第一幕: 陽炎 - その3/3

「いくつか質問よろしいですか」


 採用面接みたいだ。

 便座に座る男は、まるで高級な椅子に座る会社役員のように堂々たる態度である。


「どうぞ」

「あなたの言う『遊び』とは何ですか」


 ボクは嫌な質問をされてしまったなあと思う。

 何をやっても満たされないボクにとっての遊びとは何だろうか?ずっとそんな風に思い続けて未だに答えは出ていない。だからスグに答えが出せるはずもなく、考え込んでしまう。

 飛び降りてしまってもいいのだが、高揚感に酔っていた先ほどとは一転して、心には無限の自問という絶望的な闇が広がっていた。

 こんなことを考えながら最後を迎えたくはない。

 コンビニに行くような気軽さで、思い立ったように死にたいのだ。

 男に残された時間を少しずつ消費しながら答えを出そうとしている。

 額に汗を感じた。


 急速に思考を煮詰めるが、水のような虚無が沸騰して霧散するだけだ。

 ボクは観念して口を開く。


「ボクは…ないですね。最近遊んでいてたのしいと言うことが…。遊びって何でしょうね」


 自嘲気味にニヤニヤすることしかできない。

 ボクは自信なく次に続く言葉をひねり出す。


「ボクは…、先ほどもお話ししたとおり、何かに熱中できる人がうらやましい。何か一つ二つのことにとにかく頑張れる人がうらやましい。どこかTVを見るような感覚でいつも自分のことを見ているんです。そして、いくつかのランダムな要素を除いては脚本通りに動いている日常が歯がゆいんです」


 自分の心のイチバン底にあるものをただいま発見したという気分だ。厳密に言えば、わかってはいたのだが具体的な言葉にはできなかったし、明確に意識したこともなかった。

 声に出していて、なんだかすがすがしい気分になった。


「でも、生きるのってお金がかかるし、一人の傲慢を通して生きてはけない。心の中が空っぽなのに、生きていて何になるのかなって。そうしたら、全部面倒なコトだと思えてきました。だから、ボクは死のうと思うんです」


 どこか論理破綻している部分はあると思う。しかし、自分で言っていてイヤに納得できるセリフである。本心であった。

 男はなんと返すだろうか。とうとう止めに来るだろうか。もう消えるのだろうか。男のいう十分は着々と消費されている。


「うん。たしかに。何も感じないのなら、死ぬのがいいかもしれません。ハハ、申し訳ないのですが、ソノぉ…、夢に出てくるとイヤなので僕がいなくなってから飛び降りていただけますか?」


 男は大真面目に恐縮して言う。

 本音を言えば、少し淋しかった。止めてほしいという気持ちもどこかにあった。止められたからと言って死ぬのを思いとどまるわけではないのだが、ここまで話をさせておいて、聞ききったら「ハイさようなら」というのは正直残念だ。

先ほどのフラットな気持ちとは打って変わって、少し落胆していた。顔の表情にも多少表れるだろうか。


 男はそんなボクの顔をじっと見つめた後、口を開いた。


「南アフリカのある国では治安がとても悪くて、レイプが多発しているそうです。だからなんでしょう。性病が蔓延し、男性の9割はHIVに感染しているそうです。滑稽な話ですが老婆と行為に及ぶとHIVが治るなどという迷信があるそうで、気が気では無いおばあちゃんたちは護身術を習うのに必死だそうですよ」


 何を言い始めるのか。

 資本主義の犠牲となった国の貧しい現状のことを言っている。だからこの国は幸せで、ボクは幸せだとでも言いたいのだろうか。


「TVでやってました」

「はぁ」


 ボクは気のない相づちを打つ。


「あなたは、護身術を習うおばあちゃんをどうおもいます?」

「どうって…」


 会話の意図が掴めない。便座に座る男は、優しく微笑むだけだ。

 応えかねるボクにむかって、話し始めた。


「僕だったら、そこから逃げた方がいいと思います。よほどの達人でも無い限り、非力な老女が技だけで暴漢から身を守れるとは思えないし、そこにいる限り襲われる可能性はあるんです」

「ハハ、おばあさんはもうずっとその土地しか知らないんでしょう? 逃げたくても逃げられないんですよ、きっと。老い先短いのに、そこまでするよりも、見知った土地で襲われないように過ごすことの方がいいんです」

「そうですね。ところで、あなたは今の環境をどう思いますか」

「…え?」


 やはり言葉の真意を掴めずにいた。

 言葉の迷路で行ったり来たりしているようで、混乱する。


「あなた自身の環境のことです。こんなところで死ななくてもいいんじゃないですか?もっと別な場所がありますよ」

「別って…、…」

「結果から言えば、この国はあなたにとって危険なんです。それは数字を見れば明らかです。よく言う統計を引用しますが、戦争中のどこかの国で鉛のつぶてで人が死ぬより、自分で命を絶つ方が多い国なんですよ。とっても危ない。空気に殺される可能性が多分にあるこの国で、やっぱり頭の中のつっかえがとれずに死んでいく。日々の日常に感じる違和感を無理して飲み込んで、よくある誰かを演じている内に息が詰まって窒息していく。まさに、あなたが薄ら寒いと笑った、ステージで演技する人間の最後にふさわしい。でも、それがたまらなくイヤだから、行動を起こしたわけです。だったら、この国で良くある死に方なんてあなたは望まないはずだ」


