、俺は闇夜の中に立っていた。


 足には石の道の感触。なんだろう、この場所。懐かしい感じがする。


 暗闇の中に、石造りの常夜灯じょうやとうが立っている。


 アレ? 俺はガンダーラという世界にいたはずだけど、ここは何か日本っぽくないか?


 常夜灯に灯っているアカリは、不可思議な宇宙に投げ出された孤独な魂の微光のようで。


 しんしんと雪が降っている。肌に冷たい空気が触れている。俺の吐く息が白い。


 世界は、宇宙は今、夜なんだ。そんなことを直覚した。


 常夜灯の横に、一人の好々爺こうこうやとしたお爺さんが立っていた。


「ええと。どなたでしょう?」

「儂は、福禄寿ふくろくじゅじゃ」


 福禄寿。いわゆる「七福神」の一人である。日本での知名度はえびす様や弁天様ほどないかもしれないが、れっきとした七人の神様のうちの一人である。


「そなたが手にした光の玉を、『神玉しんぎょく』という。『福禄寿の神玉』、そなたに託そう」

「その言い方ですと、もしかして」

「うむ。『神玉』は、全部で七つある」


 七福神の人数分あるということだろうか。


「七つ集めると、どんな願いも叶ったりは?」

「する。くれぐれも、良いことを願うがイイんじゃぞい!」

「マジで!?」

「やれやれ、あっという間に時間じゃ。この『浄土じょうど境界きょうかい領域りょういき』との交信が切れる前に、一つだけ忠告しておこう」


 福禄寿様の、重厚な声が場に響く。


「マハーヴァイローチャナに、騙されるな」


 再び、世界が暗転した。


 ◇◇◇


 次に俺が気がつくと、目の前には、自分の気持ちを告白して体を打ち震わせているミフィリアの姿があった。


 ガンダーラに、戻ってきた?


 うむ。こちらも、ミフィリアという一人の女の子にとっての重要な局面であった。


 「誰かのために、生きてみたい」というミフィリアの言葉は、とても素敵だった。輝いていた。


 どうしても、自分の娘だったとしたらと考えてしまうが。


 気持ちは、大事にしてやりたい気がする。


 俺の娘では、ないかもしれない女の子だが。


「ミフィリア、親御さんはいるのか?」


 少女は高揚している。涙目をしながら、首を横にふる。


「私は、赤子の時にサンガの門前に捨てられていました」

「そうか。聞いてくれ、これは君に同情してるとかでは全然ないんだが」


 声をかけるなら、オッサンの俺の方がエスコートすべきだろう。


「ミフィリアはもう、『誰かのため』に生きてたんだぜ。他人である俺に丁寧に接してくれたし。自分へのリスクを負っても、王様の不安をおもんばかって心を楽にしてあげようと手を握っていてくれたんだから」


 それはけっこう、珍しいくらいありがたいことだよ。


 大人だから知ってるけど、この先もそうやって生きていきたいのなら、けっこう大変かもしれない。


 でも。


 広い大宇宙の中では、一笑にふされてしまってもしょうがないような一つの世界の片隅で、生まれた彼女の美しい気持ち。


 どんな浄土・法界の、まだ誰も知らない彼女の気持ち。


 俺が大事にしてあげなければ、消えてしまうのだとしたら。


 俺は、ミフィリアに向かって手を差し伸ばした。


「娘を探しているんだ。年頃の娘の気持ちは俺には分からないからな。来てくれたら、とても助かる。だから良かったら……」



――ミフィリア、手伝ってくれ!



 ミフィリアは、迷わず俺の手をとった。


 責任を感じる。でも、年齢差も、男であるとか女であるとか、生きてきた世界が違うとか全部関係なく。彼女への「ありがとう」の気持ちは本当だ。


 俺とミフィリアを包むように世界が輝き出し、窓の外の空に「宝船」が現れた。


 この世界での時間が、終わるんだ。


 天空に浮かんだ「宝船」に向かって、俺とミフィリアがキャトル・ミューティレーションされた牛みたいに吸い込まれていく。


 途中。この世界の全景を眺望ちょうぼうすることができた。


 広い砂漠の中に、星のように煌めいている理想郷。


 王様もこわばりが取れてみればけっこうイイ人っぽかったのに、土台には奴隷を敷くことをみんなが受け入れていた世界。


 肯定しようか。否定しようか。しばし考えて、俺は答えを保留した。


 俺が俺自身に感じる、変化の予兆がある。娘がいなくなってから失っていたような、誰かのために学ぶといった感覚。まだ、結論を急ぐのは早い。


 だから、俺とミフィリアがこの世界から消えてしまう間際。


 ただ、美しい世界に向けて、こう言葉を紡いだ。


「縁があったら、またな!」

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