かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを

3-1.千草 颯 <1>


 昔から何かに縛られるのは嫌いだった。

 別に理由なき反抗がしたい訳ではなく、意味の分からない不合理なルールに従うのが嫌だっただけだ。


 それをハッキリ自覚したのは小学生のころだっただろうか。

 俺の通っていた学校ではなぜか長ズボン禁止というルールがあった。校則ではない。校長が、教頭が、担任教師が強制する謎のルールだ。


 俺がそのルールを知ったのは春先の、まだ少し肌寒い日だった。

 当然のように家を空けている両親のおかげで、おちおち体調を崩すこともできない。下手に風邪なんかひこうものなら、自分で自分を看病しなければならなくなる。

 そんなリスクを避けるため長ズボンを履いて登校したのだが、朝の会で担任教師に目をつけられたのだ。


 今すぐ帰って着替えてこいと言われたので理由を聞くと、病気じゃないのに長ズボンを履くのは認められないという。

 病気にならないよう体調管理をしているのだと答えると、そんなに長ズボンを履きたかったら病気になってから履けと返された。

 

 もし俺だけならそこでブチ切れて終わりだったのだが、俺には知恵も勇気も権力も持っている頼もしい親友仲間がいたのが担任教師の運の尽きだった。


 結果から言うと、颯のおかげで小学校は長ズボン禁止令が解かれ、多くの生徒から感謝されることになる。

 なお、その過程において、二回りも年が離れた小学生男子から理路整然と正論を叩きつけられ涙目で頭を下げてきた大人が何人いたかは秘密である。


 それ以来、俺は納得できないことには反発してきたし、時には颯と一緒になって問題を起こし続けてきた。

 俺のそばには颯がいるし、颯の横には俺が立つ。

 それはいつしか当たり前の、俺の日常になっていた。


 小学生の俺は、そんな日々がいつまでも続くと思っていたのだ。

 

 

 

 

 

        ∞

 

 

 

 

 

「痛ひ」

「そりゃそんだけ怪我してたらね」



 空き教室の一件から一夜明けて、俺は全身包帯男になっていた。


 空き教室で気を失ったあと、俺は陽染の家で目を覚ました。

 駅から少し歩いたところにある二十数階建ての高層タワーマンション、その一室。4LDKオープンキッチンバストイレ別宅配ボックス付オートロックおそらく家賃十数万はしそうな部屋だ。

 高校生が住むには贅沢過ぎる部屋ではあるが、陽染はそこで姉妹きょうだいとルームシェアしているらしい。


 テキパキと俺の治療をしてくれた自称大学生のお姉さんと、見るからにエリート秘書といった雰囲気のお姉さんに挟まれながら、一人自由気ままにコンビニスイーツを食べている陽染に散々愚痴を言われ続けた。



「弱いくせに格好つけるな」

「ちょっとは人の話を信じろ」

「誰がここまで運んであげたと思ってるんだ」

「この貸しは大きいからね」



 おっとりしたお姉さんとキツめのお姉さんに時々注意されながらも、陽染は文句をいうのを止めなかった。


 とりあえず治療が終わったと告げられたので、自分でも怪我の具合を確かめてみたが、想像していたよりもずっと軽傷だ。

 おかしいな。骨の何本かは折れたかと思っていたし、絶対に内出血してしばらくは歩けないと思っていた太腿も、ちょっと青痣が残っているくらいだった。


 もしかしたら、陽染はあんな状況でも手加減してくれていたのかもしれない。

 ……感謝する気はまったくないけどな!


 それでもわざわざ学校から自宅まで運んで治療してくれたことに対して、お礼の一つは必要だろう。帰り際にお礼を告げようと思って「不破」と声をかけると、一緒に見送りに来てくれた二人の姉と一緒になって三人同時に「何?」と返事をしたので、不破陽染彼女は物凄い嫌そうな顔をして「陽染って呼んで」と小さくつぶやいたのだった。



「何があったのさ」

「ふっ、名誉の負傷ってやつさ」

「冗談じゃなくて」



 格好つけてみたが全く効果なかった。

 颯の顔は真剣そのものだ。まぁ、顔色悪くした友人が翌日はボコボコの状態で登校してきたのだ。心配の一つもするだろう。


 颯に心配させるのは本意ではない。

 それに、現状とりあえずとはいえ問題は解決しているのだ。

 命に対して変な気持ち魅力を感じなくなったし、陽染も当面は命に手を出さないと言ってくれた。

 根本的には何も解決していない気もするが、まぁそれはそれだ。


 だが、逆に言えば颯に相談するほどの問題もなくなった、ということでもある。

 俺は真剣な目の親友に感謝しながら、努めて軽く返答した。



「別に、話すほどのことでもねーよ。もう終わったことだしな」

「本当に?」

「あぁ」



 しばらく無言で見つめ合っていたが、颯は肩をすくめて折れてくれた。



「はー……、次は何かあったら言ってよね。これでも親友のつもりなんだから」

「おう、あんがとな」

 

