2-3.不破 陽染 <3>

「時雨、今日家に来ない?」



 その日の放課後、親友が久しぶりにそんな提案をしてきた。

 颯と遊ぶ時はだいたい俺が企画して颯を連れ回すことが多いのだが、時々こうやって颯から誘ってくれることもある。

 とはいえ、颯は控えめな性格なので、颯から誘ってくるのは結構珍しいことだった。



「読まなくなった本いくつか整理しようと思ってて」

「お、マジで?」

「時雨が読みたがってたやつも何冊かあるよ」

「それじゃお邪魔しようかな。お前ん家にいくのも久しぶりだなー」



 颯の家は古くから続く名士の家系で、家というより屋敷と言ったほうがしっくりくるほどの大きさだ。

 過去にも何度かお邪魔したことがあるが、未だに屋敷の全容を把握できないくらいには颯の実家は広くてデカい。


 颯は元々本を読まないやつだったが、俺が何冊か恋愛小説おすすめを紹介してからは俺以上に読書するようになってしまった。しかも、特定のジャンルだけを読むのではなく、一般文芸からビジネス書、図鑑に叢書になんでもありの乱読派だ。



 しかも速読を身につけているのか、どうやってんだというくらい読破スピードが早すぎる。

 結果、颯の部屋は多くの本で埋もれてしまうので、時々読み終わった本を俺に回してくれるのだ。

 まぁ、俺はその中から恋愛小説くらいしか手に取らないのだが。


 多分、俺が沈んでるのを分かってて気晴らしに誘ってくれたんだろう。

 持つべきものは親友だ。


 親友の存在に感謝を捧げていると、ポケットにしまった携帯スマホがメッセージの着信を告げる。

 そこには、手に入れた時は夢のようで、今となっては夢であってほしい、とある人物からの命令が無慈悲にも表示されていた。



『今日の放課後、三階空き教室まで来ること』



 画面の向こうで女王様のように命令する命の姿を幻視する。

 突然の呼び出しにうんざりした気分になり、―――ふと気付いた。



 あれ、今は嬉しいって感情が一切湧いてこない。

 

 

 もし命に目の前で命令されたら、嫌悪感と同時に幸福感も沸き立つはずだ。しかし、今は「あぁ嫌だ」という嫌悪感しか感じない。これは検証が必要だな。


 もしかしたら、命が「魅了」と言ったこのおかしな感覚は、永続的なものではなく、定期的に更新が必要なものなのかもしれない。

 それとも、効果自体は永続的だが、直接会話しなければ彼女の支配は及ばないのか?



 正直、今となってもおれは魅了だなんだという呪いの類は信じていない。わからない。何もわからない。俺は何となくでしか現状を理解していない。

 だからこそ・・・・・。仮定を積み重ねて一つひとつの検証が必要だ。



 自分には何ができて何ができないのか。

 少なくとも、今あの女に会えば、自分が魅了されているのかどうかは判断できる。

 なら、ここは呼び出しに応じるべきだ。

 そう考え、俺の帰り支度を待っていた親友に対して謝罪の言葉を口にした。



「あー、悪い。ちょっと急用が入ってしまった」

「……時雨、顔色悪いけど大丈夫? なんか厄介なことに巻き込まれたりとかしてない?」



 まったく、俺の親友様は本当に細かいところによく気が付くお人だこと。

 もし洗いざらいぶちまけて助けを求めれば、親友はきっと快く俺を助けてくれるだろう。


 だが、それは最終手段だ。

 いまじゃない。

 俺だけでできることはまだたくさんある。


 分かっているのだ。

 すでに俺の手に負えない状況泥沼にハマりかけていることくらい。


 だが、 俺が千草颯の親友であるために、簡単にこの完璧超人親友を頼ってはいけないのだ。


 少しだけ空元気を出して、親友に向かって精一杯の強がり笑顔を見せる。



「大丈夫大丈夫。まだ寝不足気味なだけだ」

「それならいいけど」

「今度埋め合わせするからさ、今日は勘弁な」



 親友は名残惜しそうにしながらも、俺の言葉を信じてくれた。

 きっと納得はしていないだろう。確実に俺の異変に気付いているし、「助けて」と一言伝えればすぐに手を打ってくれるはずだ。


 正直なんとかしてほしい気持ちも多大にあるのだが、あんな危険物を下手に親友に近づける訳にはいかないのだ。

 

 

 

 

 

        ∞

 

 

 

 

 

 あの女の呼び出しに応じるとは決めたものの、進んで会いたい訳ではないので、比喩ではなく踏み出す一歩が本当に重い。

 だからだろうか、牛歩戦術もかくやという足取りで、5分とかからないはずの三階空き教室にたどり着くまで20分以上かかってしまった。


 指定された空き教室は、普段は余った机や横断幕などを閉まっておく倉庫代わりに使われている場所だ。

 ドアの前に立つと、教室内からあの女の気配を感じた。


 ……気配ってなんだよ。

 先週まで自分はごく普通の一般人のはずだったのに、あの女に出会ってからどんどん人間離れしているような気がして不安になる。


 ノックをしようかと迷ったが、あの女に対してそこまで気を使う必要もないだろう、と思い直して本来なら施錠されているはずのドアを勢いよく開け放つ。


 君長命は血まみれのハンカチを鼻先に当てて、恍惚の笑みを浮かべていた。



「あら、ちゃんと約束を守ってくれましたね。頭をなでて上げましょうか?」



 マジかこいつ。何事もなかったかのように話しかけてきやがった。

 どうやら命にとって、今の姿は見られても別に恥ずかしくないものらしい。


 一瞬でも「弱みを握ったか!」と期待した俺が馬鹿みたいだ。

 当てが外れた俺は憮然としたまま命の提案を却下する。



「冗談じゃない」

「あら残念」



 口ではそういったものの、命が「頭をなでる」と言った瞬間、物凄い多幸感に襲われた。

 やはり命を目の前にすると魅了とやらの効果が発揮されるようだ。

 となると、問題はどういう条件下なら魅了されないのかを探っていきたいところだが、それよりも先に。

 どうしても確認しないといけないことを聞いてみることにした。

 

