2-4.不破 陽染 <4>
俺が知る限り、不破陽染という少女は裏表のない、ごく真っ当な人間だ。
だから、目の前で暴れる彼女の姿がいつもの彼女とはまったくもって結びつかなかった。
不破は元々小柄な割にスポーツ万能な活発少女だ。
特定の部活には入っていないが、よく人数が少ないスポーツ部の助っ人として試合に参加しており、他校のエースにも負けず劣らずの活躍をしているらしい。
だから身体能力が高いことは知っていたが、ここまで躊躇なく暴力を振るえるなんて思っても見なかった。
殴る、蹴る、押し出し、
荒事には向いてなさそうな命相手にも全く容赦がない。
その容赦の無さこそが一番の違和感だった。
過去に何度か大きな喧嘩に巻き込まれたことがあるのだが、どんなに
よく武道では精神を鍛えるという名目を掲げているが、あれは武という力を持つに当たって暴力の恐ろしさを自覚させるのが目的だ、と以前に颯から聞いたことがある。
だからこそ、不破の容赦の無さは異常だった。
命の
「なにかぁ言い残すことは、化物?」
「……や、やめて。
「ぅん? まぁ、いいか」
一発。二発、三発と重い打撃が振り下ろされる。その度に不破の
命はそれまで不破と互角に渡り合っているように見えたが、押し倒されてからは人が変わったよに怯えた様子で何もできずに無抵抗になっていた。
って、まてまてまて!
それ以上は命に関わる!
「
「あれぇ、愛染……、いたんだ。もう帰っていいよ」
動かなくなった命を見て慌てて声を掛けると、今になってようやく俺の存在に気付いたのか、不破がにっこりと微笑んだ。
その頬にはバッチリ返り血が跳ねており、物騒なことこの上ない。
「不破、お前……」
「いやぁ、愛染のおかげで助かったよ」
「俺のおかげ?」
「いつものように学校行ったら、信じられないくらい濃い気配を感じるじゃん? 何事かと思って調べてみたら、愛染によくないものが
「それって……。昼休み、わざわざ俺を探しに来たのも」
「
そう言いながら、更に一発、命に向かって拳を振り下ろす。
不破が何を言っているのか全く分からないが、とりあえず命に対して敵意を持っているということだけは十分に理解できた。
思わず「やめろ!」と叫ぶと、不破は心底不思議そうな顔を浮かべた。
「なぁに。あ、もしかしてぇ復讐でもしたかった? ちょっと待ってね、
その言葉に背筋がゾクリとふるえあがった。
命を前にした時とは違う、
不破は本気で、何のためらいもなく目の前の少女を殺そうとしている。
そう理解した瞬間、自分でもよくわからない雄叫びを上げて不破の体に吶喊していた。
不破が命の方に向き直ってちょうど死角になっていたためか、
「ちょっとぉ、何すんの」
不破の言う通りだ。
何をやっているんだ俺は。
先程まで命に殺されると怯えていたのに、今は彼女を守る
もう自分でも何がしたいのか分からなかったが、動いてしまったのだ。命を守るために、とっさに体が動いてしまったのだ。だから、これはもう仕方がない。
不破から視線を切らないように気を付けながらも、ちらりと命の容態を確認する。
あれだけ
とりあえずは安心したが、命はまるで怯えた子どもように身をすくませて、ただ
「こういう連中はねぇ、普通に殴っても意味がないんだよ。壊した
「何言って……」
「だから、私達はこういうやつでも倒せるように昔っから訓練してきたの。私、これでも結構凄いんだよ」
「何言ってんだよ不破!」
「だからぁ、お仕事の話」
不破は手をぶらぶらさせながら、つまらなそうに嘆息する。
「私はこういう連中を退治する家に生まれた退魔師なの。まぁ、
女は秘密が多いほど綺麗になるとは何かの小説で見たことはあるが、まさか命に続いて不破までもこんな秘密を抱えているとは予想もできなかった。
どういうことだ、こん畜生。俺に関わる美少女はどいつもこいつも一癖二癖あるやつばかりだ。
「ねぇ、ところで
「やめろ」
「邪魔ぁしないで欲しいんだけど」
「やめろって言ってんだよ」
「邪魔ぁすんなっつってんだろ!」
不破の口調がまた変わった。
もはや
「あーあーあー、あれか。お前、この化物に魅了されてるとかそういうやつか? やだなぁ、面倒くさい。人間相手なんて興味ねぇんだよ」
ハッキリ言って、今の不破に話が通じるとは思えない。
しかし、命を逃がそうにも、彼女はまだ倒れたままカタカタと震えており、正気を取り戻していなかった。
説得できなかったとしても、もう少し時間を稼ぐ必要がある。
俺は諦めず不破に訴えかけた。
「お前、何にも思わないのか。同級生だぞ!」
「違ぇよ、化物だ」
退魔師を名乗る少女は忌々しげに命を見下ろす。
「なぁ、人狼ってゲームあるよな。あれと一緒だよ」
「あぁ?」
口調は乱暴のままだが、理性は残っているらしい。
もしかしたら普段隠しているだけで、こっちの方が本当の不破の顔なのかもしれない。
不破は「いいかぁ」と人差し指を立て、子どもにさとすようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「人間の中に人間の振りして人間を食べちゃう化物が潜んでいます、どうしますか。そりゃ、狩るしかないだろ」
「正気かよ」
「正気だよ。あたしらはなぁ、
不破と目線が交差する。
「どけよ」
「どかない」
「どけ」
「嫌だ」
「どけっつってんだろ!」
「絶対どかない」
どれだけお前が凄もうが、効くものか。
お前なんか、
不破は面倒臭そうに頭を掻き回してから、改めて拳を構えた。
「いい加減にしろよ。私は興味ないってだけで、お前ごとやれない訳じゃないんだ」
「ならやってみろ」
「後悔しろよ」
腹に鉄杭が突き刺さった。違う、俺の腹に叩き込まれたのは不破の右腕だ。
痛みより先に重さを感じた。次に前方からの風を全身で感じ、ようやく痛みが襲ってくる。吐き気は最後にやってきた。
だが、この程度なら耐えられる。
怖くもない。辛くもない。ただ、痛いだけの暴力だ。
「まだ……、まだ!」
「このっ!」
亀のように体を丸めて
女子の力とは思えないほど重い打撃が次々押し寄せ、油断をすると太腿へ鋭い蹴りが振り下ろされる。
たった一息。
それだけでもう全身がボロボロだった。
「何でまだ立つんだよ」
「お前の態度が気に入らない」
「私がこれだけ
そんなの決まっているだろ。
簡単な、とっても簡単な理由だよ。
「退魔師だの吸血鬼だの、中二病かよお前らは。そんな馬鹿げた妄想でクラスメイトが同級生殴り殺そうとしてんだ、止めるに決まってんだろ!」
「ちょっと待って、……そこから?」
吸血鬼?
