第一幕: 陽炎 - その2/3

 ボクは少し空を見つめて、いくつかのことを思い出す。


 頭の中にぼんやりとプロットを立て、仕事でやるように結論は何か明確にする。

それから理由をストーリー立てて…。

 彼岸の向こうへ旅立つ直前まで、十年に満たない会社員生活で染みついた癖を披露している。

 なんだか面倒なことだったが、冥土の土産に面白いことを聞かせてもらったおかえしだ。トイレと一緒にワープするなんて、嘘でもほんとでも正気ではない。


「結論から言うと、なんだか生きるのに疲れてしまって。生きていても楽しくないんです」

「あぁ」


 男は同意を示すように相づちを打った。


「わかります?今を生きている人って少なからずそういう気持ちがあるんじゃないかな。なんというか、生きることに必死になれないって言うのか…。何をしても満たされない。極限まで『みんな』が生きやすい環境を求めて社会を作っていった結果、巨視的には便利で住みよい社会になったように見えて、一人一人はそれほど幸せを感じてはいない。なぜなら、みんなが幸せな世界を作るための同調圧力で押し固められてしまって、個性が死ぬんです。なんとなく生きて、いつも満たされない心の隙間を埋めるために必死になってる。SNSとかやってます?FBとかTwitterとか」

「はい」

「ボクもやっていました。ああいうのは最たるものですよ。『満たされない』を少しでも埋めるために投稿して、『いいね!』の数に一喜一憂したりして。他人の投稿(しあわせ)に嫉妬したりして。どうでもいい報告をスマホの画面ごしに死んだような目で見ている同僚を見てハッとしました。全部無駄なんだって。ユーザー十億人のきらびやかに着飾った幸せとボクの幸せではどうにも勝ち目がない。心の隙間を埋めるために、いつも心が疲れていては仕方がないと思うんです」

 ボクは思いのほか饒舌だった。

 自分ではそんなつもりがなくても、死ぬ前に心の内に溜まった膿を出したいのだと心のどこかで思っているのかも知れない。

「SNSに関しては同意します。インスタとかFBとかこの年になるとみるだけで体力いりますよ」


 便座に座る男は、初夏の熱気でしっとりと油に濡れた張りのある顔に、同情したような脱力した笑顔を見せた。


「失礼ですがお年は…?ボクは今年二十五になります」


 年の話になったので思い切って聞いてみることにした。おそらく、ボクよりも一回り年上の、世(よ)の中(なか)的に見ればおじさんだ。


「あはは、お若いのによく考えていらっしゃる。僕は三十七歳です。おじさんですね。最近、集団で歩いている高校生とか怖いときありますよ」


 僕と男は笑いあった。

 男の顔に刻まれる皺が、彼の人生を年輪のように示していると感じた。


「SNSに限ったことではないのですが、そういうちょっと幸せになるための小賢しい徒労っていうのがたまらなく面倒に思えるんです。かといって、何をすれば楽しいとかそういうものがなくて。ゲームとかアニメとかスポーツとか何かに熱中できる人はホントウにうらやましいですよ。たとえそれが自分や誰かのために実を結ばなくても、すごい才能だと思います」


 皮肉に聞こえたかも知れないが、本心だった。

 生まれてこの方、何かに長いこと熱中していたと言うことがほとんどない。クリスマスに買ってもらったゲームや受験勉強だって、一過性のものだ。コレがなければ心が飢えてしまうと言うような“なにか”に出会ったことなどない。


「お仕事は、どういった感じなんですか?」

 男が背を少し正して姿勢を変えながら聞いてきた。

 便座のなかでむき出しの肛門が気になるのだろうが。便座に座りすぎると痔になると聞いたことがある。


「ああ…商社の営業を」

「ここは…。テレビ塔がこの位置から見えるってコトは光満商事さん?」

「よくわかりましたね」

 ボクは感情を顔に出して驚いてみせる。

「ええ、何度か一緒に仕事をさせていただいておりましたよ。部材の仕入れではお世話になりました。迅速な対応でしたし、仕事のできる方の集まりのイメージはありますね」


 ボクのことかもしれない。そうでないかもしれない。もしかしたら、ボクに関わりがあった人なのかも知れない。

会社の中のひとりの仕事というのは、実のところかなり裾野が広い。会社員は企業の歯車だとよく言われることがあるが、その通りである。その一個がほかの歯車にかみ合って、全体をも動かすのだ。それは社外間でも同様であった。


 とはいえ、営業と言ってもほとんどメールと電話のやりとりだし、宛先に金魚の糞のようにいくつも羅列されるCCの向こう側なんて正直追い切れない。

 誰のことなのかは当然わからないが、親戚のことを褒められているような、遠回りなこそばゆさがあった。

 交流があったと言うことなので相手の素性も気になりはしたが、ここはまだ勢いに任せて自分のことを喋ろう。時間があったら、すこし彼について聞いてみよう。


「仕事は…、やりがいとかそういうのはあまり無いですね。別に営業成績が悪いからとかじゃないんですよ?熱意のある瞬間がないわけじゃない。がんばって、会社に必要とされて、自分の思う以上にうまくコトが運んで、これが『仕事がたのしい』ってコトなのかなって思わないこともない。でも、仕事が少し暇になってくるとふと思うんです。なんというか、『仕事たのしいです』って口にするうすら寒さを」

「なるほど」


 便座に座る男は真剣にボクを見つめ、頷いていた。

 ボクの小さな孤独。男はわかっているのか、いないのか掴めない。ただ、真剣にこちらを注視してくるから気恥ずかしい。

 理解していただこうなどとは一つも思っていない。むしろ、心の内をさらけ出す高揚感がある。


「結局は他人の作った枠組みの中で、普段は心底どうでもいいと思う仕事仲間と客先のために働いて、そこそこの給料をもらう。会社に従順で模範的な社員と認められると、わざとらしい笑顔で採用のWebページや会社紹介のパンフレットに載る。茶番のようで、たまらない。ステージで演じるように、作り物の笑顔を貼り付けたマネキンのように、本来あるべき姿とかけ離れた違和感(ズレ)を感じるんです。仕事で得られる充足感に満足しているのはなんだか子供だましに熱中して外を見ようとしていないだけなんだって。だって、『仕事がたのしい』わけないじゃないですか。遊んでる方がたのしいに決まってる。だから、『労働は美徳だ』とか言っている人を見ると寒気がするんです」


 勢いに任せて思いを口にした。

 同じようなことを数少ない酒のつきあいの席で同僚や友人に漏らしたことはあった。帰ってきたのは「起業したら?」とか「やらされている姿勢だからそんな風に考えるんだ」とか思考放棄して突き放したり、いつの間にか説教されていたりとうんざりするような結果となった。端から見れば仕事がイヤで駄々をこねているようにしか映らないだろうと言うことは、なんとなく理解できるのだ。しかし、自分は正しいことを言っているという確信もどこかにはあった。少なくとも、自分の心に嘘はついていない。

 男はなんと言って返してくるだろうか。ボクは小さな期待をした。


「いくつか質問よろしいですか」


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