君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひぬるかな
1-1.君長 命 <1>
異性を意識し始めたのはいつからだろう。
小学一年のころには、すでに女子の尻を追っかけ回していた覚えがあるので、それ以前であることは確かだ。
恋人が欲しいと顕著に思うようになったのは、恋愛小説を読むようになってからだ。
一方で、放任主義の親元で育てられてきたせいか、妙に現実的なところもあった。自ら行動しなければ望むものは手に入らない、とう真実に気付いたのは小学生のころだった。給食費どころか家の食費ですらこっちが催促しないと忘れてしまう親だからな。小学生のころ、お金も食材も無しで一週間水だけ生活を強いられた恨みは未だに忘れていない。
話はそれたが、自ら動かなければ誰も自分のために動いてくれない、という当たり前の現実に気付けたおかげで、中学に入ってからは彼女を作るために最大限の努力をした。
身だしなみを整え、いつも清潔感ある格好を。
勉強はそこそこ、体を鍛えてスポーツ万能っぷりをアピール。
常日ころから女子の動向には気を配り、チャンスを見つけた際は即アタック。
そして中学校で俺につけられたあだ名は「女の敵」だった。
いや、ひどくない?
俺何も悪いことしてないよ?
卒業式の後、少しは仲の良かった女子にこっそり教えて貰ったのだが、どうやら俺は同級生の間では「常に目線がいやらしく誰彼構わず女漁りをしているクズ野郎」という評価だったらしい。
「ごめんね、愛染君と喋ってるの見られると、私もちょっと……」
そう言って彼女はすぐに立ち去った。仲の良いと思ってた女子でさえこうなのだ。どれだけ俺が嫌われていたかは想像に難くない。
幸い、進学先には
親友曰く、「時雨は異性のことを意識しないで普通にしてれば格好よく見えると思うよ」という
そして2ヶ月、机の中にそっと置かれていたラブレターを発見した時は天にも昇る心地だったのだ。それがまさか、こんなオチが用意されていようとは、人生ちょっとハードモード過ぎやしませんかね。
∞
しばらくの間、彼女が走り去っていった昇降口のドアを呆然と眺めていたが、下校のチャイムが鳴り響いた辺りでようやく意識を取り戻した。気付けば彼女がいなくなってから結構な時間が経っている。
失恋自体は初めてじゃない。
それこそ中学時代にフラれた数は2桁を超える。だからといって失恋の悲しみに慣れるわけがないし、告白
ポケットの中から今朝受け取ったラブレターを取り出して、彼女の想いを読み返す。
これが、全部嘘だったなんて。
「っ……!!」
ひきちぎって破り捨てようと思ったのに、俺の両手は全く動いてくれなかった。
たとえ嘘でも、罰ゲームでも、始めてもらったラブレターを破り捨てるなんて、女々しい俺には到底ムリなことだったのだ。
「帰るか」
ラブレターを丁寧に畳んでポケットにしまい、フラフラとした足取りで昇降口に向かう。
そういえば親友に鞄を預けて教室を飛び出したんだった。取りに戻らないと。
そう思ったところで足がもつれ、気付けば階段から転げ落ちていた。
泣きっ面に蜂とはよく言ったもので、不幸は続けてやってくるものらしい。
「痛てて」
重たい体をゾンビのように持ち上げて、怪我がないか確認する。
中学時代にさんざん体を鍛えていたおかげで大きな怪我はしていなかったが、顔の奥から感じる熱とあごに流れる多量の液体が、鼻血が出ていることを示していた。
「保健室ってまだ空いてたっけ」
廊下に血が垂れないように片手で鼻を、もう片手であごの下に受け皿を作って歩き出す。これであーとかうーとか言ってたら本格的にゾンビ映画だ。
だから、彼女が目に入った時、思わず映画の
「あなた、大丈夫ですか?」
背中まで届く長い髪は透き通るほどの銀色で、
同じ高校の制服を着ているということ以外、何一つ現実感のない美少女がそこに立っていた。
「あ、えっと」
「あの、血が出ています。これで押さえて下さい。ほら、保健室行きますよ」
「いや、ちょっと鼻血が出ただけだから大丈夫」
「いいから」
半ば強引にハンカチで鼻を押さえられ、腕を掴まれて保健室まで連行される。
待って鼻詰まってるのに何このいい匂い。というか肩! 二の腕! 近い近い近い! これ胸当たってる!
