忍れど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで
4-1.色出 しのぶ <1>
昔から両親が家にいることは少なかった。
父親は世界中を飛びまわる研究者、母親は世界中に拠点を持つ
家族全員が集まる日なんて年に数回あればいい方だ。
父親は寒がりで、のんびり屋で、人に甘く、大食漢で、浪費家で、筆不精。
母親は暑がりで、せっかちで、人に厳しく、少食で、倹約家で、筆まめだ。
まるで正反対な二人だが、お互い初対面で一目惚れしてその日の内に結婚したというのだから縁というのは分からない。
父親は常々俺に教えを説いた。
『いいか、将来の嫁と出会うのは運命だ。ある日、突然、どうしようもなく好きになるんだ』
母親はことある毎に教育してきた。
『いいこと、異性の言葉なんて簡単に信用してはダメよ。本当に好きな人というのは、言葉なんかなくても運命のように感覚で分かるものだから』
その運命とやらで結婚した結果がこの
俺が運命なんて信じてないのは、最も身近に反面教師がいてくれたおかげである。
∞
「よう、おはよう」
「……」
教室に入るとすでに颯は登校していた。
今日は用事があったのでいつもよりかなり早い時間に登校したのだが、一体この親友はいつも何時に登校しているのだろうか。
颯は読んでいた本に栞を挟むと、こめかみに指を当てて妙な表情を浮かべた。
「どうした、鳩が豆鉄砲を食らったような顔して」
「うん、君の図太さに呆れたというか、あれこれ考えすぎてた自分がバカみたいだと思ってた」
「何言ってんだお前」
どうやら颯はまだ昨夜の出来事を完全には飲み込めていないらしい。
まぁ、好きな相手に告白したのに有耶無耶にされたうえ、普通に友人として話しかけられたら頭の一つも抱えるか。
謝る気はないけどな。
「気にしないで。それより今日はかなり早いね。日直?」
「いや、ちょっと用事があってな。もう終わったけど」
「へぇ、珍しいね。どんな用事?」
「あぁ、ラブレター」
「……ん?」
読みかけの本を開いて適当に会話を聞き流しはじめていた颯の動きが、少し止まった。
「だから、ラブレターを出しに来たんだ」
∞
放課後、手紙で指定した屋上にやってきたのは同級生の小柄な少女だった。
肩まで伸びた姫カット、制服は着崩しておらず校則通り、だが野暮ったい感じはまるでない。派手ではないが要所を押さえてお洒落しているところがなかなかにポイントが高かった。内気な美少女、といったところだろう。
「あの、愛染さん」
「はい」
「私、先週あなたのことフりましたよね」
「はい」
「じゃあ、
「いや、
「ど、どういうつもりなんですかー!」
少女の叫びが梅雨を控えた五月晴れの空に響き渡った。
彼女は、先週俺に
「こうでもしないと話聞いてくれないと思ってな」
「うぅ、愛染さんのあほー、ばかー」
なぜ彼女を呼び出したかというと、ちゃんと理由がある。
いや、ラブレターを使ったのはちょっとした意趣返しのつもりではあるのだが、あんなことをされたのだ。これくらいの悪戯は許して欲しい。
しかし、本当見てて可愛いな色出さん。
さて、本題はこれからだ。
「ひとつ確認したいんだけど。昨日の夜、千草の家で俺を助けてくれたの、色出さんだよな」
「な、んのことですか?」
はいビンゴ。というかダウト。
ここまで分かりやすい反応をしてくれるとは思わなかった。
小刻みに眼球がブレてるし、胸の前で手を合わせているのは俺から距離を取りたいという心理的防御行動だ。
なんかここまで動揺されると逆に申し訳なくなってしまう。
だが、念の為さらに証拠を積んでいく。
「颯の家さ、お手伝いさんはたくさんいるけど、あいつの周りには誰も近寄ってこないんだよ。それに、お手伝いさんがあいつの名前を呼ぶなんてありえない。皆が皆、『坊っちゃん』だとか『若』だとか、そういう呼び方するんだ」
「へ、へぇー、何のことか分からないですけど、そうなんですね」
最初の違和感は、お手伝いさんが
そもそも、あの家で使用人に命令を出せるのなんて颯本人かすでに隠居した元当主である颯の爺さんくらいしかありえない。そして、そのどちらも俺を座敷牢から出すような命令をするなんてありえないのだ。
そして、お手伝いさんが自分の判断で俺を助けるなんてことはもっとありえない。
千草の家の使用人は滅私奉公の体現者。というか、本当に人間かすら怪しんでしまうくらい使用人としては完璧だ。黒子のように働く彼らがあの家で主人の命令も無しに勝手に動くなんてありえない。
だから、結論として俺を座敷牢から助けてくれたのは、千草の家のお手伝いさんではない、ということになる。
それに何より。
「匂いが同じなんだ」
「え゛っ……」
「座敷牢であったお手伝いさんは、先週屋上に呼び出されたときの手紙と同じ匂いがした。それが決め手だったよ」
「な、な、な」
「改めて確認するけど、俺を助けてくれたのって、お手伝いさんに変装した色出さんだよな?」
「何のことか分かりませーん!」
色出さんはどこから取り出したのか、片手に持った手のひらサイズのボールを勢いよく地面に投げつけた。
ボンッ、という音とともに煙が屋上を包み込む。
フェンス越しに吹いた風が煙を追い払った後、彼女の姿は煙とともにきれいサッパリ消えていた。
屋上に残された俺は、目の前で起きた光景を端的に一言で表すことしかできなかった。
「……忍者だ」
∞
「忍者ね」
「忍者かよ」
「忍者だね」
「やっぱり忍者だよな」
翌日の昼休み、俺と命と陽染と颯の四人は学食で仲良くランチタイムと洒落込んでいた。そして屋上での一件を話した後の、皆の第一声がそれだった。
昼休みの学食はそれなりに混み合うのだが、美女と美少女とイケメン(とプラスアルファ)が一つのテーブルに集まっているので、俺たちの席の周りはなぜか誰も座ること無く、誰もが遠巻きに眺めている。
「というか、何ですかこの面子」
「それはあたしも思った」
「ほら、三人とも色々あったから、仲直り会?」
命と陽染は二人とも額に青筋を浮かべてる。颯は平然としたもので、二人の視線を軽く受け流してどこ吹く風だ。
傍から見たら美少女二人がイケメンに見惚れているように見えるかもしれないが、その実態は全く違う。
この地獄のような面子を揃えたのは俺だ。
いや、本当ならもう本気で関わりたくなかったのだが、わざわざこの三人を集めたのにはちゃんと理由がある。
一昨日の夜、颯の家で三人はちょっとした諍いを起こしたのだが、まぁ何やかんやでその辺りは色々と有耶無耶になった。
の、だが、その収め方がよくなかった。
「二人とも、時雨に免じて今回は見逃すけど、一つだけ覚えておいてね。時雨にとって有害だと思ったら本気で排除するから」
「はいはい、虎の尾を踏むつもりはねーよ女装野郎」
「貴女に従うつもりはないですけどね、
戦争が始まるかと肝を冷やした。
その場は俺がなだめてなんとかなったのだが、このままではまたいつ戦争が勃発するか気が気ではない。
そこで、せめて学校内では問題を起こさないでくれ、という願いを込めてセッティングしたのがこのランチタイムだ。
食事が始まってから数分、誰も会話を始めなかったので俺が話題に出したのが、昨日の屋上での顛末だった。
お互いの敵視からなんとか興味がそれてくれたようで一安心だ。
食後のお茶を飲みながら、そういえばと颯が会話を続けた。
「色出さんって先週時雨をフった相手だよね。なんでそんな子が時雨を助けたんだろう」
「ぐっ……」
お前、今その話を出してくるのは反則じゃないのか。うまく誤魔化しながら話したのに。
恐る恐る
「あら、袖にされた相手にラブレターを送るなんて」
「がっ……」
「あはは、女々しい奴だな」
「ぐぬぬ……」
ええい、オーバーキルしてくるんじゃない。
俺はなんとか気を持ち直して、颯の言葉に返事を返す。
「まぁ、だから不思議なんだけどな」
颯は少し考えてから、ひとつ指を立てる。
「そういえば気を使って詳しくは聞かなかったけどさ、何でフラれたの? あっちから呼び出してきたんでしょ」
「あー、実は……」
これも恥になるのであまり話したくはなかったが、話題に出した以上仕方がない。
ただ、言い方次第では颯がキレる可能性があるから、なるべく事実だけを端的に伝えるようにしなければ。
「よし殺そう」
「おい」
案の定、颯がキレた。
あれぇ、ラブレターで呼び出されてオッケーしたけど、実は友達同士の罰ゲームで逆にフラれましたって事実を端的に伝えただけなんだけどな。
そんなに酷い話かな。
そんなに酷い話だよ。
ショックが大きかったから敢えて自分の心を守るために大した話じゃないって思い込もうとしてたけど、結構酷い話だぞこれ。
だからといって颯は過剰反応しすぎだ。
笑い飛ばす、までいかなくても命や陽染みたいにバカにでもしてくれたらこっちも軽く受け流せるってもんだが。
「あら、拷問しなくていいのですか」
「まて」
「おいおい、お前ら過激過ぎだろ」
「おぉ、一番暴力的だと思ってたやつが一番常識的」
「せいぜい顔の形が変わるくらい殴る程度で許してやれよ」
「前言撤回」
ダメだコイツら。早く何とかしないと色出さんが危ない。
というか、颯はともかく他の二人も何でこんなにキレてんだよ。お前らは俺の不幸を嘲笑う係だろ。
冗談だよー、と陽染が笑いながら茶化すが目が全く笑っていなかった。
「あれ、でも色出さんって美術部グループの子だよね」
「そうなのか?」
そう言い出したのは陽染だ。
陽染はその性格から誰にでも好かれるので顔が広い。俺はフラれた後になって密かに色出さんのことを調べていたのだが、陽染は元々知っていたらしい。
しかし、美術部グループか。
「あー、そういえば。だとすると変だね」
陽染の言葉に颯も違和感に気付いたようだ。唯一、病弱で学校を休みがちだった命だけが、事情が分からず首をひねっている。
「そうなんですか?」
「お嬢はあんま友達付き合いないんだね。美術部グループって全員のんびりしてるというか、ふわふわしてるっていうか、あんまりドロドロした空気は感じないんだよね」
お嬢って誰だよ。いや、命のことってのは分かるけどさ。
どうやら千草の家での一件で、命と陽染の関係もちょっと変わっていたらしい。それが分かっただけでも、まぁこのランチ会を開いた甲斐はあったと思っておこう。
俺は残っていた定食を全部平らげてから、陽染の考察に乗っかった。
「つまり、俺がフられた理由……『友達同士の罰ゲーム』ってのは嘘ってことか?」
「多分ね」
色出さんはどちらかというと大人しいタイプの女の子だ。
自ら先頭に立つ方ではないし、友達同士でも一歩後ろに下がるような控えめの性格。
だから、最初はイジメや仲間はずれみたいなトラブルを抱えているのかと思っていたが、どうやらその線は薄そうだ。
しかし、そうなると話は最初に戻ってしまう。
すなわち。
「なんでそんな嘘を付いたんだろう」
結局、特に答えは出ないままその日のランチタイムはお開きとなった。
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