終章――1

 富田長繁は、馬にまたがったまま山城を睨んでいた。平原の中にぽつんとたたずんでいる。今までの勢いのままでいけば、あんな小山の、小さな城などすぐに落とせるだろう。

「進め! このまま敵を討ち取れ!」

 馬上から富田長繁はわめき、周囲の兵たちをせかす。またがっている馬も怯えるように鼻を鳴らした。兵たちは進むが、ひそかにしらけた視線を富田長繁に向けていた。

 兵たちにまったく無傷の者はいない。当初は勢いよく一揆衆を追いかけまわしていた者たちも、連日戦に走らされ、目に疲労の色を浮かべている。だが、富田長繁にはそのようなことなど些事にすぎなかった。

 府中の城の目前に現れた一揆衆三万三千の敵は、一気に蹴散らかした。北へ逃げていく彼らを追いすがり、何千もの一揆衆を殺している。今や府中の周辺は屍で埋め尽くされていた。

 加賀国から乱入して越前国を荒らそうとした連中と、それに加担した越前国の領民は、あらかた始末を終えている。七百の兵で三万三千の一揆衆を打ち破った。噂が越前国に広まれば、領民たちはおとなしくなるだろう。同じように殺されるとわかっていて、立ち向かうほど領民も愚かではあるまい。

 そして富田長繁が取りかかったのは、この山城にいる朝倉旧家臣の討伐だった。足りない兵力は周囲の領民を徴用して補い、疲労や傷の痛みを訴える兵を鋭く急き立てて、次の戦にかかっている。

 あの山城にいる朝倉旧家臣は、先日の一揆で府中が陥落の危機を迎えたのに、一兵も寄越さなかった。危険を知らせることもしなかったし、南に侵攻してくる一揆衆を押しとめようとした形跡もない。今回の一揆に物資を供したり、加担した者を匿ったりしている疑いも、ある。

 朝倉義景亡き後、富田長繁が桂田長俊を討ち取って領主になったのを妬んでいるのかもしれない。

「あの小さな城に引きこもっている奴も殺せ」

 何度、同じ命令を叫んだのかもわからない。

 山城から何か飛び出した。矢だ。富田長繁の兵たちも、突然飛んできた矢に驚きの声を上げる。だが、一度に飛んだ矢は、十本程度。矢の雨と呼ぶには頼りない本数だ。

 せめてもの抵抗ということか。

 富田長繁は薄ら笑いを浮かべた。あの城に敵兵は少ない。これならすぐに、攻め落とせるだろう。投降は許さないつもりでいた。敵が目の前に現れれば、すぐにでも討ち取る。

 越前国を荒らす不穏分子を取り除けば、いずれ織田信長の援護にありつける。今は織田信長も他方面の一揆の鎮圧に忙しく、越前国にまで兵をまわす余裕はない。

 しかし、織田信長にとって越前国は、何度も兵を出してやっと手に入れた地だ。しかも土地は肥沃。簡単に手放すはずがない。

 救援が来るまでの、しばしの辛抱だ。

 間もなく越前国を荒らそうという輩も消える。

 次の矢が飛んできた。味方の数人に矢が当たり、地面に倒れる。倒れた兵の周辺で悲鳴が上がった。

 頼りない声が、富田長繁に苛立ちをもたらした。

「ひるむなと言っている。さっさと前に進まんか」

 声をわめき散らす。勝ち戦だというのに、この者たちは何を怯えているのだ。

「……まだ誰も、先の戦の傷も癒えていないというのに」

 近くの兵がつぶやいた。おい、と富田長繁はその兵を呼ぶ。

「何をつぶやいた? 傷が癒えていないと」

 その兵は、凍りついた。まずいことを言った、と観念したように、富田長繁を見つめたまま黙っている。

「この程度の連戦で弱音を吐くような輩はいらん」

 富田長繁は馬の上で、怯える兵を見下ろしながら刀を抜いた。

「ですが、殿」

「くどい」

 富田長繁は刀を振り下ろした。兵は体を甲冑ごと裂かれて、その場に倒れ、動かなくなる。

「この者は弱音を吐き、士気を低めようとした。こうなりたくなくば前に進め。下がるのは許さんぞ」

 富田長繁は声を荒らげる。味方が殺されるのを見て怖気づいたように、兵たちの前に進む足が速まる。

 これでいい、と富田長繁は笑みを浮かべた。

 このまま進む。

 前の山城ばかり見つめているから、富田長繁は背後で何が起きているのか、まったく気づいていなかった。鉄砲を構える者が一人。山城や、敵がいそうな場所ではなく、馬上の富田長繁に銃口を合わせている。

 そして、鉄砲を持った兵は引き金を引いた。乾いた音が響いたと同時に、富田長繁の体を弾が貫く。

 富田長繁は無言のまま、馬から落ちた。地面に後頭部を打ちつける。衝撃で頭から兜が外れた。

 富田長繁は四肢を広げ、越前の澄んだ空を見上げていた。背中の傷から血が流れ出し、地面に染みをこしらえていく。

 ――やられたのか。

 最初に沸き上がったのは怒りだった。背後には味方しかいない。裏切った者がいるということだ。すぐに斬って捨てなければ。

 だが、体が動かなかった。指先が動くが、それだけだ。

 動けぬ富田長繁を追い詰めるように、足音が近づいてくる。

 殺気を感じて、富田長繁から怒りが消えた。裏切者がとどめを刺そうとしてくる、という恐怖に、命乞いの声を上げようとする。だが口からは頼りない吐息が漏れるだけだった。

 やがて視界に男が入る。部下の一人だ。刀を抜いている。こちらを見下ろしながら、その刀を振り下ろした。

 刀の刃が自分の喉元に迫ってくるのが、富田長繁が最期に見た光景となった。

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