4-3.色出 しのぶ <3>
平手打ちのひとつくらいは覚悟していたが、色出は壊れそうな足取りで近づいてきて俺の肩を掴むだけだった。
その顔は泣いているのか笑っているのか、俺には判断がつけられない。
「あれ……、おかしいな。なんで、こんな。あれ……」
その姿に罪悪感を覚えるが、ここで優しさをみせて下手に希望を持たせるわけにはいかない。
色出の肩を掴んで、グッと引き離した。
「この一週間、色々あってさ。それで自分の気持ちがちょっと分からなくなってたんだ」
「な、なんでそんなこと言うんですかぁ……」
「恋愛って、もっと素敵なものだと思ってたんだ。好きな相手の事を考えるだけで幸せになって、付き合うことができたらお互いもっと幸せになって」
自分のことしか考えていない腹黒少女。
好きなことしか見えていない暴力女。
無償で相手に尽くすだけの拗らせ親友。
そして、恋に恋した運命論者。
「でも、そんなの俺の勝手な妄想だったんだな」
別に、女がみんな
ただ、俺はこんなやつらと恋愛できる気がしない。
結局俺も、小説みたいな恋に恋する夢見がちな
「ごめんなさい、私の気持ちで振り回してごめんなさい。だから、だからお願い、その先は……」
「俺は、君とは付き合わない」
その言葉は、確かに彼女の心を貫いた。
色出はその場に膝をついて崩れ落ちた。
後味が悪い。
口の中がカラカラに乾いているのに、背中を流れる汗が止まりやしない。
こんな気持ちを後3回も経験しないといけないのか、と考えると気が滅入るし、中学時代は何十回とこんな思いをさせていたのか、と改めて自分のバカさ加減に呆れてしまう。
恋愛するなら、
表に出したら、後はもう痛さも辛さも覚悟しないといけない現実が待ち受けているのだから。
色出はゆらりと立ち上がって、澱んだ目で俺を見上げた。
睨むというより、解像度の低い画像を目を凝らしてみるように、細めながら見開いた目で俺の顔を見つめてくる。
その
嫌な予感がして、色出に声をかけようとしたところで、彼女の
「そっか。時雨くん、あの女たちに誑かされてるんですね?」
「おい、色出?」
「いらない。私以外は必要ない。だって、運命の
「おい、ちょっと待っ……!」
「時雨くんに愛されるのは私一人だけでいい」
色出は右手を眼前に掲げ、人差し指と中指をピンと揃えて印を組む。
直後、大量の破裂音とともに煙が広くばらまかれ、色出の姿がかき消えた。
「色出っ!!」
油断した。
しかし、色出が逃げ出した時に備えて、屋上の昇降口はちょっとした細工をしてある。
俺が非合法な手段で手に入れた鍵を使わなければ、この屋上から出られないはず、という俺の想定は甘すぎた。
相手は忍者。忍者なのだ。
煙が晴れた屋上には俺一人しか残っておらず、色出の姿は影も形も見えなかった。
「あー、もー、何でどいつもこいつも!」
愚痴を吐いても仕方がないとは分かっているが、俺は空に向かって叫ばずにいられなかった。
∞
「くそっ、三人とも連絡つかない」
屋上を飛び出してすぐ颯と命、陽染の三人に連絡をしてみたが、誰一人連絡が着かなかった。命と陽染の二人はともかく、18時過ぎでもないのに颯が俺の連絡に返信しないのは異常事態だ。
色出が何をする気か知らないが、たとえ色出が本物の忍者でもあの三人に敵うとは思えない。
せっかくあの三人の間に
とりあえず教室に向かおう。颯や陽染がまだ残っているかもしれないし、二人と合流したら命を探しにいけばいい。
そう思って廊下を走っていると、マナーモードを解除していた
「もしもし!?」
『時雨くん、廊下を走るのは危ないからやめたほうがいいですよ』
着信表示も見ずに電話を取ると、画面の向こうから話しかけてきたのは色出だった。
どういうことだ、こっちの動きをどこかから見ているのか?
思わず立ち止まって辺りを見回してみるが、色出の姿はどこにも見えない。
くそっ、と吐き捨て、再度教室に向かって走りながら電波越しに色出を問い質す。
「色出、お前何しようとしてるんだ」
『時雨くんのために邪魔な女を始末しようとしているだけですよ』
なんか似たようなセリフを最近聞いたような気がするな……。
それぞれ方向性は違うものの、俺の周りに集まってくるのは、どうしてこうも変な女ばかりなのだろうか。
息を切らしながら教室のドアを開くが、そこには颯も陽染もいなかった。教壇の近くでおしゃべりしていたクラスメイトに「颯か陽染を見なかったか!?」と大声で質問すると、驚きながらも「さっき帰ったみたいだけど」と教えてくれた。
短くお礼を返してすぐに踵を返す。
さっき帰ったということは、まだ校内に残っている可能性は高い。廊下の窓から校門を覗くと、そこには
よし、校門前なら間に合う!
と、思った瞬間。突如全身が金縛りにあったように動かなくなった。命に血を吸われた時ともまた違う、全身を鎖で縛られて電気を流されたような苦痛が走る。
わずかに動いた首を後ろにひねると、俺の影の上に細く長い針が刺さっているのが見えた。
『駄目ですよ。時雨くんはそこで待っていて下さい』
「色出……、何をする気か知らないが、あの3人を相手にするのはマジで危険なんだ。考え直せ」
『大丈夫です』
色出はあっけらかんとそう返答する。
命や陽染の危険性を知らないのか、とも思ったが、少なくとも色出は千草の家で三人が争っていた時、その場にいたはずだ。なら、三人の危険性を知らないはずはない。
俺は直接見たわけではないから、あえて意識しないようにしていたが、あの日の庭の破壊具合は明らかに人の範疇を越えていた。鉄球クレーンを好き勝手振り回したような破壊痕は、三人の争いがどれだけ危険なものだったのかを教えてくれた。
そんな俺の心配をよそに、色出は電話口で全く違う話をし始める。
『時雨くん、人って何で人を好きになるんだと思いますか』
「あぁ? こんなときに何を言ってんだ」
『こんな時だからです』
色出の声は真剣だ。
人が人を好きになる理由。
考えてみれば
俺は自分自身の答えを即答する。
「幸せになりたいからだろ」
俺が人を好きになる理由は単純明快。幸せになりたいからだ。
好きな人を見ていると嬉しくなる。好きな人がそばにいると嬉しい。だから人は人を好きになる。
夢から覚めた今となっても、俺の基本はそこにある。
しかし、色出はその答えでは納得できない様子だった。
『私は昨日までとっても不幸でした。人を好きになったのに、不安しか無くて、嫌なことばかり考えて、幸せなことなんて何一つありませんでした』
「それは……」
それも確かに恋愛の一面だ。
人を好きになったからと言って、幸せなことばかりとは限らない。
相手も自分のことを好きになってくれるとは限らないし、想いが通じても恋人同士が必ず幸せになるとは限らない、ということくらい、認めたくはないけれど心のどこかで理解はしている。
だから、この質問に正しい答えなんてないのだ。
人が人を好きになる理由なんて、それこそ人の数だけあるだろう。
『分かってます、答えなんて人それぞれですよね。だから、私も私の答えを見つけたんです』
色出の答えはもう分かっている。
聞きたくない。聞きたくは無いが、これはきっと俺が聞かないといけない答えだ。
「色出は、何で人を好きになるんだよ」
『
色出は興奮したように声を張り上げた。
『人が人を好きになるのは運命で決まっているんです。人を好きになるのは誰にも止められない運命なんです』
「人は運命で恋をするって?」
『その通りです! そして恋が実るのはお互い愛する運命を持った人のみ。そう、私と時雨くんみたいに』
まるで両親の言葉を聞いているようだ。
運命の恋なんてくだらない。当事者二人は気持ちいいかもしれないが、それに巻き込まれる周囲の迷惑を考えたことはあるのだろうか。
ひと目会って恋をして、愛する人と結ばれて、
そんな「運命の恋」とやらを押し付けてくる両親がずっと嫌いだった。
いつも自分たちのことばかり、
だから、色出。
「俺はそんな運命信じない!」
『でも、私は信じています、私達の
∞
千草颯は校門の前でお互い牽制しあっている少女たちを見かけて、声をかけるか無視するか判断に迷った。
片方は君長命。この街の人口くらいなら一晩で堕とせるほどの
もう片方は不破陽染。かつて千草の家でも血を取り込んだことのある
先日は千草颯が
二人は隣同士に並びながらも、一切視線を合わせない。
銀髪の少女は片手で優雅に文庫本を読んでおり、黒髪の少女は
この二人が張り合うということは、十中八九お目当ては愛染時雨だろうと考え、千草颯は仕方なく少女たちに声をかける。
「君長さん、不破さん。どうしたんですか、そんなところで」
「あら、千草さん。別に何でもありませんよ。ちょっと本がいいところだったので」
「あたしは部活の助っ人まで時間があるから筋トレしながら暇つぶししてるだけだよー」
周りには下校中の生徒の数も多く、美男美女のスリーショットに男女問わず目を奪われている。
愛染時雨の前では素を晒す三人も、大勢の前では普段通りの仮面を被っていた。
「もしかして誰かさんが帰るのを待っていた?」
「うふふ、想像力が豊かなんですね」
「あはは、さーて、どうだろうねー」
そのやりとりに周囲の女子が黄色い悲鳴を上げ、男子が嘆きの声を漏らす。
人によっては、校内でも有名な
しかし、その実態はとある男子生徒を巡る三つ巴の冷戦だ。
「時雨に迷惑かけるつもりなら容赦しないけど?」
「それはこちらの台詞ですね」
「えー、なにー? 冗談はやめてよー」
千草颯は二人に近づいてから、周りに聞こえないよう顔を近づけて小さくつぶやき、二人の美少女はそれに笑顔で返す。
そんな様子に周囲の女子のボルテージは更に高まるが、本人たちは全く周りを気にしていなかった。
「彼も大変ですね、変態の幼馴染を持って」
「なにか言ったかな?」
「いいえ、別に何も」
「二人ともー、喧嘩するなら他所でやってよね。あたしを巻き込まないで」
三人とも談笑しているようにしか見えないが、ここが学校でなければすぐにでも殺し合いが始まりそうな一触即発の状態。
そんな空気を感じていたのか、単に近寄りがたかっただけなのか、校門前にも関わらず三人の周囲にはエアポケットができている。
そんな中、近くにいた女生徒の悲鳴が響き、校門前にいた三人目掛けて大型トラックが激突した。
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