陰陽の狭間に、大きな羊

見返り美人が美しいのは、完全にこちらを向いてはいないから。

サモトラのニケも美しいのは、壊れて見えない欠損部分があるから。


美の価値観がとても難しいことは某ロシアの大文豪も説いている話だけれども、本当に美とは難解だ。


けれども人が美を求め続けることは確かだ。

美しさを求め、美しさを愛し、美しさを探求する。


アニメのキャラクターも、アイドルも、スポーツの技巧でさえも、求める完成形には美がちゃっかり付与されているものだ。


美は大きな羊と書く。

満ち足りていて、立派である様から美という漢字が生まれた。

左右対称かつ、大きく、一文字で完成された「美」は、英語のBeautifulよりも簡潔に美の価値観を表現している。


しかし、前述の通り美は崩れているもの、左右非対称のものにも憑依している。

これは何故か。


いつ、どの瞬間に美は認められ、対象に付与されるのか。

境界の無いあいまいさと、暴力的に付加される美の効果は、どの時代においても人に与え、同時に奪いもしてきた。


美しいものを壊したいという衝動は存在する。

逆に醜いものに安心を覚えることも、異常ではない。

人は無意識のうちに、自分の美の物差しをそれに向け、安心や羨望、あるいは嫉妬心を感じようとしているのだと思う。

美しい人の近くにいたい感覚と、近寄りがたいもどかしさ。

悪友と共にいるときの安心と、嫌悪感。

せわしなく行われる美の評論会は、自家中毒のように自分を蝕み、破壊してゆく。

美は人を生かしも、殺しもする。


目の前の美に圧倒され、自らの美を壊し、求める美を目指して再形成する。

勉強とは自己破壊であり、すればするほど周囲からはズレて馬鹿になってゆく。

皆が求める美とはズレて、自らの求める美に進むわけだから当然だ。

そしてその終着点は美との同一である。

同じになれば安心だが、差がないことはつまらないことだ。

退屈に美は宿らないが故に、同一は美の死を意味する。

こうして美は永遠に届かないまま、寿命が尽きるまで美の探求は続く。


つまるところ、美は瞬間にしか存在しえない。

美が始まるところ、美が終わる瞬間。

その刹那にか、美の影を踏むことは出来ない。


ビールの一口目、暖房の利いたデパートの入り口、嫌いな人からのおはようの一言。

すべて刹那的で、形を残さず消えてしまう春風のように切ない。


冒頭に挙げた美術品も、美の一瞬を表現するが故に美しいのだろう。

美はどこにでも存在するが、手に入れることは出来ない。

そんな摩訶不思議な価値観を、大きな羊と表現した先人には頭が下がるばかりだ。

美は、大きな羊だ。

羊は一瞬の存在。

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