おばあさんは川へ洗濯に

川へ足を向ける道中、いつも考えることがある。


私はなぜ、同じことを繰り返しているのだろうか。

この先に意味があるのだろうか。


毎日同じ時間に起きて、煮炊きをする。

繰り返す日常の中に大きな変化は訪れない。

だから、私は変化に敏感になる。


今日の米は少し硬い気がする。

それは水の加減なのか、あるいは歯の具合の影響なのか。

数秒ほど考えて飲み込む。

食事と全く同じだ。

変化は、考えなくても問題なく進行する。

たとえ、変化を気に留めなくても明日はやってくる。

噛まずに飲み込んでも栄養にはなるように。


それでも、考えるのは人が法則を見出すことに喜びを覚える動物だからだと思う。

変化と変化を紡ぎ合わせて、来るであろう大きな波を予想する。

山の雲を見て天気を予想するのとおんなじだ。

変化に敏感でなければ、不幸を感じやすくなるのだ。


最近は、狩りの成果が出ている。

獲物は少しずつ大きくなっているし、獲物の種類も増えた。

それに伴ってか、だんだんと、服の痛みが激しくなっている。

きっと山の奥まで進んで狩りをしているのだろう。


無理をしているのかもしれない。

本人に自意識が無くても、過ぎることはある。

本能に飲まれると、もっと大きな、より未知なるものを欲してしまうから。


少したしなめる必要もあるかもしれない。

流水で冷ますように、せせらぎで汚れを浮かすように。

同じことを繰り返さねば、変化にも気づかない。

ほころびを紡ぎ、明日へちゃんと繋げることが繰り返す意味なのだろうか。

そんなことを思いつつ、家路をたどる。

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