1-4.君長 命 <4>

 店を出た俺たちは夜の公園に足を運んでいた。

 どこに向かうでもなく、街灯の点いた道を適当に二人で歩く。


 言うまでもなく、これまでにないほど緊張している。

 正直、この展開は予想していなかった。


 こ、これはワンチャンありえるのでは!? 大人の階段登っちゃうのでは!?


 最初は休みの日に何をしているとか、オススメの恋愛小説の話をしたりとか、適当に会話を続けていたが、そのうち自然とお互い無言になった。

 「まだ帰りたくない」といった命さんは、公園に入ってからずっとうつむきがちで、思い詰めたように地面を見つめている。

 緊張していることはなんとなく分かった。


 しばらく歩いたところで、みことさんが「わたし」と口を開いた。



「事情があって子供のころはあまり外に出れなくて、友達もあんまりいなかったんです」

「へー、みことさんの子供のころか。見てみたいな」



 彼女は少し困ったような顔で微笑んで、話を続ける。



「それから日本にくることになったんですが、こっちでは髪の色でまた仲間はずれにあって」

「そんな、その髪、とっても綺麗なのに!」

「ありがとうございます。そう言ってくれると嬉しい」



 さらりとした髪を手で掬って軽く撫でる。

 そんな仕草に思わず見とれてしまい、慌てて相槌を打って誤魔化した。



「そ、それでどうしたんです?」

「最初は壁もあったんですが、愛染くんみたいに私の髪をきれいって言ってくれる子もいて、少しずつ友達も増えて」

「うんうん」



 今日一日彼女と過ごして、何となくだが彼女の人生が見えたような気がした。

 横断歩道では必ず左右を確認してから渡り始める。自動ドアで人とかち合ったら必ず先を譲る。映画のチケットを買った時も、販売機に向かってわざわざ「ありがとうございます」とお礼を言っていた。

 もしかしたら、彼女はずっとそんな風に周り世界に気を使って生きてきたのかもしれない。



「私、今の生活が本当に大切なんです。この生活を変えたくない、ずっとこのままでいたかった。でも、愛染くんを見つけてしまった」

「俺を……?」



 翠の瞳が俺を見つめる。

 彼女は俺の手を握り、赤くなった頬を隠しもせずに身を寄せる。



「はい。あなたの事を考えるだけで胸が熱くなって、夜も眠れません」

「それは……」

「責任……、とってほしいです」



 まるで恋愛小説のワンシーン。

 特に取り柄もない俺にこんなチャンスがあるなんて思いもしなかった。


 俺の服を小さく掴む彼女の姿を見て、俺も覚悟を決める。

 彼女の手を取って、彼女の腰を抱く。そうすると、彼女も俺の背中に手を回して、ゆっくりと顔を近づけてきた。



「愛染くん」

みことさん」



 お互いの吐息を感じるほどに顔が近い。

 こんなに近くにあるのに、興奮しすぎて彼女の顔がよく見えない。

 鼓動がうるさい。息遣いが苦しい。全身が燃え盛るように熱く、思考だけがやけに冷静クールだ。

 

 

 そして、唇が近づき、今にも触れそうになったところで、

 

 

 

 

 

 

いただきます・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 首筋に物凄い痛みが走った。



「っ痛!?」



 首筋から何かが吸い上げられている。

 彼女の牙が食い込んだ痛みよりも、自分の体から大切なものが抜け落ちていく喪失感に背筋が凍る。

 熱いのに寒い。寒気がするのに興奮する。


 このまま彼女に全てを吸いつくされても構わない。そう思ってしまった瞬間、恐怖恍惚の時間は突然終わった。



「っぷは。……はぁ、なんて、甘美な味」

「みこと……さん?」



 そこには天使の顔をした悪魔がいた。

 端正な顔も、長い銀髪も、宝石のように光る翠眼も、何一つ変わってはいない。

 だが、その表情は、先ほどまでの君長命彼女とは似ても似つかないほど歪んでいた。



「愛染くん、黙っていてごめんなさい。実は私、貴方自身には全くこれっぽっちも興味が無いんです」



 そう言って、唇の端から流れる赤い液体を指ですくって綺麗に舐め取った。

 わずかに開いた口元から異様に伸びた歯が覗く。牙だ。それは獲物を仕留め、逃さないための武器。

 そんな彼女を前にして、どういうわけか恐怖よりも美しいと感じてしまった。



「私が欲しかったのは、貴方の血だけ」

「血って……、何を言って」

「いいんです、貴方はもう何も考えなくて。一度血を吸ってしまえば、もう逆らうことはできないでしょうし」



 そんなバカな、と言おうとしたが口が全く動かない。全身が金縛りにあったかのように硬直していた。

 彼女はそんな俺の様子を満足そうに眺めてから、ゆっくりと首に腕を回し、耳元で囁く。



「いいですか、貴方はこれからずーっと私のご馳走家畜です。あ、このことは誰にも言っちゃダメですよ。私と貴方の秘密ひめごとです」



 その言葉に嫌悪感と恍惚感が同時に生まれる。

 嫌なはずなのに抵抗できない。嬉しいはずなのに気持ち悪い。まるで自分の感情を制御できなかった。



「安心して下さい。ゆっくり、じっくり、貴方が死ぬまでちゃんと支配してあげますから」



 妄りに、淫らに、見惚れるように、月明かりの下、少女は愉しそうに嘲笑わらうのだった。

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