2/娘かもしれない少女と、昼間からエール酒を飲む

 まだ昼間だが、街の酒場にて。


 俺はミフィリアとテーブル越しに座って向かい合った。


 ミフィリアにおすすめを尋ねたところ、「エール酒」なるものが美味しいというので、陽気なマスターに頼んでみた。


 注文していたお酒が運ばれてくる。


 あ。もう二人分頼んじゃってからナンだけど。


「この世界って、お酒は法律で二十歳以上じゃなきゃ飲めなかったりする?」


 俺はアラフォーだから飲んじゃうけれど、あくまで外見からの判断になるが、ミフィリアは十代のような気がする。


「法律……というと『ダルマ』のことでしょうか? 司っているのは王ですが、王は特にお酒を飲むことに年齢で制限を設けたりはしておりません」

「じゃあ、ミフィリアも飲めるのかな?」

「飲めます。私たちスードラは、殿方にご奉仕する達人となるための教育を受けてきた者たちですから。お酒の作法も一通り教わっております」


 さて、このエール酒の味だが。


 美味しい。五臓ごぞう六腑ろっぷに染みわたる感じだ。


「ウェイウェイ!」


 俺は、思わず声をあげた。


 酒が、美味しいじゃないか。死んでる身の上でなんだが。


 ミフィリアの方も、「飲むぞ」という感じで柔らかな手で銀の髪をかき上げると、可愛い耳が見えた。


 飲みっぷりは上品で、少量を口に入れて、ゴクゴクと喉を鳴らすと小さく息を吐いた。


「ところでピョン吉様、お酒のお代は?」


 無断飲食か、さては飲み逃げに付き合わされると思ったのか。そこまで警戒してるかはともかく、ミフィリアはフと頭に浮かんだ疑問といったていで尋ねてきた。


「ここに、あるよ。ある程度のお金、一定期間のこの世界での活動に支障がないくらいは、彼らに渡す前に袋から抜いておいたんだ」

「私、てっきりピョン吉様は全財産で私を衝動買いしたのだと思ってました」

情熱パッションは感じながらも、現実的な手段は分けて考えて準備しておく。大人の知恵だヨ」

「べ、勉強になります」


 向学心があり、ざっくりと言えば「頑張り屋さん」な子のようだ。


 その志向性が向かう先が「上質な奴隷になる」だったってのは悲劇だと感じるが、この感覚も俺が俺の世界の価値観で彼女を判断しているに過ぎないのかもしれない。


「いきなり踊り出された時は、その、私は狂人に買われてしまったのかといささか不安になりました」

「驚かせて悪かったね」


 娘かどうかを早く確かめたくて、気が急いていた面はあるな。


「俺は、ざっくりとは異世界からきた」


 まずは、こちらの素性を説明しておこう。


「異世界……というと?」

「この世界、ガンダーラの外の世界かな」

「やはり、旅のお方。私、外の世界については書物で読んだだけで。象、という大きな動物がいたりするのでしょう?」


 ふむ。このガンダーラは砂漠の中のオアシスに独自に発達した都市だと分析していたが、どうもこの世界にも、砂漠を超えれば外の世界はあるようだ。


「象もいるし、土佐犬もいるし、ガン●ムとかもいるよ」

「ガン●ム……?」

「まあ、ロボットの一種だね」


 ここではたと気づいたが、ロボットとかアニメという架空の娯楽の話をする前に、このガンダーラにはまず「機械」がない。もうちょっと言って、俺の世界でいう産業革命が起こるよりも、ずっと前という感じだ。


 あながち、アメンホテプ3世がいるというのも、奇妙すぎることでもないのか。


 俺も本を読んで勉強した程度だが、この世界は俺の世界の紀元前くらいのオリエントの文明を連想させる。


 「所有」の概念が生まれてからしばらく経ち、神殿に富が集中し、神と王の概念が結びついて発展している世界。奴隷によって成立している世界。


 俺が生きた世界があり。ミフィリアが生きてきた狭い(と言っては失礼かもしれないが)世界があり。このガンダーラという世界があり。


 それぞれはバラバラの世界だが、関係し合ってもいるのか? たとえばそう、「縁起えんぎ」のようなもので?


