凍也――3
峰継は、書置きを握っていた。短い文面を見下ろしている。
――日向を頼む
消えたのは、佐奈井と凍也。この字は、恐らく凍也のものだろう。
峰継は立ち上がった。急いで土間に降りて、外に出る。
朝の鋭い寒さの中、峰継は眩しい日差しをもろに浴びる。もうすでに周囲は明るい。
凍也にしてやられた。村人総出で避難するという話は嘘だったのだろう。あの置手紙が、それを物語っている。凍也が日向だけを置いてどこかに向かうのならば、それは逃れるのではない。
戦に加わろうとしているからだ。
恐らく、加賀国から攻め込んでくる勢力に合流して、富田長繁を討つつもりだろう。越前国に侵攻して国土を荒らした織田信長に、富田長繁が取り入ろうとしているという噂は広く伝わっている。とうに見限った領民も非常に多い。
恐らくは、凍也も。
「お願い」
日向の弱々しい声が、峰継を我に返らせた。日向は、園枝にむしゃぶりついている。
「兄さんを一緒に探して。まだ遠くに行っていないと思うの。追いかけないと」
彼女の声に、切実なものがある。大事なものが消えてしまう時の切実さだった。
「ええ、私たちも佐奈井を放ってはおけないから」
理世も言いながら、日向の背をさすっている。
まずいな、と峰継は思った。
「この村を出て、危険な場所に出るのか」
警告も兼ねて、峰継は尋ねる。
「戦いに巻き込まれに行くようなものだぞ」
女三人は、峰継を見た。
「元々そのつもりよ」
理世の声が変わった。
「もしこのまま放っておいたら、佐奈井まで犠牲になる。それでもここを動かないということは、ないわよね?」
どこか挑発めいたしゃべり方までしてきた。まさかこの二人、佐奈井と凍也を追いかけるつもりか……?
「娘に言われてしまったわね」
園枝も同じだった。
「佐奈井と凍也を追いかける。あなたもそのつもりでしょう、峰継さん?」
当然だ。だが、峰継には納得いかないものがあった。
「なぜ自ら危険に巻き込まれるような真似をする? 三人とも山に隠れて……」
「峰継さん、あなたは一人で息子を助けるつもり?」
園枝の声が、峰継を遮った。
「どっちみち私たちなら、傷の手当てくらいはできるしね。ね、理世」
理世はうなずいた。
「ここまで助太刀する理由がわからない。あなたが佐奈井を助けに向かうなら、娘も巻き添えになるかもしれないぞ」
「恩に着る、と言って欲しかったんだけど」
園枝は呆れた笑みをこぼす。
「このまま佐奈井を見捨てるつもりはないし、どっちみちどこに逃げても戦に巻き込まれる」
峰継は黙り込むしかない。
「私たちには時間がない。あの子を追いかけましょう。そして香菜実も助ける」
香菜実という名前を出されて、峰継は驚いた。香菜実は、息子に対して諦めろと迫った娘だ。慶充の妹だが、恩義を貫いてまで助けるには危険すぎる。彼女の元に向かえばまた、犠牲が出るかもしれないからと。
その娘まで、園枝は助けると言うのか。
「一緒に兄さんを探そう、日向」
理世が励ますように日向に話しかけている。理世は手を差し伸べて、日向はおとなしくその手を取った。昨日まで険悪な関係だった二人だが、今は違った。
今にも出ようとする三人に、峰継は取り残されそうな気分になった。
――どうしても追いかけるというのか。
板の間の奥に置かれている自分の刀のところに向かった。隣に並べられていたはずの慶充の刀がない。峰継は苛立ちを押さえながら、残っている自分の刀を取り上げた。腰に差す。すでに他の三人は土間に降りていた。
「兄さんが向かった先、私、心当たりがある」
今にも嗚咽を洩らしそうになりながら、日向は言った。
「府中の城。富田長繁がいるから。越前の領主に成り上がったつもりだけど、織田信長に取り入って越前を売ろうとしているって言っていたから。だから討ち取るべきだって」
日向は目に涙を浮かべている。
すでに見通していることだ、と峰継は聞きながら思っていた。
――でもなぜ、凍也は妹から離れるような真似をする?
――一揆衆に加わってもしものことがあったら、妹は一人きりになるというのに。
理世は、日向の手を引いた。
「それで凍也が死んだら元も子もないわ。急ごう」
日向の目から涙の雫がこぼれ、地面に染みを作る。それでも日向は、理世について歩いていた。外に向かおうとしている。日向は本気で兄を、理世は佐奈井や香菜実を探すつもりだ。
「峰継さん、遅れるわよ」
園枝が声をかけた。
「わかっている。今行くつもりだ」
長い年月を共にした刀の鞘を握り、峰継は戸口へと向かった。
とにかく今は、息子を追いかける。
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