 

みこと……さん、一つ聞きたいことがある」

「なんでしょう」

 

 

 彼女は少し弾んだ声でこちらの会話に乗ってくる。

 もしかしたら俺の質問は命を怒らせることになるかもしれない。

 だが、それならそれで知りたかった情報が増えるのでこちらとしては失うものはなにもない。

 

 

「いつまでこんな事続けるつもりだ?」

「最初に言ったじゃないですか。貴方が死んでしまうその時まで」

「それはいつだ?」



 それまで楽しそうにしていた命の表情がピタリと固まる。

 これはアタリかな、と心の中で独り言ちて、気にせず続きの言葉を告げる。 



「それは今すぐの話じゃないよな。一月ひとつき後? 一年後? それとも高校卒業するまでか? もしもっと先の話だとしたら、大学は? 就職は?」



 知りたかったのはタイムリミット。

 命が俺の血液を欲しがっているとして、短期間で使い潰すのか、長期間に渡って搾取されるのかではこちらの動きも変わってくる。明日のことを話すと鬼が笑うとはいうけれど、先のことほど考えておくべきなのだ。予想、想像、想定、対策。状況が変わってその準備が無駄に終わったとしても、未来に備えておくことは決してムダなことではない。

 もちろん無制限に未来へ備えられるわけではないけれど、それでもより良い未来に進むために先のことを考えておくのは、人間として当たり前のことだろう。



「あはははははは」

「何かおかしい」

「いえ、家畜がそんな人並みの人生設計で悩んでいるのが面白くて」



 まぁ、彼女からしたらそれが普通の反応だろう。

 だが、その笑い声は妙に癇に障った。



「家畜。……家畜ねぇ。それはお前の方じゃないのか?」

「……なんですって?」

「人様の血を勝手にチューチュー吸って、美味しいからもっと飲みたいって強請ねだって、それが家畜じゃなくてなんなんだよ」



 瞬間、空気が変わった。

 彼女の顔を見れば分かる。今の言葉は、彼女の地雷だ。

 急に不機嫌になるとか、カチンときたとか、そういうレベルの話じゃない。虎の尾を踏んで逆鱗に触れたくらいの大地雷だ。


 閉め切った室内なのに、どこからか吹いた風で命の長い髪が逆巻き、その目を爛々と光らせる。



「……気に食わない」



 その言葉だけで死ぬかと思った。

 夜の公園で首筋を噛まれた時の痛みと恐怖が蘇る。マズった。失敗した。

 少しは動揺させられるかと思ったら、即死級の禁句を言ってしまったみたいだ。



「そんなに将来のことが気になるなら、ここで終わらせてあげますよ!」



 命が一歩ずつ距離を詰めてくる。

 どうする、逃げるか。しかし彼女から視線を外すことができない。逃げ出そうにも足が全く動かない。

 命の右手が俺の額を掴もうとした、その時。






「みぃつけた」






 命の左頬に腕が生えた。

 違う。そう錯視してしまうほど綺麗な左ストレートが叩き込まれ、壁際に重ねて並べられていた机の山まで吹き飛ばされた。



「あは、ずぅっと妙な気配を感じてたからなにかあると思ってたら、大正解だいせぇいかぁい



 そこに立っていたのは、クラスメイトの不破陽染だった。

 いや、別人か?


 その瞳は鋭く吊り上がり、口元に浮かべているのは相手を舐めきったような侮蔑の笑み。両腕には妙な模様が書かれた布紐をバンテージのように巻き付けて、ふわりと舞い上がったスカートの下には黒のスパッツを履いている。

 ファイティングポーズで闘志を剥き出しにしたその佇まいは、俺が知っている不破とは似ても似つかない。見た目は確かに不破陽染その人なのに、雰囲気も喋り方も、まるで別人だ。


 突然の事態に混乱していると、吹っ飛ばされた瓦礫の山から命が起き上がった

 派手な音で机の山に突っ込んだ割には大きな怪我の一つもないようで、少し腫れた左頬を軽く撫でながら不破に向き合った。



「その気配の消し方に、私を殴り飛ばせる呪符バンテージ。……あなた、退魔師・・・?」

「あれぇ、あたしの事知ってるんですか」

世界の果て極東の更に果て田舎でお山の大将気取ってる無能集団でしたっけ」

「半分正解せぇいかい。実際無能が多いんですよぉ、私の一族」



 私は違いますけどねぇ・・・・・・・・・・、と不破は再び命に襲いかかる。

 しかし、その拳は命の細腕に受け止められた。



「いきなり殴りかかるなんて、野蛮ね」

「人の血を吸ってるほうが野蛮でしょぉ?」

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