凍也――4

 佐奈井は、朝日を見た。茜色の日が、東の山の稜線から昇ってくる。濃紺だった空は淡い青色に染まり始め、辺りもだいぶ明るくなった。

 普段なら起きている時間だ。峰継は、もう自分や凍也がいないことに気づいているだろう。

 佐奈井は、しかし後ろを見ることはしなかった。香菜実を助けるまでは、父のことを思う余裕はない。

 それに、同行している人たち……

 どうも、警戒を解く気にはなれなかった。

 やはり戦になるからか、女子どもの姿は見当たらない。凍也と同い年くらいの少年なら見かけるが、佐奈井が、この一行の中で最年少だった。武器になる――普段は害獣を駆逐するためのものだろう――刀や槍を持つ者が多いが、粗末な鋤を持つ者もいるのは、一乗谷に現れた一揆衆とまるで変わらなかった。

 皆、殺気に満ちた目をしている。

「加賀国からの勢力は、もう越前国の領内に入って、戦闘が始まっているらしい。朝倉の旧家臣も殺されたって情報も入っている」

 佐奈井にとって、そこまでは初耳だった。加賀国からの一揆衆は、まだ越前国の領内に入ったばかりだと思っていたのに。

「すでに加賀国の勢力に加わっている越前の領民も多数いるらしい」

 一乗谷のように、また越前の人同士で争うことになるのか。

「不満そうだな、佐奈井」

「また殺し合いが起こっているんだ」

「戦わないと奪われるだけだが」

 凍也の言葉は、淡々としていた。

「このまま富田長繁の支配を認めていたら、織田信長の圧政に皆が苦しむことになる。お前もわかっているだろう」

「でも、あんたが戦うほうがおかしいよ。日向がいるんだろう」

 佐奈井が食ってかかる。

「もしものことがあったらあの子は……」

言葉が途切れたのは、凍也の目に、刀の先のように鋭いものがよぎったからだ。

「何も知らないで、気軽なことは話すべきじゃないぞ」

 冷たい言葉を吐く。出会ったばかりのときは凍也に慶充の姿を重ねた佐奈井だが、今は、凍也が慶充と同じには思えない。慶充は強かったけれど、優しくて、知っている人が戦に巻き込まれたり、犠牲になったりするのをよしとはしなかった。

 慶充なら、こういう時こそ、親しい者のそばにいるはずだ。香菜実を置いていこうとはしない。

「どうして、そんなにこだわるんだ?」

 佐奈井は尋ねる。

「……過去に何かあったのか」

 凍也の家族は日向だけ。それなのに、凍也の家は佐奈井たちが入っても暮らしていけるだけの広さがあって、家具も揃っていた。あきらかに不釣り合いだ。過去の凍也には、もっと家族がいたが、大半がいなくなった。理由なら、佐奈井でも察している。

「お前、気づいているな」

 佐奈井に対して、凍也は棘のある視線を向け続ける。

「あんたは過去の戦で家族が犠牲になった」

 母親を失っている佐奈井には、言いづらい。黙れ、と凍也に咎められるかとも思ったが、しかし、凍也は眉一つ動かさなかった。

「言っているとおりだ。父と兄たちが犠牲になった。三年前の戦。越前国が陥落しそうになったから、お前も知っているだろう」

 織田信長が最初に越前に侵攻してきた戦だ。越前国の玄関口である敦賀の城が陥落して、織田信長の軍が越前国になだれ込んだことがある。結局は北近江の浅井長政による裏切りで、織田信長は退却していったが、その際の追撃戦で佐奈井の父峰継は右足に深手を負った。

「父や兄たちは、越前に侵攻してくる織田信長の部隊を防いでいたが、その時に死んだ。朝倉義景に見殺しにされてな」

 敦賀が落とされんとする時、応戦にあたっていた部隊への増援は、なされなかったという。要衝を決死の覚悟で戦っていた部隊は、孤立する形になって、壊滅したという。

「俺だけ、まだ十四だったし、家に日向だけ残すわけにもいかないからかな。徴兵を免れて、何とか生き延びた」

 戦況が刻々と悪化していく中で、凍也と日向はどのような気持ちで家族の帰りを待っていたのか、佐奈井も理解できなくはない。

 この兄妹に自分と同じものを感じて、佐奈井は、凍也を批判する気になれなくなった。

「だから、この戦は仇討ちでもあるんだ」

 家族の仇を口にしている割には、凍也は相変わらず怒りを感じさせない。本心は別にあって、ただ誰かに強いられているから、仕方なく言っているだけのようにも聞こえる。

「家族を見殺しにした朝倉義景の旧家臣と、殺した織田信長に弓を引いて、家族の無念を晴らす」

「それ、本気で思っていること?」

 つい佐奈井は、そんな言葉をぶつけていた。

「……本気だよ」

 見栄を張っているのは、佐奈井にもわかった。

「日向を置き去りにするほどに?」

「今は、あいつの名前を出さないでくれないか」

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