吐き方を知らない子供の肥満
過食気味の人生に飽き飽きするならば、もっと思いっきり吐けばいい。
食べ方だけを教わってきた私たちは、無意識に排泄を劣悪な行為として認識している。
私は絵が嫌いだった。
父親が美術教師だったから、夏休み明けの絵の宿題はいつも見事に出来上がっていた。
みんなに見られるのが嫌だったから、少し遅れて提出していった。
その時の教師の目が忘れられない。
下手な絵を見ると安心している自分。
自分の絵すら見せることすら出来ない自分。
二つに挟まれて、結局自分は何も書けてはいないことに自己嫌悪する。
私は作文が嫌いだった。
母親が国語教師だったから、読書感想文はいつも修正された。
体裁の整った文体と、薄めたカルピスのような物足りなさで完成された作文は、大人にはとてもうけた。
子供らしさ。稚拙さを削がれた幼少期の作品や賞状は額に入れられ、大人になった僕をいつまでも高いところから見下ろしている。
心の吐き方を教わらなかった私は、よく吐き気を催した。
しばらく時が過ぎた後、父親が酒を飲みながら美術について話し始めた。
美術とは心を表現する方法であって、美しさは重要ではない。
どれほど自分の中のものを吐き出せるか、その技術が先であって、表現の技巧は二の次でしかないと。
ならばなぜ、あの時の宿題を修正したのだろう。
なぜ他者が作品に介入する必要があったのだろう。
美しい作品を並べたければ、評価が欲しいならば。
いっそのことオーケストラの練習をさせればよかったのだ。
なぜ、それを飾るのだろう。
なぜ、それを並べるのだろう。
なぜ、それを整えるのだろう。
吐き方を教えられなかった子供たちが、140文字程度の額縁にパッケージされた電子を飛ばして鬱憤を晴らしている。
コラージュのように集め合わせれば、モノクロモザイクのような人物画が出来上がる。
綺麗に整える者もいる。
きっと上手に美術の時間を過ごしたのだろう。
強烈なパステルカラーやマッキーでなぞられたような太い黒線。
それでも、そんな狭さで語れるようなあなた達ではないと思う。
泥のように不定形な感情をわざわざ文字に起こして。
日の光に当てて出来たレンガを積み上げて。
いつ綻ぶか分からない砂の城の中でのみ、ようやく自分は城主であったと気付くことが出来るのだから。
立ち並ぶ一億三千の国王たちの城の砂が、どうか長続きしますように。
駅のホームに吐かれたものを美しいとは思わないが、ノートの隅に書かれた落書きにほんのりとした美術を感じて。
砂の城の痕跡が風に吹かれて消えてゆく。
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