退魔師?
馬鹿も休み休み言ってくれ。
「愛染、ソレに血を吸われたんでしょ。そいつが吸血鬼じゃなくてなんだっていうのよ」
「そういう性癖のやつだろ!?」
「せっ……」
「それに、こいつが吸血鬼だろうがお前が退魔師だろうが、それが本当だったとしても関係ねぇよ」
君長命のことは正直言って大嫌いだ。
甘い顔で男を騙し、血液目当てに襲いかかり、挙句の果てに殺意を向けられた女なんて、俺の前からいなくなってくれるなら万々歳だ。
だからといって、目の前で殺されそうになっているのを見過ごすなんてできないだろう?
別に正義感だとか義侠心だとかそういう大層なものでもない。
目の前で誰かが殺されそうになっていたら、普通は止めるさ。当たり前だ。
それに、俺は
聞いてしまったのだ。
「こいつは、殴られる瞬間、『お姉さま』って叫んだんだぞ」
その悲痛な叫びは、それが助けを求めるものだったのか、嫌だと懇願するものだったのか、わざわざ確かめるまでもない。
何がそこまでトラウマになっているのか知らないが、その原因を家族だと叫んだのだ、
不破は呆れたような困ったような、どうにも言えない顔のまま、黙って攻撃を再開した。
もう痛みで意識が飛びそうだが、まだ倒れてやるわけにはいかない。
ボディ、耐える。
フック、耐える。
膝蹴り、耐える。
肘打ち、耐える。
耐える、耐える、耐える、耐える、耐える、耐える、耐える、耐える。
「もういいから、寝ててよ」
とても疲れ切った声色だったが、打撃の重さと鋭さは変わらない。
「ほら、苦しいでしょ。寝て起きたら全部終わってるから」
いつの間にか口調も、荒々しさが消えていた。
不破はこの強さと引き換えに、どれだけの過去を犠牲にしてきたのだろう。
「うる……せぇ、望んでもいない仕事で、お前に人殺しなんかさせるかよ……」
人の血に執着する
どいつもこいつも、なんでこんなに不自由なんだ!
「ああぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁっっっっっ…………!!」
不破が俺の胸元を掴んで、渾身の一撃を繰り出す。
しかし、その拳は、いつの間にか立ち上がっていた命の手によって止められた。
「愛染くんを離しなさい」
「チッ、時間をかけすぎた!?」
不破は慌てて距離を取ろうとしたが、命の手を振りほどけ無いのか、悔しげに立ち尽くす。
しかし、命は冷たい表情のまま視線を逸し、ボロボロになった俺の顔を見つめてきた。
「……みこと?」
「このバ家畜」
命は短くそれだけ言うと、空いていた左手を自分の口内に突っ込み、バギンという音とともに歯と言うには異様に伸びた牙を自らへし折った。
続けて3回、通算4度の痛々しい音が空き教室に響きわたる。
命は口から血を流しながら、折れた牙を不破めがけて無造作に放り投げた。
「お前っ、何やってんだよ!」
「黙ってなさい。……退魔師、
危なげながらも4本全てをキャッチした不破は、この教室に現れたときのように妙に間延びした口調で問いただす。
「
「気まぐれよ。貴女も退魔の端くれなら私がいまどういう状態か分かるでしょ」
不破はその言葉に何も反応しない。
数秒、緊張した空気が教室中を支配したが、根負けしたのか先に不破が口を開く。
「そのままトドメ刺したほうが早いと思うけど」
「できるの、
「…………」
その行為にどんな意味があったのかは分からない。
だが、命と不破に取って、この場を収めるだけの価値があったのだろう。
「今日だけだ。次は殺す」
「それはこちらの台詞よ」
険悪ながらも、ようやく和解が成立する。
その途端、緊張感でギリギリ耐えていた精神が限界を向かえ、急激に意識が遠のいていくのを感じた。
「愛染!? おい化物、最後まで面倒見ろよ!」
「ちょっと、殴ったのは貴女でしょ。あぁ、もう」
視界が薄れていくなかで、やけに二人の声だけが大きく聞こえる。
物凄い喧嘩腰だが、とりあえず一段落ついたことに安心して、ギリギリ肉体にしがみついていた意識を手放した。
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