矛盾するエロ

視覚で感じる情動。

触覚で感じる情動。

想像で感じる情動。


ガーゼ越しで伝わる熱のような心地よさは、想像にしか宿らない。

強いエロを感じるときは、決まって想像+五感で成り立っている。

想像が五感の感度を引き立てる、あるいは五感が想像を引き立てる場合だってある。


なんにせよ、想像力なしにエロは発揮されない。

想像力は可能性と等しく、エロは可能性に満ち溢れている。

マンネリがいけないのは、想像力が腐っているからだ。

ほら、エロくない=つまらないが成り立つ。


エロであれ!

とは言わないけど、ワクワクしなくてはおもろくはない。


キルケゴールが言ったように、花の周りを回るのだ。

花がつまらないのではなくて、受け手がつまらないのだ。

上から見ればいい、下から見ればいい、あるいは電気を消して、場所を変えて、美しさを探せばいい。


古来から言われるように、想像は探求の父であり、探求は好奇心の母である。

男も女もエロくて当然なのだ。


なんにしてもそうだが、余裕は大切だ。

モロは下品である。

江戸時代ならぬエロ時代でもその「粋」は尊ばれていたのだから。

ちらりがいい。後姿がいい。

見えない想像性の予知と、情景を引き立てるリアルが、螺旋を描いて引き立てあう。


余談だが、大航海時代、日本にやってきたイギリス人は、日本の性の多様性に驚いたそうだ。

禁忌であふれるイギリスと、大っぴらでありながら華やかさのある日本の性。

なにせその当時イギリスではオナニーをすれば衰弱して死んでしまうという冊子が、子供に配られていたのだ。

教会の煉瓦は禁忌で出来ている。

彼らの精神を築き上げていた煉瓦は、風通しが悪く、じめじめとして、暗く、堅牢だったのだろう。

日本は男色、混浴、遊郭、性が明るく華やかであった。

泥と土と木で作られた風通しの良い風俗が、彼らの胸に響いたのであろうか。

イギリスの航海士の日記には「日本は最高であった」と書いているものがある。

何のことかは言うまでもないが、つまり男女混合についての記載であった。


禁忌と慣習の間に生まれ、育まれるものがエロなのだと思う。

知っただけ、わからないを探し、わからないから知ろうとする。

その矛盾に似た渦の中に、パンチラに惹かれる理由があると思うんだけどなぁ。

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