戦場で――7
兵はよろめいた。
隙を突く形で、割り込んでいた男は刀を突き出す。刀は兵の腹を、甲冑ごと貫いた。
兵は短く息を洩らす。峰継が無言で刀を引き抜くと、そのまま倒れた。甲冑の金属音が頼りなく響き、兵の持っていた刀が転がる。
「父さん……」
佐奈井がつぶやくと、峰継がこちらを振り返った。頬や着物に返り血を浴びているのが禍々しい。ついさっきは互いに争ったことを思い出して、佐奈井は足が震え始めた。
峰継は、刀を鞘に納めた。佐奈井を抱える。
「矢を抜くぞ。歯を食いしばっていろ」
もう片方の手で佐奈井に刺さる矢を握り、引き抜く。異物が抜けると同時に、傷が痛んだ。
「……っ!」
峰継は息子を抱えたまま、懐から竹筒と丸めた木綿の布を取り出した。竹筒の芯を抜いて、佐奈井の襟口に差し込み、中身を傷口にかける。酒のにおいがした。峰継は木綿の布で、佐奈井の傷口を押さえる。
「必ず助ける。すまなかった。守れずにこんな傷を」
佐奈井の耳元で、峰継はささやいた。
凍也が、残った兵を斬り伏せた。倒れるのを確かめて、そして佐奈井たちのほうへと向かう。
「さっきの、あの矢は、父さんが?」
佐奈井は尋ねる。篤英などの敵から、佐奈井たちを守ってくれた矢。峰継はうなずいた。
「峰継さん」
香菜実が立ち上がった。慶充の刀を握ったまま。
「香菜実、息子を頼んでもいいか」
佐奈井の無事のためとはいえ、一度は見捨てようとした娘が相手だが、峰継に遠慮はなかった。
「私が佐奈井を支えて、傷口も押さえます」
香菜実は言う。
彩乃も起き上がり、佐奈井たちに近寄る。
「香菜実、その刀は私が持つよ」
香菜実は言われるまま、慶充の刀を手渡す。彩乃は受け取ると、佐奈井の腰から鞘を抜いた。刀を納める。
そして香菜実は、佐奈井を抱えた。峰継に代わって、木綿の布で矢傷を押さえつける。
「佐奈井、歩ける?」
「うん、大丈夫」
香菜実がゆっくりと、一歩を踏み出す。佐奈井はそれに合わせて前に進んだ。香菜実が止血してくれているおかげで、痛みが引いてきた。
「……あんたは?」
佐奈井は歩きながら、彩乃に声をかける。
「彩乃さん。あの城で世話になったの」
香菜実が教えてくれる。
「あんたが佐奈井ね。話は聞いてる」
彩乃は声をかけた。気さくな話し方をする人だ、と佐奈井は思う。きっとあの城で、香菜実を励ましてきたのだろう。
「おい、峰継さん」
凍也が、こちらに向かってくる。佐奈井と峰継が争う様子は見たのだが、気にする様子はない。
「どうした?」
「村の同胞たちを見つけた」
凍也が、北のほうを見つめている。佐奈井は視線をたどって、見つけた。凍也の村の者たちは、他の一揆勢に混じり、束になったまま逃げている。
その後ろを城兵たちが追いかけていた。
すでに人数は、村を発った時の半分を割っている。たった今も、遅れをとった村人が兵に背を斬られ、倒れた。
「助けに向かう。このまま北に逃げても餌食になるだけだ」
「ああ。落ち着いたらあの山に向かえ」
峰継が、東のほうの山を指し示した。
「あの山に園枝と理世がいる。助けた奴も連れてこい」
「わかった」
凍也が北に向かって駆けていく。
「佐奈井、聞いただろう。あそこで手当てしてもらえる。それまでがんばれ」
佐奈井はうなずいた。
香菜実にとって、今はただ、峰継を信じるしかなかった。自分は戦えない上に、こうして傷ついた佐奈井を抱えながら歩いているのだ。
また襲われたら、そして峰継が防ぎきれなければ……
今は考えたくない。
幸い敵は、北の一揆衆を追いかけるのに夢中になっていて、こちらに気づいていないみたいだけど。
「つらくなったら言って」
彩乃が話してくる。
「私が代わるから」