 

 

 

 

        ∞

 

 

 

 

 

「おはようございます、愛染くん」

「げっ」



 翌朝、家を出ると何故か君長命が玄関の前に立っていた。

 思わず心の声が漏れてしまったが、命はそんな俺を気にした様子もなく、平然と俺の横に並んで歩き始める。



「どうかしましたか?」

「いーえー、別に」

「一晩でずいぶん男前な顔になりましたね」

「えー、誰かさんのおかげでね」



 その言葉を自然に口にすることができた。敢えて悪態をついてみたが、昨日までのように命に対して妙に惹かれることはない。

 陽染が言っていたように、あいつの拳である意味目が覚めたようだ。いや、絶対に感謝はしたくないのだが。


 命はデートした時と同じように口元に手を当てクスクスと小さく笑った。

 が、その姿を見ても命に対して好意は沸かない。


 俺と命の関係はなんと言えばいいのだろう。

 友達、ではない。もちろん恋人でもない。敢えて言うなら被害者と加害者、か?

 ともあれ、ようやく俺は命と対等・・に会話できるようになった気がする。


 そんな俺の心を知ってか知らずか、俺の顔を横目で見てつぶやいた。



「愛染くんは、あんなことがあったのに普通に会話してくれるんですね」



 なんだろう、命の態度がまたちょっと変わっている気がする。

 まぁ、こちらも明らかに態度を変えているのだから、別に気にするほどのことじゃないだろう。


 俺は正面を向いたまま、憮然とした態度を貫き通す。



「怒ってないわけじゃないからな」

「そうなんですか?」

「別に、お前が中二病だろうが妙な性癖持ってようが気にしないさ」



 人に迷惑さえかけなければな!

 その一言はなんとか言わずに耐えることができた。


 どうにも命と会話をすると調子が狂う。

 俺は君長命のことが大嫌いだ。大嫌いなのだが、あの空き教室で「お姉さま」と叫んだコイツの姿が、どうにも記憶の中から消えてくれなかった。


 それに、頭では嫌いだと思っているが、君長命は見た目だけならまごうことなき美少女である。

 そんな彼女が俺の横をいい匂いさせながら歩いているのだ。時々肩が触れる瞬間とか、風で彼女の髪が舞い上がる瞬間とか、思わず下半身が反応してしまってもそれは俺に制御できないことなので致し方がない。


 無意識に反応しそうになる俺の一部分を静めるために、無心になって頭の中で円周率を暗唱する。

 3.1415926535、3.1415926535……。それ以上の桁は知らないけど。


 俺の内なる葛藤を気にもせず、命は何か勝手に納得した様子で、一人ウンウンと頷いている。



「貴方はそういう人なんですね」

「何かご不満でも」

「いいえ別に。あぁ、強いて言えば……、家畜の分際で随分な口の聞き方ですね?」

「………………」



 この女、まったく懲りてねぇんじゃねぇか?



「ふふ、冗談ですよ。冗談」



 無言で命の顔を睨みつけると、命はおかしそうに口元を押さえた

 

 

 

 

 

        ∞

 

 

 

 

 

「おっはよー、クラスメイト諸君!」



 教室についた途端、後ろからクラスの人気者不破陽染が入ってきた。

 いつもの笑顔、いつもの口調。

 昨日のことがなければ、俺はずっとこいつの無邪気さを無条件に信じてしまっていたんだろう。


 陽染は俺の様子を目にすると、わざとらしく・・・・・・驚いた声をあげた。 



「うわっ、愛染どうしたのその怪我!?」

「いーえー別にー」



 誰だ、陽染のこと天真爛漫で無邪気なやつとか言ったのは!

 過去の俺だった!



 陽染は「大丈夫ー?」と言いながら俺に顔を近づけて、耳元で小さくつぶやく。



「昼休み屋上、約束ね」

「……は?」

「だから、お大事にねー。そんな怪我してるんだから、無理しちゃ駄目だよ」



 そう言い終わると、陽染は次のクラスメイトに声をかけ、いつもの日課を始めていった。

 

 

 

 

 

         ∞

 

 

 

 

 

