(未来の私に向けて)奇跡を起こす方法について
奇跡を起こす方法を知っている。
なんて言ったら胡散臭いかもしれないけれど、現に奇跡を起こしている。
これから書くことは何の根拠もないけれども、もし奇跡の起こし方を忘れてしまった時の備忘録として、私のために書きたい。
奇跡を起こすためには、できない理由を考えてはいけない。
桃色のゾウを想像しないでください。と言われて、想像しないことが出来ないように、私の脳はイメージの否定形を想像することは出来ない。
うまくいかなかったらどうしよう。と考えたときは、うまくいかなくなるようにちゃんとできている。
私が奇跡のトレーニングに使うのはビリヤードだ。
始まりのブレイクショットを放つ瞬間に、ナインボールが入ってしまうイメージをする。
それをブーストさせるために胸骨のあたりのチリチリとした感覚、背筋から上がるゾクゾクとした感覚を体に飽和させる。
そうしてから、体を動かす。
思うに、奇跡というものは願うものではなく、もっぱら起こすものだ。
アクションによって、無数の可能性のうちから自分の都合の良い現象へアクセスさせるようなイメージ。
天からぶら下がる無数のひもから、自分の望む確立を引き抜く感覚。
たとえ外したとしても、望む現象に近いものが起こせるならば、それは奇跡なのだ。
だからこそ、願うこと、望むことは危険なことなのだと感じる。
悲観主義にかられて、自分を不幸と思えば思うほど、不幸がザクザク叶ってゆく。
不幸と思う呼吸が、眼球の動きが、肌で感じる風の感覚が、すべて不幸を叶えるため、全力を尽くすからだ。
精霊のように、見えない何かの力が、思いや願いによって現実となるファンタジー世界がこの世の中だと思う。
その絶対法則を気付かせないために、不幸なニュースが世の中に溢れている。
それが、悪いわけではない。
今の世の中、不幸を望むものが多いだけの話だ。
おいしいケーキ屋さんの前に行列ができるのとさして変わりはない。
笑顔の人は、笑顔だから笑顔であって、幸福は形を成して道端に転がっていない。
奇跡は形を成す力だ。奇跡はする力だ。奇跡は振動による力だ。
奇跡は「しないこと」の反対にある力だ。奇跡は「できない理由」の裏に潜んでいる。
ありったけ望んで、望めば望むほど、何か一点に望んでいることに気付くはずだ。
それに向かって伸びる無形のヒモが、可能性の光であり、目に見えない奇跡の法則。
奇跡は誰にでも平等に起こせる力であり、奇跡の魔法を操るひとは決まって生き生きしているのだ。
誰かを笑わせることができたなら、私はまだ、奇跡を使うことができている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます