2-2.不破 陽染 <2>

「時雨、目の下のクマが凄いことになってるよ」

「寝付けなかったんだ」

「最近蒸し暑くなってきてるからね。分かる分かる」



 そういうことじゃないんだけどな。


 昨夜は一晩中対君長命の作戦を考えていた。と言ってもまだまだ情報が足りなさ過ぎるので、下手の考え休むに似たりといったところだが、具体的な案は何一つ思い浮かばない。


 それでもやれるだけのことはやると決めたのだ。

 どんなに難しい問題でも、解決の糸口を探る方法はある。


 まずは現状の把握だ。ヤバい時ほど対処方を考えがちだけど、まずは自分の状況を性格に把握しなけりゃ話にならん。


 全ての始まりは君長命に首筋を噛まれた時だ。

 それ以前は命に対して純粋に好意を抱いていたし、そのことに対して違和感も無かった。


 肉を貫く痛みと首筋に残っている傷跡から彼女に首筋を噛まれたのは確実だが、彼女が本当に血を吸ったのかは分からない。あの時は血というよりも、命そのものを吸い上げられたような気がする。

 それに、噛み傷がすぐに塞がっているのも謎といえば謎だ。もし本当に命の牙が俺の肉を噛み裂いたのならこんな直ぐに傷跡が塞がるわけがない。


 彼女が俺の血を吸ったという証拠は、彼女自身の言葉と俺の首筋から離れたとき口元が血に濡れてたことくらいだ。あの血が俺の血だとは断言できない。もしかしたら彼女が噛み付く時に自分の口内を傷付けて流れたものかもしれないのだ。



 結局のところ、なんで彼女が血を欲しがるのかは分からない。

 まさか吸血鬼じゃあるまいし。



「おっはよー、クラスメイト諸君。今日も元気してるかー」



 あれこれ頭を働かせていると、教室の扉が派手に開かれてクラスのマスコットが現れた。

 しまった、と思わず頭を抱えてしまう。


 今は少しでも命対策にリソースを割いていたいので、不破の相手などしていられない。だから彼女より遅く登校するつもりだったのに、夜通し頭を使っていた所為で判断力が落ちていたらしい。



 不破はいつものようにクラスメイトへ順番に挨拶して周り、登校していた他の生徒全員に声をかけ終わると窓際に座っている俺と颯の席までやってきた。



「やー、愛染。昨日より酷い顔になってるけど大丈夫?」

「その大声止めてくれ……、頭に響く」



 イライラしていたせいか、思ったよりキツい言い方になってしまった。

 自分が不安だからって他人ひとに八つ当たりとかガキか俺は。



 君長対策を考えながら自分の心を克己していたのに、思わぬところで弱さが露見してしまい、物凄いショックを受けて落ち込んでしまう。

 親友はそんな俺の様子に気付いたのか、すぐさまフォローを入れてくれた。



「おはよ、不破さん。昨日蒸し暑くて寝付けなかったみたいでさ、ごめんね」

「ふーん、……お大事にね」

 

 

 

 

 

        ∞

 

 

 

 

 

 昼休み。普段は颯と二人で食べているのだが、気分が悪いからと言って親友を教室に残し、一人屋上に足を伸ばしていた。

 購買に寄っていたせいか、屋上にはすでに先客の姿がちらほら見える。人がいない一画を探し、適当なところで腰を下ろした。



「はー、一人でいるのがこんなに清々しいものだったとは」



 学校で一人になるのは久しぶりだ。

 小学校と高校に入ってからはずっと親友が隣にいたし、中学のころはモテるためにと手当たり次第色んな女子にちょっかいをかけていたので、学校という空間の中では常に誰かがそばにいた。



 だから、制服を着ているのに一人でいる時間がこんなに楽なものだとは思わなかった。

 購買で適当に買い込んだパンをたべながら、ぼんやりと空を見上げる。



 心の何処かで、ムダな時間を過ごしている場合じゃない、今すぐにでも君長から自由になる方法を見つけなければ、と焦る俺が急き立てる。

 だけど、今はそんな気持ちを敢えて抑えてボーッとしていた。



 親の友人変人たちの言葉を思い出す。



「トラブルが起きた時こそ落ち着くべきだ。失敗は焦りを、焦りは消耗を、消耗は次の失敗ミスを生む。だから、焦ってる自覚があるなら思い切って休んだほうがいい結果に繋がるもんだ」



 そう得意げに語っていたのは政治家だったかヤクザだったか。

 つくづく親の知り合いはバリエーションが幅広い。


 そういう訳で、この昼休みは君長のことを忘れて休息に充てると決めたのだ。

 これまで経験したことのない異常な事態に混乱していたことは否めない。だが、命の危機くらいならこれまで何度も経験がある。それに比べれば、今すぐ死ぬってわけでもないこの状況はまだ余裕がある方だ。


 いちごミルクパック飲料のストローを咥えながら空に伸びる飛行機雲を見ていると、その視界を女子の制服が遮った。



「よっ、元気してるか青少年」

「おー……? って、不破か」



 日に焼けた肌に薄く汗を浮かべながら、不破陽染がこちらの顔を覗き込んでいた。体勢的に前かがみになっているので、制服の首筋から鎖骨がちらりと顔をのぞかせ、その凹凸を汗が滑り流れていく。