その表情から、彼女が本気で心配してくれているのは分かるが、突然現れた美少女にここまで密着されると、よからぬ妄想をしてしまうのが悲しい男子の性なのだ。
「先生、いらっしゃいますか?」
保健室に到着すると、謎の美少女はテキパキと事情を説明し、保険医が「また君か」と呆れながら俺を診ている間に氷嚢まで作ってくれた。中学の卒業式以来、少し女子に苦手意識が芽生えつつあった俺にとって、久しぶりの安らぎだった。
「はい、これでよし。後は氷嚢でしばらく冷やして、鼻血が止まったら帰っていいよ」
保険医は診察を終えると「職員会議があるから」と言ってそのまま保健室を出ていった。ちゃんと治療はしてくれたので別に文句は無いのだが、怪我人いるのに会議優先でいいのか公務員。
「もう大丈夫みたいですね。それでは、私はお先に失礼します」
「あー、その、ありがとうございました」
「いえいえ、困った時はお互い様です」
天使だ。
まごうことなき天使がそこにはいた。
見覚えがなかったことと背の高さから先輩かと思ったが、胸元のリボンの色が同級生であることを示している。
この学校は少子化の波にも負けず、1学年だけで10クラス以上あるので、入学から2ヶ月経った今でも顔の知らない奴は少なくない。しかし、これほどの美少女を見逃しているとは、俺のセンサーも鈍ったものだ。
そこで、ふと思い出した。
「あ、ハンカチ。洗って返します」
俺の鼻血をせき止めていたハンカチは見るも無残に赤く染まり、元の柄すら分からなくなっている。
ハンカチなんて、身だしなみの一環として3枚1000円のセール品くらいしか持っていないが、彼女のハンカチがそんな物とは比べ物にならないくらい高級品だということくらい俺にも分かる。だってまず肌触りが全然違った。
しかし、彼女は俺の鼻先に人差し指をちょんと触れて、笑いながら嗜めた。
「いいですよ、これくらい。それより、ちゃんと血が止まるまで休んでくださいね」
「はい!」
「よろしい。……ふふ、ちょっと偉そうでしたね、すみません」
不思議なことに彼女の言葉に逆らえる気が全くしなかった。
目の前の美少女を見ているだけで幸せな気分になってくる。
彼女と離れたくない。ずっと側にいたい。
このまま彼女との縁が切れてたまるものか、と気付けば中学時代の悪い癖がうずいてしまった。
「あの、名前! ……教えてくれませんか?」
突然の申し出に関わらず、天使は当たり前のように微笑んで、その名前を教えてくれた
「1年9組の
∞
「あー、今日はいい日だ」
フられた男が言っていい台詞ではないが、その後の出会いはそんな不幸を帳消しにするほどの出来事だった。
明日から早速彼女の情報収集をしなければ。いや、でもそしたら中学時代と何も変わらない。俺は失敗から学ぶ人間だ。
こういう時に頼りになるのが親友の存在だ。
携帯を取り出し、保健室まで鞄を持ってきて欲しいとヘルプを送ると、すぐに怒った
親友の
まずはどこから話そうか、と考えていると勢いよく保健室のドアが開かれた。
「失礼しまーす、って愛染じゃん。どしたの?」
「おー、不破。ちょっと転んで鼻血」
「あはは、ご愁傷さま」
保健室に突入してきたのはクラスメイトの
自他ともに認めるスポーツ少女で、体力測定では軒並み学年一の記録を叩き出している。身長は俺より低いが、脚が長く顔が小さいためか、実際の身長よりも背が高く見える。
クラス一愛嬌のある元気娘である彼女は、誰に対しても態度を変えないので、グループ問わずどの生徒からも人気が高い。また、パーソナルスペースが狭いからか、男子にも軽率に肌が触れるほど接近するので、一部の男子からは勘違い製造機として恐れられていた。ちなみに、控えめな胸はその筋の連中からも評判がいい。
