性重りと自由の毒
3600gの重さを身に着けて生まれた重さでさえも、子羊の成長には敵わない。
一年で20kg以上の体重を増やすことができるのは動物の性ゆえだと私は思う。
ひつじは草を食む。誰に命じられたわけでもなく。
わずか一年の間に、人とひつじの間には途方もない差が生まれてしまう。
後天的に培われた重さの差異は、性の重さに比例するのではないだろうか。
子羊は、人間の子供のそれと同じく、好奇心で食む草を選ぶ。
匂いを嗅ぎ、口に入れ、重さに加える。
一方で、乳児は食べ物を選ぶことができないまま、一年以上の時間を要する。
それだけ、人は自由なのかもしれない。
性を遅れて持つことが許された人間は、ひたすらに贅沢で、まれに自由の中毒死を起こす。
道具は、性を持ってこの世に生まれる。
傘なら雨から守るために。はさみは物を切るために。靴は足を入れて歩くために。
故に、性を変えることなく、必要がなくなれば雨の日のアスファルトに潔く捨てられる。
たとえ、極悪人だとしても、必要のない人間として切り捨てられないのは性が人の器には余り切っているからだ。
完全に定まらない性と、性から解放されたい飢えが拮抗する上に私たちは立っている。
技術、人間関係、職業、性癖といった性の重さを足したり引いたり、重さにつぶれては首を吊り、軽さにおびえては引き籠る。
いっそ定まらぬことが人間の性なのだと決めてしまえば楽になる。
その職を変えようと、あなたには道端にうずくまるおばあさんの役には立てる。
何もないとしても、自ら進んで重荷をしょい込むことは出来るのだから。
大切なものもなく、お金をもらわなくてもやりたくなるようなことがなければ、薄っぺらな大義でもいいから世界平和を祈ればいい。
正義なんぞそのためにしか存在していない。
誰にでも背負うことのできる性を、人間は生み出すことができたのだ。
三年が経つ頃にはひつじと人間の性の力量が反転する。
性の手綱を操り青空を滑空する生き方も。
性に楔を打ち込み、草を食む楽しみも。
地球に生まれなければできなかった生き物の特権なのだから。
自由の中毒死を選ばないピエロなバランスでハッピーに生きれたらいいんじゃない。
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