 昼休み、俺は購買で物資パンを手に入れ、嫌々ながら屋上に向かう。

 昇降口から外に出ると、梅雨前の日差しに目がくらんだ。


 陽染の姿を探すと、すぐに見つかる。

 昨日の昼休み、俺が座っていたのと同じ場所。

 携帯も弄らずボーッとフェンス越しに外を眺めていた陽染に近づき、無言で彼女の隣に座り込んだ。



「ふーん、約束はちゃんと守るんだ」

「おい、呼び出したのはそっちだろ」



 陽染は何が面白いのかケタケタ笑う。

 おいおい、屋上には他にも生徒がいるのにそんなに目立って大丈夫か、と思ったが、不思議なことに他の生徒は一人もこちらを見ていなかった。



「普通、全身ぼっこぼこにした相手の呼び出しになんか従う?」

「従わねーよ」



 本当なら顔も見たくないランキングTOP2だ。もうひとりはもちろん命。



「でも屋上ここに来たじゃん」

「クラスメイトとの約束だから来たんだよ」

「ふーん」



 陽染は俺の前で演技することをやめたらしい。

 いつもみたいな馬鹿っぽさ無邪気さはなく、あの空き教室で見せた傲慢に相手を見下した態度を隠そうともしていない。


 どれが陽染の本当の性格なのか分からないが、とりあえず今の陽染はものすごく見ててイラつくということだけは間違いない。



「別に説明する義理はないんだけど、中途半端に関わられても困るからさ」

「何の話だ?」

「化物の話」



 別に姉さん達に釘を差されたからって訳じゃないからね、と前置きをして、話を始める。



「何から説明したらいいかな。とりあえず、話の大前提としてこれだけは理解して欲しいんだけど、いわゆる化物みたいな存在ってのは、本当にいる・・んだよ」

 

 

 

 

 

       ∞

 

 

 

 

 

 私の家は退魔師の仕事をしてるって言ったでしょ。

 家と言っても、村全体が一族みたいなもんなんだけどね。


 私の生まれ故郷ではある程度成長したら見込みのある子どもはみんな退魔師の修行を始めるの。私はその中でも凄い才能があったから、一族の宗家に養子として引き取られたエリートなんだからね。


 さて、古い歴史を持つ家ほど、世界の真実を知っているものよ

 妖怪とか、化物とか、そういう存在は昔から存在していたの。

 でも、おとぎ話やファンタジーみたいに、そこら中に怪異がいたわけじゃない。せいぜい何万人に一人が一生の内一度はそういう存在に関わるかどうか、ってくらいの頻度だったんでしょうね。

 それでも、確かにそういう存在やつらは存在した。


 で、ご想像の通りだけど化物ってのは人間に対してよくないもの・・・・・・だった訳ね。

 人を食べたり、殺したり。そうすると、人間側にも化物の存在に気付いて、あいつらを退治しようって集団が現れる。


 彼らがまず何をしたかというと、ちょっとした真実を混ぜたうえで、存在もしない怪異の噂を世間に流したのよ。

 世の中には妖怪という存在が実在します。でも、安心して下さい。奴らはこういう存在で、弱点はこれで、こうしておけば無害です。


 まぁ、ちょっとした注意喚起兼マニュアルよね。

 『この先落石注意』って看板があれば、そもそもそんな道通ろうとしないでしょ。

 今でも新しい怪談とか都市伝説が生まれるのも、その名残みたいなものよ。


 ご先祖様たちはそうやって嘘の中に少しの真実を混ぜて、人間が怪異に近づかないようにしたらしいわ。


 そもそも、化物の絶対数っていうのはかなり少ないの。

 それに、世間で信じられているようなとてつもない力を持った化物なんて、今の世の中じゃほとんど存在しない。すでに滅んでるはずだからね。


 本当の化物っていうのはね、存在するって知っただけで人の精神を壊してしまうものなのよ。実際、退魔師の歴史の中では何人も精神こころを壊して病んだ人がいたみたいだし。

 だから、昔の人達は、わざと居もしない化物の存在を流布することで、真実をより多くの嘘で隠したの。


 妖怪、幽霊、化物。そんなもの、存在するわけ無いでしょう? だって、そのほとんどが嘘なんだから。

 だから、人間は正気でいられる。

 人はよくわからないものを恐れるけれど、その正体を知れば光で照らせば恐怖しなくなるものよ。


 でも、化物は消えたわけじゃない。

 例えば、人の血を吸う吸血鬼とかね。

 

 

 

 

 

       ∞

 

 

 

 

 

「愛染さー、今朝もあの吸血鬼と一緒にいただろ。本気で危ないんだぞ、もうあいつには近づくなよ」



 陽染の長い話が終わった。

 ところどころよく分からない部分もあったが、とりあえずこれだけは言っておかなければいけない。



「なぁ、陽染。一ついいか?」

「何?」

「他のやつにいきなりそんな中二病設定話すなよ。俺以外にはドン引きされるぞ」

ふんっ!」



 陽染の鉄拳が俺の後頭部に直撃した。

 せっかく親友を真似て忠告アドバイスしてやったのに、なんたる仕打!



「痛っ! おい何すんだよ」

「人の話を全然聞いていないバカにお仕置きしたの」

「最後までちゃんと聞いてやっただろ、お前の設定!」

「うっさい! 設定言うな!」



 ばーか、あーほとレベルの低い文句を言いながら、陽染は俺に向かって手を差し出す。



「なに、カツアゲ?」

「誰が! 携帯よ、携帯。非常ひっじょーに不本意だけど、連絡先交換してあげる。あの女吸血鬼に何かされそうになったら連絡しなさい」



 そう言って強引に俺の携帯スマホを奪い取った少女は、自分の連絡先を登録すると満足げに屋上を去っていった

 

 

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