 その様子に思わずドキリとしてしまった。


 あまり意識しないようにしていたが、不破はかなりの美少女だ。

 天真爛漫でボディランゲージも多く、誰に対しても態度を変えない美少女なので、「こいつ本当は俺に惚れてるんじゃないか?」と多くの男子生徒に希望と絶望を与えてきた勘違い製造機。


 だから俺もなるべく異性として意識しないようにしているが、こういうふとした瞬間に不破陽染というクラスメイトに対して色気を感じてしまう。



 不破は「お隣失礼するね」と言って俺の横に座り込み、所在なさげにもじもじと体をくねらせた。

 口より先に体が動くタイプの不破にしては珍しい。というか、何をしにきたんだろうか。これは俺から話しかけたほうがいいのだろうか? と悩んでいると、ようやく不破は口を開いた。



「やー、朝のこと謝ろうと思って」

「朝……? あ、いや、あれは俺の態度が悪かったよ、ゴメンな」

「わわ、謝らないでよ。こっちが謝りにきたんだから」

「悪いのは俺だって」

「でもきっかけはあたしでしょ」



 俺だ、いいやあたしだ、とお互いに張り合ってから、どちらともなく吹き出した。

 


「何でおたがい謝ってんだろーね、あたしたち」

「ほんと、何やってんだろうな。……はは」



 ぐぅ、と不破お腹の音がなる。

 流石に気付かないふりができないほど大きな音だったので、敢えて大げさに音の発生源に目を向けると、不破が恥ずかしそうにお腹を押さえていた。



「飯食ってないのか?」

「うん、愛染探してたから」

「わざわざ俺を……? なんかゴメン」

「謝らないでってば。私は気になったことを放っておけないだけなんだから」



 不破の行動は珍しいものだった。

 彼女は基本的に誰にでも同じように接するし、裏表のない性格なので交友関係はかなり広い。だが、その一方で誰に対してもある一定以上は踏み込まないよう一線を引いているところがある。



 距離の詰め方とそのしつこさからはあまり想像できないが、不破が誰かに肩入れすることは結構珍しいことだった。



 俺と不破は特別な関係ではない。

 精々入学式の日にちょっと話しかけたくらいで、それ以降は他のクラスメイト同様彼女の方から朝の挨拶をしてくるくらいだ。


 だから、そんな彼女がわざわざ俺の様子を気にしてくれたことがちょっと嬉しくなった。



「ほれ」

「え、これ」

「余りもんで悪いけど、まだ手を付けてないからやるよ」

「わー、ありがとう!」



 購買で買った焼きそばパンを不破に差し出した。

 彼女は喜んで焼きそばパンを受け取ると、左手でパンを掴んで右手で包装ビニールの底を叩き、バンッと小気味のいい音を立ててパンの包みを開封した。


 いや、その開け方下手したら中身が飛び散るから止めたほうがいいぞ。

 と突っ込む間もなく、不破は大きな口で焼きそばパンを頬張る。いや、貪り尽くすという言い方のほうが適当かもしれない。そこそこ大きかったはずの焼きそばパンはわずか数口で不破の胃袋に収められていた。



「うん、美味しかった」

「そりゃよかった」



 無邪気に笑う不破の顔に思わずこっちも顔がほころぶ。

 別に悩みを相談したわけでも愚痴を吐いたわけでもないのに、不破がそばにいるだけでちょっと気分が楽になった。


 時計を確認すると、昼休みも終わりが近づいている。

 そろそろ教室に引き上げようとゴミを片していると、「そういえば」ち不破がとんでもない爆弾をぶちこんできた。



「噂で聞いたんだけど、この前君長さんとデートしたんだって?」

「ゲホッ! な、なぜそれを!?」


 思い切りむせた。

 いや、何で知っているんだよ。

 

 別に隠していたわけではないが、積極的に広めるようなことでもない。

 俺とあの女のデートを知っているのは精々颯くらいだと思うが、あいつはこういう噂を人に話すタイプでもない。

 まさか、デートしているところを誰かに目撃でもされていたのだろうか。



「あ、やっぱり本当なんだ。いやー、高嶺の花を落とすとは、人は見かけによらないねぇ」

「うっせぇ!」



 先程までの癒やしはどこへやら、今の不破は思いっきり出歯亀精神というか、世話焼きババアのオーラを漂わせている。

 ハッキリ言って目の前にいるだけで鬱陶しく感じる類の雰囲気だ。


 不破はにやにやしながら俺をからかうと、一瞬だけ真剣な表情かおになった。



「変なことを聞くようだけど、デート中になんかおかしなことはなかった?」



 こちらの懐を探るような視線。

 こんな表情の不破を見るのは初めてだった。


 それよりも、不破はなぜ俺にそんな事を尋ねてくるのだろうか。

 こいつは、もしかして君長について何かを知っている?



「おかしなことって、……例えば?」

「いや、何もなかったら別にいいんだよ。忘れて忘れて」



 不破はすぐにいつもどおりの無邪気な顔に戻って、俺がまとめてたゴミをひったくると昇降口に向かって走っていった。

 止める間もない早業だ。いつゴミを取られたのかも分からなかった。



「それじゃー、おっさきー」



 ドップラー効果を響かせながら走り去る不破の背中を見つめながら、厄介な面倒ごとが増えそうな予感に思わずため息を付いてしまった。

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