かくいう俺も入学早々軽率にボディタッチされて「これは俺に惚れてるのでは?」と勘違いしてしまったことがあるくらいだ。
親友の
「そっちはどしたん?」
「んー? 女の子の必需品を切らしちゃって」
「おまっ、馬っ鹿、男子の前でそういうことはっ」
「女の子の必需品、それは擦り傷切り傷ちょっと怪我した時の御用達、絆創膏のことでしたー。えー、愛染ってば何想像しちゃったのー?」
この女……っ!! と思いつつも不破らしい冗談に少し癒やされる。
不破は時々物凄い世間知らずな発言をするので油断はできないが、裏表のない性格なので話していて安心するのだ。
「あはは、ゴメンゴメン。からかい過ぎたね」
「お前の冗談は分かりづらいんだよ」
「ごめんってばー。ほら、これで許してね、ぎゅー」
「んなっ!」
「ははは、同級生の抱きつき攻撃はどうだったかな。それではあたしはこの辺でさーらーばー」
不破はどこぞの怪盗のように「ふはははは」と笑いながら、結局絆創膏も持たずに保健室を出ていった。
あとに残されたのは、止まりかけていた鼻血がまた出そうになってしまった俺一人。いくら胸が無いとはいえ、美少女は美少女。スベスベなのにもっちり柔らかいという矛盾を孕んだ同級生の健康肌。
フられた記憶を封印して二人の美少女の余韻に浸っていると、今度は静かに保健室の扉が開かれた。
「しぐれー? あ、本当に保健室にいた」
「おー、
ほら、と鞄を投げて寄越したのは、小学校からの幼馴染で俺の親友でもある
頭脳明晰、容姿端麗、運動神経も抜群で、実家は地元で有名な名士の家の一人息子。それで性格もいいのだからどんな完璧超人だ、と声を大にして叫びたい。
中学のころそんな不満をぶつけたら「これでも頑張って捻くれた性格直したんだよ?」と苦笑いしながら返されたのでぐうの音も出ない。
余談だが、中学時代俺に彼女ができなかった原因の一つは、このハイスペック幼馴染がいつも隣りにいたからじゃないかと疑っている。分かってるよ、嫉妬だよ!
そんな完璧超人な親友は、氷嚢を乗せた俺を見て呆れ顔で頭を抱えていた。
「何で屋上から保健室にワープしてるのさ」
「これには海よりも高く山よりも深い訳があるんだよ」
「まったく、また中学の時みたいに暴走しないか心配だよ」
「話せば長くなるんだが」
「はいはい、手短にね」
10分ほど保健室で熱弁をふるっている間に鼻血は止まったので、俺の話を文庫本読みながらずっと聞き流していた親友が「そろそろ帰ろうか」と鞄を手にとった。
まだ全然話足りないところではあるが、これ以上帰りが遅くなると親友の門限に間に合わなくなる。冗談抜きで颯はお坊ちゃまだ。千草の家は古いしきたりも多いらしく、今どき18時という高校生には厳し過ぎる門限が存在していた。
俺の鼻血が止まるまで待ってくれた親友に門限やぶりをさせる訳にはいかない。
そそくさと帰り支度を整えて、誰もいなくなった保健室に「失礼しましたー」と声をかけて扉を締閉めた。
その時、ふと絆創膏が置かれた薬品棚が目に入り、一つだけ気になることを思い出す。
「不破のやつ、結局何しに来たんだ?」
∞
誰もいなくなった教室に少女が一人、夕焼けに濡れて佇んでいた。
少女は血に濡れたハンカチを口元に当て、何かを確かめるように深く息を吸う。
そして、決して人前では見せない笑みを浮かべて姿を消した。
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