よい子のひつじ論

ヒツジノ

草結び 棒と縄

TO DOリストが好きだ。


どんなにくだらないことでも、前に進んでいる実感が得られれば、オールをこぎ続けることは出来る。

たとえ対岸の景色が霧に覆われているとしても、オールを漕いだ回数と距離は積みあがるのだから。


書いていない行動をするのが嫌いだ。

予想外、想定外の淵からそれは現れて、高いレベルの要求を突き付けてくる。

言い値で代金を請求する職人のように傲慢で、不誠実だ。


目の前の人が困っているとき以外、予定外の行動をとりたくはないのだ。

なのに、奴らは急な要求を提示し、それが叶わぬと「不親切な奴だ」と紛糾するのだ。

赤子ではないのだから、必要なものは事前に想定し、自分で敷いたレールの上で旗を掲げてほしい。

道も分からず、必要なものすら分からない。霧の中で進むことが出来ないと主張する者の背をそっと押してあげたい。


ほら、進んだではないか。

ほら、一寸先は見えたではないか。


きっと必要なのは書くことで、きっと足りないのは心の落ち着きだ。


ロシア人は遅刻をしたとき相手に「いい時間は過ごせましたか」と尋ねるらしい。

とても良い風習だと思う。

目の前の人と楽しい時間を過ごそうというのに、不機嫌になる理由はどこにもない。


遅刻をするとみんなの時間を奪ったという。

6分なら10人待たせて1時間だと。


足りないだとか、取られたとか、貧しさに囚われているならばその引手の顔を見ると良い。

きっと縄は霧の中に続き、辿ると結びめは自分の背中についているようなものだから。

帰る場所もなく、目指す場所も定めずに船出した小さな船は、霧の中で海賊になるだろう。


人が戦いのために棒を作るのならば、縄は何のために作ったのだろう。

縄はきっと自分を繋ぎとめるために、進むべき場所と目的を自分と結ぶために。


東京でさえ皆棒を振り回し、とても英雄映えはしない戦いを繰り返している。

急な要求をする者や遅刻するものを叩くための棒はいらない。

立ち止まって足を組んで座って。

下草を結び合わせて、杭に巻こう。

自分の帰るべき場所と目的は何なのか。

それすらも分からずに旅に出たものはきっと舟板で棒を作るだろうから。


1人では長さが足りないから、同じ目的の小舟と草結びしよう。

きっと2人ならもっと遠くに行けるだろうから。


たとえ結び目のない放たれた獣が、理由なき不機嫌の下に棒を振り下ろそうとも、草結びは切れることもなく、叩かれた恐怖に靡くこともなく。


進むべき先のために書き結ぼう。

明日のために、明後日のために、縄を編むことを忘れないように。

水面に浮かぶ蓮の葉の茎は、以外にも長いものだ。

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