 なんだか図星をつかれたような気分だ。考え方ひとつだが、「こんな死に方」と言われた状況でいることがなんだか恥ずかしく思えてきた。

 たしかに、ボクの死はうつ病で自殺する若者と何ら変わりない。

 こんなにかっこ悪いのでは、自分の選択に誇りが持てない。


「では、海外の危ないところに言って殺されてこいってコトですか?痛いのとか苦しいのはイヤだなあ」

「僕もイヤです。でも、誰かの脚本通りの息苦しさは無いはずだ。睡眠薬だとかナイフでも持って行って、いざとなったら自分で命を絶てばいい。心が未来永劫空っぽならば、今すぐに飛び降りるのはアリだと思います。でも、あなたは苦しさを鮮明に想像できるくらいには心が未だ柔軟だとおもう」


 男は僕の死を否定することなく、アドバイスをした。ただの一度も死ぬなとは言わなかった。男の物言いに圧倒されてしまった。

 悔しさはない。しかし、ここで飛び降りることをやめようとしている自分がなんだか恥ずかしい。納得してしまったから、どうしようもないのだが、男がいる間に、フェンスを這って屋上にもどっていくのはどうしても恥ずかしくてできなかった。

 ワープしていなくなったら、戻ることにしよう。


 …でも、ワープって何だ?

 今更そんなことを思う。本当に便座ごと消えて無くなるのか?いなくならなかったら、どうしよう。

 そんなことを考える内に、一度は放っておいた疑問が頭をもたげた。


「あの…あなたはいったい?」

「それは、…その、こんな姿で現れて個人情報をお伝えするのは恥ずかしい。通りすがりと言いますか、そういうことにしておいていただけませんか? 街でばったり会っても、気がつかないふりをしてそっとしておいてほしい。というか、アア…なんか感覚的にそろそろ消えそう…」

「あの…いつかまた会えますか?」

 ボクは、こんな風に真剣に話を聞いてくれる人にまた会いたくなった。

「さあ、どうでしょうか。私はさっぱり。ただこれだけはお願いしたいんです。消える前に言っておきたい」


 ボクは一時たりとも逃さぬような集中で耳を傾けた。


「トイレはきれいに使ってくださいね。あと、トイレットペーパーは切らさないように。本当に困りますから」

 男の言葉は常に静かで、落ち着きがあった。

「ハハ…、何ですかソレ。トイレ神様かなんかですか?」

 ボクが言い終わる前に、彼は消えていなくなっていた。

本当にこんなことがあるのだろうかと、自分を信じられなくなる。


 白昼夢か幻覚か。

 しかし、ボクは今日この国で死ぬのをやめることにした。


 ビルの縁からフェンスによじ登り、一番上のところで腰掛ける。

 大きくのびをして、脱力する。そのまま、鉄棒の「こうもり」の要領で背をそらした。フェンスがシャンとなり太い鉄骨部分がギィときしむ。


  命を粗末にする精神の歪みはまだ治っていない。ほっと安心して、そのまま1分ほど逆さまの街並みを眺めた。

 コンクリートの空と青い地面が、清々しく見える。

 しばらくそうしてから、屋上に戻り、もと来た階段を降りた。


 いつの間にかお昼時になっていたのか。

 知り合いのOLが2人、弁当を持って階段を上がってきた。

 ボクはなんだか決まりが悪い顔になる。

 世の中に啖呵を切って中指を立てたまま墜落死しようとしていたボクが、イソイソと社会生活に戻るようで情けない。


 そんな気持ちも知らず、OLはボクを見るとニヤニヤして言った。


「谷口くん、もしかしてサボり~?」


 ボクは苦笑いしてみせる。


「自殺しようとしたんだけど、どうもここじゃない気がしてさ。これから会社を辞めて、退職金で死に場所を捜す旅にでようかと思って」

 OLのひとりは「ひくわー」と顔をしかめた。

 もうひとりは「あはは、なにそれ。おみやげよろしくー」といっていた。

 どちらもボクが本気だとは思っていない。それが普通なのだ。


 この静かな炎が消えないうちに、ボクは辞表を出すだろう。

 面倒だから、無断欠勤をし続けるっていうのもなかなかにアナーキーだ。

 それから、人生で二~三度しか聞いたことのないような国へのチケットを買って、出発しよう。

 ちょうどいいから、2年前買ったままほこりをかぶっている一眼レフでも持って行こうか。

 そうだ、戦場のカメラマンにでもなろうか。

 突拍子もないアイディアが無限に頭に広がっていく。

 ワクワク考えながら階段を一段ずつおりて、気がつくと自分の職場のフロアを通り越していた。

 ボクはその足で、無断で早退した。


 途中、薬局で二十四ロールのトイレットペーパーを購入した。




                                 第一幕 了

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