 世界。世界。世界。


 何か「世界の仕組み」のようなものに気づきかけた俺だったが、そんな俺の深淵な思索は、ミフィリアの美しい声でさえぎられた。


「わくわくエモン!」


 彼女の柔らかな唇から、それまでのイメージとは異なるテンション高い人みたいな言葉が零れてくる。


「私、何を言っちゃってるのでしょう。この言葉、始めて使った。『わくわく』。言葉だけは知ってたのですが。なんで?」

「そりゃ、『わくわく』してるからなんじゃないの?」


 彼女にとっては想像もしてなかった展開になってきたわけだからな。


 そういった状況を少しでも「わくわく」と捉えられるのは、彼女の心根が芯の部分で健全であるからのように思える。「エモン」という部分は、よく分からないが。


 「わくわく」ね。「宝船」の翻訳機能を介さない、彼女本来の言葉ではどう言うのか、ちょっと興味があるな。


「サンガに一緒にいたスードラの子たちはライバルでしたので、あまり本心を見せたりすることはありませんでした。ピョン吉さんとこうしてお酒を酌み交わしてると、なんか変な、その、初めての気分で。胸がウズウズして、不思議な感じです」


 そんな言い方をされると、俺にフォーリンラブしちゃったの? とか一瞬解釈したくなるが、たぶん違う。


 俺も、そんな「ウズウズ」した感覚を、若い頃に初めて持ったことがあった気がするからな。


 たとえばそれは、俺が中坊くらいの時に、初めて深夜のファミレスで気の置けない友人と語り倒した時に感じた「ウズウズ」と同じ類のものだろう。


「俺がいた世界にも、搾取も格差もあったからね。ことさらこの世界を悪とは言わんさ。だが、これは俺の持論なんだが、女性に優しくない世界は滅びる」

「ピョン吉様がいらっしゃったところは、そんなに女性に優しい世界だったのですか?」

「いんや。だから、ちょっと滅びかかっていたかもだ」


 俺は苦笑いを浮かべた。


「これから、私はどうなるのでしょう?」

「ミフィリア、おまえさん、何ができる?」

夜伽よとぎ、でしょうか。私がいたサンガではトップでしたから、ある程度の能力はあると思います」


 サンガとは、俺がいた世界では僧院を指す言葉だったが、どうやらこの世界ではサンガが奴隷の育成も兼ねているらしい。


 これを口に出しちゃうとセクハラになるかもしれないが。いや、セクハラという観念自体が、俺が生きていた世界の産物にしか過ぎないのか? まあ、いずれにしろ今後のミフィリアとの会話の基本仕様にも関わってくることなので、思い切って聞いてしまうことにしよう。


「ミフィリアは、男性経験が豊富だったりするの?」

「私がいたサンガは高級奴隷を育成するための名門でしたから、性技の練習に実際の男性は使いません。女性に、模造の男性器を装着させて慰撫いぶの練習をするのです」


 高級であるからこそ、実際の男性と経験はしないということは。


 処女の方が高く売れるっていうことか。


 俺がいた世界にも、性に関するそういう価値観はあったが、この話、この世界の買う力がある側――カーストの上位の人間の腐敗を感じてしまうのは何故だろう。


 俺だって、特段に人格者ってわけでも何でもないんだけどな。


 うーむ。かなり頭がイイ子なのに、特技は夜伽か。


 あくまで俺が生きてた世界の倫理観ではということになるのかもしれないが、こうして多少なりとも縁があったミフィリアを、改めてこの世界の男の奴隷として売り渡すというのもはばかられる。


 さて、どうしたものかと思案していたところに。


 酒場の入り口の扉が、荒々しく開く音が響いた。


 物々しく武装した男たちが、酒場の中に踏み込んできた。


 ミフィリアが顔色を変えて、俺に向かってささやく。


「アメンホテプ王の衛兵です」


 物々しい。どうも、友好的な雰囲気ではないな。


「黒髪の旅の男と、上級スードラ・ミフィリア! 貴様たちを王宮へと連行する!」


 武装した屈強な男たちが、神の代理だといわんばかりの威圧感で、俺たちに告げた。


 この世界で俺とミフィリアのことを知っている人間は限られる。これは、ミフィリアに首輪を付けていた男たちが王宮と癒着していたといったところか。


 目の前の大金とミフィリアを交換したものの、サンガ、奴隷競売、王宮とで確立された、自分たちの権益の外にミフィリアを逃したくなくなって強行策に出たといった推理は成り立ちそうだ。


 強い立場の人間たちが世界の枠組みを作り、弱い人間をコントロール下に置こうとする。


 俺が生きた世界でもあったことだし、俺もどちらかといえば、どこかで「そういうものだ」と諦めていたフシがあった。


 だが、俺だけならイイとして、何故だろう。


 たとえば、生き別れていた娘が。


 娘が重なるミフィリアが、そういった暴力的な強い力の前に何かを諦めないとならないのだとしたら。


 俺は、無性に胸がざわついてしまうのを感じていた。


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