3-8.指輪型の象徴媒体

 数日経って豪雨は収まり、船も出せるようになった。空は雲一つない晴天で、深い青色と朝日の輝きがまぶしい。人混みの激しい商業区からでも港の賑わいが聞こえてくる。


 乾燥させた無花果の実を食べながら、グリュテはセルフィオと一緒に久方ぶりの町並みを歩いていた。


 今、セルフィオは全身鎧ではなく、甲冑と肩当て、手甲だけをつけていた。頭を巻いているのは長い布で、髪と額を絶妙に隠しきっている。青いゆったりとした股下と軍靴が相まって、騎士というより傭兵に近い出で立ちだ。


 全身鎧を着るには少し、まだ体力が足りていないらしい。灰色の剣や鞘はそのままだけれど。夢の中で見たセルフィオに少し似ていて、グリュテは懐かしさにも似たものを感じる。


 二人が向かうはシプが乗る船がある私用の港で、そこからカトリヴェ島に行くとのことだ。


 シプは条件づきで、行動を共にすることを許してくれた。一つ目はシプの護衛であるグナイオスとノーラ、なにかがあれば彼らたちと共闘すること。二つ目は無理をしないこと。


 カトリヴェ島まで行けば、あとは海の状態にもよるが、手漕ぎ船でもアーレ島につくことは可能だ。セルフィオは渋々といった様子で、グリュテは素直に条件を受け入れた。


 カトリヴェ島は今、戦場の間近にある島ということで、周囲の小島から避難してきた人間や病人たちであふれかえっているらしい。治安も悪く、だからこそシプは二人の護衛を雇ったのだろう。


 出立前に刺客が来るかも、そうセルフィオに聞いたが、答えは否だった。狙ってくるならカトリヴェ島が丁度いい、らしい。


 その証拠に――もしかしたら二つ名持ちの傭兵であるグナイオスの名に怯んでか、娼館にいるグリュテを狙う刺客がきたのは、最初の一度だけだった。ただ、それもセルフィオにいわせると粗末なやり方だという。


 潜密院せんみついんはその名の通り、潜んで密偵、ないし目標を殺害する連中の集まりだ。人前で行動に移すのは、かなりずさんな行動だとセルフィオはいっていた。


「本当に来ませんねぇ」

「来なければ一番いいさ、それが。無理だと思うけれど」


 無花果を食べきったグリュテの言葉にセルフィオは笑う。でも、すぐに顔を引きしめた。


 グリュテの歩幅に合わせて横を歩いてくれるセルフィオは、少し体を近づけてささやく。


「あの男、ティゲニーは生粋の刺客といっていい。逃げ出した俺とは違って、今でも潜密院せんみついんに所属しているくらいだからね。ためらうことなく俺を殺しにかかるだろう」