「うん、でも大丈夫」
香菜実は微笑む。
佐奈井が、香菜実のこめかみの傷に袖を当てて、血を拭った。
「傷が」
「平気だから。これくらい」
かすめただけだ。佐奈井が心配するほどではない。
「佐奈井の、背中の傷は、塞がったんだね」
「うん」
ずっと気がかりだった。深手を負った佐奈井が、生きているのかと。
「……やっとだ」
佐奈井が、声を震わせた。
「やっと、ごめんって言える」
彼の前を見据える目は潤んでいる。
「どういうこと?」
「慶充が、俺を守るために……」
佐奈井が声を詰まらせた。
どうして、と香菜実は思う。つらい思いをしているのは、佐奈井のほうだ。一乗谷で生死を分けるような傷を負って、生き長らえたのに、また戦に巻き込まれた。こんな矢傷を負う羽目になっている。
「謝るのは私のほう。こんな傷を負わせて」
「つらいのは、香菜実も同じだろう」
一連の戦で香菜実は家族すべてを失った。篤英も、富田長繁に殺されたばかり。一人きりになってしまった自分に、香菜実の不安は募った。戦まみれの時代の中で、これからどうなるのだろう。
さっきから、体の震えが止まらない。
佐奈井が、さらに強く抱えてきた。彼の体温が伝わってくる。
「濡れている。こんなに震えて」
水を張った堀の中に飛び込んで、香菜実の着物や髪からはいまだに水が滴っていた。
「俺、ずっとそばにいるから。慶充みたいに頼りになるかわからないけど、頑張る」
――一人にはしない。
香菜実にとって今は、佐奈井の言葉が嬉しかった。
「私も、もう離れない」
大事な人に会うことができず、安否もわからないまま不安にかられる。そんなのは、もう嫌だから。
「ああ、ずっと一緒だよ」
一乗谷の滝で密かに会っていた頃のように、慶充と三人で笑い合うことは、もうない。でも香菜実には、佐奈井がいるだけで充分すぎるくらいだった。
「父さんも、ありがとう」
佐奈井は彼の父を見て言った。
「守ってくれて。見捨てられたかと思った」
峰継が佐奈井の頭を撫でた。
「危険に巻き込まれるとわかっていて、見捨てる親がいるか。馬鹿息子が。絞られる覚悟はできているんだろうな」
「……説教なら、後でいくらでも受けるよ。でも、香菜実は一緒だ。それでいいよね」
峰継は、香菜実を見つめた。
香菜実も、峰継を見つめる。その瞳は厳かに見える一方で、優しさを感じた。
「子供が危険に巻き込まれるのを止めるのは親の役目だ。だが、子供が決めたことを最後までやらせるのも同じだ」
独り言のように峰継はつぶやいている。
「一緒に来るか?」
峰継は尋ねてくる。
「はい」
香菜実は答えた。
「面倒ついでで悪いんですけど」
待ちかねたように、彩乃が割って入った。
「私も連れてってもらっても。あの城から抜け出して、引き返せなくなったから」
陽気な声だ。取り入ろうとしているように。
「彩乃さん。あの城で私を助けてくれた人です」
香菜実はとっさに言う。連れていって害になる人ではない。
峰継は一つため息をついたが、
「好きにしたらいい」
香菜実はほっとした。
「彩乃さん、これからもよろしく」
「うん、佐奈井もね」
「ああ、それよりあんたも大丈夫なのか? 濡れて」
佐奈井が指摘するように、彩乃もまた、寒さに震えていた。
峰継が、いったん刀を鞘にしまった。防寒用の羽織を脱ぎ、彼女に手渡している。
もうすぐ山の中だ。城兵たちは、佐奈井たちよりも北のほうへ逃げつつある一揆衆の追撃に夢中になっていて、こちらまで迫ってはこない。
佐奈井たちは振り返らず、静かに、戦場を去りつつあった。
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