「強いんですか?」

「強い。でも、負けるつもりはない」


 ためらうことのない物言いははっきりとしていて、まるでなにかの鎖を断ち切ったかのように聞こえ、グリュテは何度かまばたきをする。


 横顔の輪郭が布の影に隠れ、でも青い瞳が強く、まっすぐ前を向いていて一瞬、宝石のように見えた。


 胸が高鳴り、慌ててグリュテは外套の上から胸を手で押さえる。セルフィオが心配そうにこちらを見つめてくる様子にすら、どことなく気恥ずかしさを感じる。


「具合が悪いのかい?」

「い、いえ、大丈夫です。声が聞こえるくらいで、今は」

「声?」


 しまった、とグリュテは自分の失態に気づいた。聞き返してくるセルフィオの言葉に、どう答えたらいいのかわからず、頭が混乱する。


「声が聞こえてくるそうなんです。病が進むと。妻持ちだった遺志残しさんが、そういう症状だったって。死を迫ってくるとかで、はい」

「どんな声なんだろう。自分の声とかなのかな?」

「キ、キリルさんの声です」


 グリュテはとっさに、嘘をついた。なぜ嘘をついたのかわからないけれど、一瞬出てきてくれたのは兄弟子の顔で、でもすぐにそれはセルフィオのものに成り代わる。


 嘘をつくために兄弟子のことを口にしてしまったことが申し訳なく、心の中でここにいない兄弟子へ何度も謝った。


「なるほど、死をうながす声か。妻持ちのその、遺志残しは妻だった女性の声を?」

「はい、そういってました。キリルさんが」

「とても親しいものの声が聞こえるのかもしれないね」


 そういって、セルフィオはほほ笑む。どこか寂しそうな笑顔に、グリュテの胸は締めつけられるように痛んだ。


「だとしたら、俺にはシプの声が聞こえるのかもしれないな」

「そ、そうと決まったわけじゃあないと思います」


 うわずった声を上げてセルフィオの顔を見てしまい、視線が合う。疑問を含んだ目で見つめられ、グリュテは小さく口を開閉させた。


 なにかを考えるより先に、口が勝手に言葉を紡ぐ。


「えっと、その、そういう場合じゃない可能性だって、ありますから」

「そうだね。でも、君と兄弟子は長いつきあいなんだろう? 親しかったり、思いを寄せていたり、そんな相手の声が聞こえるんじゃあないかと俺は見たけど」

「思いを寄せる? わたしが、キリルさんにですか?」

「……違うのかい?」


 目を細めたセルフィオに、グリュテは自然と首を振っていた。


「キリルさんは、私のお兄さんみたいな存在です。シプさんとセルフィオさんみたいな」

「どうせ俺のことを弟みたいだ、なんていっていたんだろうね」

「それじゃあ、いやですか?」

「二歳も上の弟なんて、その、格好悪すぎると思うんだ」


 子供みたいな物言いに、グリュテは笑った。笑う余裕ができていた。


 以前のグリュテならば、シプの名前を出されただけで妬いていただろう。でももう、グリュテの腹は決まっていた。セルフィオが誰を想おうと、自分もただ、彼を想うだけなのだと。


 自覚はあるのか、というキリルの声を思い出す。重いため息までもを。あります、とグリュテは内心で笑い飛ばした。ありすぎておかしくなるくらい。


 グリュテは顔を上げ、しっかりと前を向く。自分の心を素直に認めるというのは、難しいけれど大事なことだ。例えそれがどんなものであっても。遠い、手の届かないものだとしても。


「少し、背が伸びた?」

「え?」


 角を曲がり、とある術具店に入ったとき不意にそんなことをいわれたものだから、グリュテは聞き返す。いや、と狭い店内の棚などを見ながら、セルフィオは顎に手をやった。


「なんとなく、大きく見えた気がしたから」


 いわれて、グリュテは思わず自分の頭を撫でる。目線が高くなった気配は全くない。


「気のせいだと思いますよ。それに成長、もう止まってますし」

「初めて会ったときより、大きく見えるし。それに」


 黄玉トプゾスの首飾りを見つけたセルフィオは、そこで言葉を途切れさせた。


 なんだろう、と疑問に思うが、その先をいうことをかたくなに拒否するように、セルフィオの唇は閉じている。


 彼は店主を呼び、象徴媒体かどうかを聞いたりしはじめた。目をまたたかせるグリュテをよそに、愛想のよい太った店主は、指輪型のものや腕輪型のも勧めてきている。


 なんだったのかな、そう思いながら、近くにあった棚へ目をやる。頑丈に作られた硝子の奥には物珍しいものがたくさんあり、どれがなんなのか見分けがつかない。


「グリュテ、赤と黄色、どちらがいいかな」

「なにがですか?」

「君の象徴媒体。指輪型にしようと思っているんだけれど、どちらがいい?」


 店主が布に包まれたものを見せてくる。黄玉トプゾスがはめこまれた指輪と、赤玉グラナディがはめこまれた指輪は共に鉄でできていて精緻な彫りがされており、どちらも高そうで、グリュテは意味がわからなくて小首を傾げた。


「わたしが持つ意味ってありますか?」

「あるさ、第三等殊魂術トリ・アシェマトを略式で詠唱できるのは強みだ。カトリヴェ島に、こんなものはないからね。食料も含めて準備はしていた方がいい」

「でも、お金、なくなっちゃいますよ」

「これを買う分くらいはあるよ。俺も一つ買うつもりなんだ。遠慮せず、選んで」


 うながされ、もう一度グリュテは指輪と向き直る。赤は火と音、黄は地と光。悩んだ末、グリュテは赤玉グラナディの指輪をそっと指し示す。声で直接やりとりできるなら、離れたとしてもきっと役に立つ。


 殺されたいのに、まだ守られると考えているのかい。


 そんな偽りの声がささやいてきたけれど、殺されるのと死を選ぶのでは、と心の中で声に向かってつぶやく。多分、意味合いが違う。


「じゃあ、赤玉グラナディの指輪を二つ。すぐに着けていくからそのままでいい」

「あれ、セルフィオさんも同じのを買うんですか?」

「音を消すすべはあった方がいいからね。これがあれば数回、殊魂アシュムがなくても使える」


 店主に金を渡し、セルフィオは二つの指輪を受け取った。金を数える店主の前で、セルフィオがさりげなく左手をとってきた。薬指にはめられる。


 グリュテは手をかざし、左薬指に輝く指輪をしげしげと眺めた。寸法はちょうどよく、強く揺らしても外れそうにない。


 赤花一華の刻印が、吊された角灯の明かりではっきりと見える。


「ありがとうございます、セルフィオさん」

「贈り物としては少し、物々しいけれど」


 どことなく照れたようにほほ笑みながら、手甲の上から左手に指輪をつけるセルフィオへ、グリュテは小さく笑った。


 ちょっとした気遣いでも、嬉しいものは嬉しい。それがとりわけ、セルフィオからのものならなおさらだ。


 店を出た二人はそれから、しばらく店を見て回った。食料品を買って、角灯の手入れや剣の手入れも含め、用意をすませる。


 町の外れにある私設の港までたどり着いたときには、陽がすでに空の天辺までに差しかかっていた。


 緑に塗られた船は少し小ぶりだが、それでも幾人もの運搬人や漕手がせわしなく働いており、そこにはグナイオスやノーラ、シプの姿もあった。


「やっと来たね、二人とも。全く、どこでなにしてたんだか」


 港に降りる階段を下がっていって、浜辺に降り立つと、指示を出していたシプが意地の悪い笑みを浮かべてくる。買い物です、そうグリュテがいう前にシプがめざとく二人の手を見て、紅が塗られた唇を楽しげにつり上げた。


「おそろいの指輪ねえ。フィオ、あんたにしちゃあいいもの、見つけたじゃないか」

「違いますよ。象徴媒体なんです、これ」

天護国アステールじゃあ指輪って、別の意味もあるけど」


 シプの側につき従っていた、というより周囲を見て警戒をしていたノーラが小さくいうものだから、グリュテは小首を傾げた。


 少し、慌てたようにセルフィオが咳払いをする。


「シプ、出航はもうできるのかい」

「できるよ。グナイオス、そっち、ちゃんと運んだろうね」

「うむ、準備はできたぞ。樽も備蓄品も全部運んだ」


 船の甲板からグナイオスが手を振ってくる。シプは満足げにうなずき、グリュテたちへ向き直った。


「じゃあ行こうか、カトリヴェ島にはすぐにつくからさ、<妖種>が出たときは頼んだよ」

「できれば殺さないで捕獲したいんだけど、あなたにそれを要求するのは難しいでしょうね、セルフィオさん」

「申し訳ない、ノーラ嬢。護衛が先決だから」


 ノーラが明らかなため息をつき、桟橋へ歩いて行く。戦闘商業士は<妖種>を捕獲していくらの住人だ。それが叶わないと理解したのだろう、少し肩が落ちている。


 シプが後に続き、セルフィオと一緒に船に乗りこむ。久しぶりに感じる潮風が心地よい、不思議とグリュテは気分のよさを感じていた。


 そうして船は出航した。少しずつ、少しずつ遠ざかるカラーナの町を甲板の上から見ながら、グリュテはさざなみの音にしばらくの間、聞き惚れた。


 いろんなことがあった、思い出深い町並みが水平線の奥に消える、そのときまで。

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